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20160211/炎について

水や空気は、どこに暮らして、
どんな生活をしていても身近だから、まだしも。

土に触れたり、炎を見なくなってゆくひとが、
多くなってゆくのは大変だなあと日々感じます。

現代の生活の中では、
オール電化などのシステムで、
生活の中で炎を全く見ない場合も大いにあるでしょう。

でも、「”炎の出ない熱”が『安全』で、それが基本です」
ってなってしまうのは、
とても不自然なことだとわたしは感じていて。

ろうそくは火事が怖いからつけません、
という方もいらっしゃるだろうし、
その気持ちもわかります。

昔から、人間にとっての炎とは、
暖を取るため、料理のため、外敵から身を守るために使う手段。

それはもちろん危険を伴うけれど、
だからと排除するのではなくて、(排除したら滅びているよね)
危険だということも知り、相応の覚悟を持った上で、
使ってきたものだということ。

もちろん、自然の力だから、
気を抜いたら大変なことになるけれど、
真剣に向き合っている限り、
炎はこちらの意に沿わない暴走はしないし、
管理の中で動いてくれます。
気を抜かなければ。

命を奪うこともできる大きな力なのだけれど、
そうやって真摯に向き合った時、
その自然の力は暖かく、
心身両方を照らしてくれる。

その認識が自分の中にあれば、
直火を無駄に恐れる必要もなく、
炎という圧倒的な力を、自分の手の中の範囲の、
ちいさなかたちで操らせてもらうことができるのだと思います。

焚き火ができる場所で、焚き火をすることや、
薪ストーブや暖炉を使うこと、
とても大切なことだと思うし、
忘れてはならないことだと思うけれど、
都会の中で毎日それをするのは難しいから。

縮小版として、日々の中でろうそくに火を灯すことは、
大切だなって思っています。

大きな光には必ず影ができる。
ものごとには必ず対極の面があるので、
暖かく照らしてくれる炎の力も、
こちらが気を抜いて接することで、
人の命を奪う恐ろしいものにもなる。

でも、だからといって、安全第一をかかげ、
炎に触れないで、見ないようにして、遠くへ置いておくのは、
なにかどうしても、違うのでは。

きっと、大昔の人間は日々、
闇とも炎とも、真剣に対峙して生きてきて、
その両方を決して軽んじてはこなかった。

今は、松明を持たずとも夜道は明るいし、
それによって守られているものも、
沢山あるとは思うけれど。

見えない力への、大いなる存在への、自然への、
畏敬の念を持って、炎を使うことは、
生命のおおもとに触れることだと感じます。

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