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093. マイトレーヤ復帰

一九九九年十二月末、マイトレーヤ正大師(上祐史浩・現ひかりの輪代表)が三年の刑期を終えて教団に戻ってきた。

服役した高弟で信仰を守って教団に帰ってきた人は少ない。マイトレーヤ正大師は裁判でも堂々と「尊師は私のすべてです!」と宣言し、勾留中もサマナを励まして教団を陰から支えていた。

出所して正大師が入った横浜道場は、大勢の警察とマスコミ関係者と野次馬に取り囲まれて、かつての青山道場を彷彿とさせる騒ぎだった。すぐに成就者全員に横浜道場に集合するよう連絡があった。私は、五年ぶりに会う正大師の姿――独房修行を終えたような全体的にすっきりと平安な感じを見て安心すると同時に、新しい21世紀がはじまるときに帰還した正大師に希望を抱いた。これから新しい教団がはじまるに違いない、と。

「正大師って、やっぱりすごいね。心が寂静の状態だよね」

刑務所での長い修行の成果を感じとってこう称える人もいた。
正大師は休みなく会合を開いて教団の現状を把握しようとした。

「やれやれ、これで教団もまとまって動きはじめるだろう」

多くのサマナがマイトレーヤ正大師の教団復帰と今後の運営に期待したと思う。

正大師は、まず社会に対して事件の謝罪と賠償について教団の見解を発表した。記者会見を頻繁に開いて積極的に情報を発信し、それまで教団がおろそかにしてきた社会融和を進めた。

二〇〇二年には「アレフ」と改称して代表に就き、教団を建て直すために精力的に活動していった。全国の支部道場を回って正大師説法会を定期的に開き、在家信徒に対してシャクティーパット・イニシエーションを実施した。サマナに対しては、長年滞っていたステージ昇格をおこない、サマナの念願だったクンダリニー・ヨーガ成就のための極厳修行を再開した。

法則を説き、イニシエーションをして、成就の認定をすることは、まさにオウムの再建だった。正大師専属の「秘書室」という部署もできて、スタッフの数も多くなり正大師は教祖のようだった。マイトレーヤ正大師が成就者を従えて全国を移動する途中、高速道路のサービスエリアで食事をしたことがあった。オウム時代のように、私たちはもう白い制服を着て闊歩することこそなかったが、それでも正大師を取り巻く師やサマナの様子は、かつての「尊師御一行」によく似ていた。

正大師の意向に気を配り、正大師の言葉に耳をそばだて、正大師の近くへ行こうとする。

「また、このピラミッドをやるのか…」

結末を知っている映画を観ているような気分で、私はどうも気持ちがのらなかった。正大師に期待してはいたが、どうやら私は麻原教祖と正大師を入れ替えて、以前のオウムのようになることを歓迎してはいないようだった。

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