分断を生まないために

分かるっていう言葉が気になったのでネットを参考にしながら自分で考えてみた。

まず、分かるとは意味や区別などがはっきりするもの。理解、判断といった意味でも使うがここでは分けます。

そして、分かる、解る、判るなどがありますが、常用漢字としては分かるを使うようです。

さて、分かるは分けるとも使う。構成は八と刀でできている。

八は無限、永遠、全部、沢山、末広がりなどを表す。(八方美人、八百万の神、八百八町など)
刀は文字通りで何かを切る道具。

つまり、分かるといった意味で使う場合は八のような延々続く知識や経験、あるいは感覚に基づく思考や思想を刀でスパッと切ったように理解しているか、またはまだ理解をしていない状態を分けている。

ということは、自分の分かっているは他人の分かっているとは全く同じではないし、真逆に近いことすら当たり前にあるということを先ずは分かる前に理解しておくと、自然と物事に対する視野が広く深くなっていくのではと考える。

だから、ルールや決まりごとというものは、どれだけ賢いとか知識が有るとか、経験があるを関係無しにしてでも、時間をかけて議論を重ねることが重要であって、特に大切なことであればあるほどその必要性は増すことが自然な流れだと考える。

私達は誰一人、真の意味で物事一つとっても解っているものなどいないのだ。
ルールを決める権利を有しているものであれば尚更そのことを肝に銘じて置かなければ少数派や反乱分子という名前を付けられたものが現れるだろう。分けてしまうのだから。

最後に、憲法や憲章のようなものは決まりごとではなく、人としての価値や存在を肯定する書き方になっている。それは何かに分けることや、ルールや法律よりももっと上位にある本当に大切なことを先人達が経験を重ねて来た上で書き上げた、人が人とし生きていく上で認められた正に尊いものなのだから。

私達の本当に大事な権利や自由は分けるものではなく、理解し合うもの。
それを皆忘れずに思い出してみてはどうか。

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