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057. 聖地巡礼

九一年から九二年にかけて、麻原教祖は頻繁に海外の「聖地」を訪れた。
教祖にとっての聖地は、ブッダゆかりの地とブッダの教えを今なお実践しているところで、ブッダの国インド、テーラヴァーダ仏教のスリランカ、チベット密教のチベットやブータンなどだった。

これらの旅に私はカメラマンとして同行した。教祖と一緒にどこかへ行くことは、弟子としてはうれしいことだし、それが海外であればちょっと気分は高揚する。しかし、普通の観光旅行とは違って、経典を探し買い集めたり、聖地を巡礼して修行をすることが目的で、街を散策して美味しいものを食べたり、買い物をしたりするような自由時間はもちろんなかった(そもそも出家者に自由時間はないのだが)。

ブッダゆかりの聖地を調査するインド旅行でのことだ。ブッダの生誕地といわれているルンビニーを訪れたとき、教祖は「ここは違うな」と言った。

「聖地というものは独特なヴァイブレーションがあるものだけど、ルンビニーに関してはそれがなかった。仏教は心の教えだから聖地だと思って礼拝すれば効果があるのは事実だが…」

ルンビニー全体の霊的なヴァイブレーションを感じ取っての発言だった。
ブッダが悟りをひらいたブッダガヤー、雨期に滞在したサヘート、晩年修行をしたギッジャクータ山などを訪ねては、教祖はその場にふさわしい説法をし、全員でストゥーパを礼拝し、花や果物やお香、そして歌や踊りを供養した。

旅の終わりに訪れたのはクシナーラーだった。ブッダはこの地で病に倒れ入滅したとされているが、クシナーラーのどこだったのか詳細は不明だった。教祖はブッダが入滅するときのエネルギーは特別なものだから、時間を超えて今でもその場所に残っているはずだと考えていた。

クシナーラーに着いたのは夕方だった。食事をすませると、どうやら説法もないようだったので、旅の疲れがたまっていた私は部屋に入るなりベッドに倒れ込んで眠ってしまった。そして、夜中に大声で起こされた。

「尊師が今からブッダの入滅ポイントを探しに行かれるから。急いで! カメラを持って、懐中電灯を忘れないで!」

私は眠い目をこすりながらつぶやいた。
「やれやれ、またか…」
昼も夜も関係なく、いつも突然動き出すのがオウムだった。なにがはじまるのかよくわからないまま、とにかく私はカメラバッグをひっさげて部屋を出た。

こうして深夜を過ぎてから、人家の明かりも街灯もないインドの田舎で、二千五百年前にブッダが入滅したポイントを探しに出かけることになった。
教祖は自分の体にロープを巻きつけて高弟にそれを引かせ、杖代わりの竹刀を持って、真っ暗な夜道を三十人ほどの一団を引き連れて歩いた。仏典翻訳チームのヴァンギーサ師が、『大涅槃経』の訳文を読み上げて入滅前後のブッダの足取りを伝える。教祖はそれを聞き、話し合いながら歩き、やがてある地点で歩みを止めた。

「この辺だねえ。ここは真昼間みたいに光が強いねえ…」

意識のなかでなにかを探っているような表情で、教祖はしばらくそこにたたずんでいた。

そして、弟子たちが見守るなか、右脇腹を下に右手を枕にして頭をのせ、ブッダが入滅したときと同じポーズをとって、道の真ん中に長々と横たわっtて言った。

「ここだ」

この決定的な瞬間に、みんなは持っていた懐中電灯で教祖を照らし出して「写真! 写真!」と言った。私は真っ暗闇のなか、ぼんやりとした懐中電灯の光しかない最悪の撮影条件のもとで写真を撮らなければならなかった。
「真昼間みたいに光が強いといわれても、ねえ…」
そう言いたい気持ちをおさえて、一台のカメラは超高感度フィルムで、もう一台はフラッシュを使って「とてもじゃないけど写真にならないよねえ…」と半ばやけくそになりながら撮影した。みんなは素晴らしい瞬間に素晴らしい写真が撮れると信じているようだったが、私は暗闇で教祖が腕枕をして寝転んでいるだけの、ずいぶん間の抜けた写真になるだろうと思っていた。

次の日、供養を担当しているサマナたちと教祖が示した場所に行ってみると、そこは車が砂ぼこりをまいあげて走っていく幹線道路の真ん中だった。暗闇の中で探しあてたブッダの入滅ポイントは、今はあっけらかんとした日常のなかにあった。
乾いた道路の土、通り過ぎる車の大きなエンジン音、その向こうには牛が草を食むのどかな風景が広がっている。そして、私の脳裏には暗闇の中で静かに横たわっている教祖の姿――ここは二千五百年前にブッダが大涅槃(ねはん)した場所なの? 

現実と遠い過去が交錯して、なんとも不思議な感じがした。

道路の真ん中では供養のしようがないので、道の端で花と果物と踊りの供養をすることになった。夜と違って日光のもとで撮影できるのはありがたかったが、ファインダーをのぞいて見るその場所に神聖なものはなにもなかった。ブッダ入滅のヴァイブレーションを感じ、見ることができなければ、そこはただのほこりっぽいインドの田舎道にすぎなかった。


(*)経典にはブッダの四つの聖地を巡礼する利益が書かれている。四つの聖地とは、ブッダ生誕の地ルンビニー、悟りをひらいた地ブッダガヤー、初めて法則を説いたサールナート、そして入滅の地クシナーラー。
(*)教祖は信徒とブッダとの縁が深まるようにインド巡礼ツアーを企画し、三百人を越える規模でインドやスリランカへの聖地巡礼ツアーが行われた。
(*)現在の「マハー・ニルヴァーナ・ストゥーパ」のある場所がブッダ入滅の場所であるという考古学的な証拠はない。

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