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063. 予言とハルマゲドン

「修行であなたは変わる」とは別の入信案内のキーワードもあった。
「予言」と「ハルマゲドン」だ。

麻原教祖は最初から「三万人の成就者を誕生させることでハルマゲドンを回避する」という目標を掲げていたので、世紀末に起きるだろう破滅とオウムの活動は常に結びついていた。
「ヨハネの黙示録」「ノストラダムスの予言」の解読、「転輪聖王獅子吼経」の翻訳など、予言の研究や占星学の研究は途切れることなく続けられていた。

九一年から九二年は、「死と転生」の公演や仏跡巡礼、教祖が積極的にメディアに出るなど、外向的な宗教活動がくりひろげられ、一時は予言の話は鳴りを潜めたかのようだったが、九三年に入るとハルマゲドンまでにあまり時間がないという雰囲気が教団を包むようになり、秘密裏にヴァジラヤーナ活動が再開されていた。(*)

予言にはまったく関心がなかった私は、その手の話は半ば聞き流していたのだが、かなり多くの信徒・サマナが予言を信じていた。
ある在家信徒と車に乗って、導き(勧誘)の打ち合わせに向かっているときのことだった。熱心に導きをしている彼女は、運転しながら世田谷の街並みを見て言った。

「このビルやあの家々がガラガラと崩れ去る様子が目に浮かぶんです。だから一日も早く友人知人に気づいてもらいたくて」

彼女の脳裏には、ハルマゲドンで壊滅する街のイメージがありありと映し出されているようだった。私は彼女の横顔を見ながら思った。

「本気でハルマゲドンを信じているんだ。私、そこまで信じていないし、興味もないんだけどなぁ…」

信徒を指導する立場なのになんだか申し訳なかった。

事件後、私はなぜあれほど多くの人が、予言やハルマゲドンという話にある意味とり憑かれたようになるのか考えた。
ハルマゲドンに惹きつけられる人は、自分を堅牢な甲羅のようなもので包んでいるからこそ、無意識にそれを破壊したいという力が強く働いて、ハルマゲドンのようなものを畏れつつ期待するのではないだろうか。だとすると、ハルマゲドンを信じる人はハルマゲドンを起こす人にもなりうる。

また、予言を信じる人についておもしろいことに気づいた。予言を信じる人は予言が外れても決してそれを問題にすることがなかった。予言を信じて、それが外れたら教祖を信じられなくなりそうなものだが、奇妙なことに、予言を信じる人は結果がどうであれ何度でも予言を信じた。
株価の暴落、自然災害、彗星の接近、太陽の黒点活動、あらゆることがハルマゲドンの前兆だと言われたが、たとえそのときハルマゲドンが起きなくても、次こそ起きるだろうというムードがあった。

一九九九年七の月に人類が滅亡するというノストラダムスの予言が外れたときは、さすがにショックを受けた人もいたが、また新たな破滅のストーリーが始まるのだ。二〇〇〇年問題についても、コンピュータが誤作動すると世界が大混乱するといって騒いでいた。事件後、上からの指示でサマナや信徒は何度荷物をまとめて待避させられたことか。

予言を信じる人というのは、「予言された状況」そのものに魅せられているのかもしれない。だから予言の結果には関心がないのだろう。
破壊されなければならないのは、世界でも街でもなく、なにかを強く信じる人の「とらわれた心」ではないかと私は思う。

(*)上祐氏は、教祖がマスコミの取材を受けなくなったことについて次のように書いている。
「1992年頃、いわゆる『新々宗教ブーム』に乗って、麻原に対するマスコミの取材が相次いだときのことだ。麻原は新々宗教ブームの旗手として、日本の宗教界で大いに成功する流れに乗ろうとしていた。
だが、麻原は、私に言った。
『この流れに乗ってはいけない。これは悪魔の誘いだ』
その後、麻原はマスコミの取材を受けなくなり、1993年からは、炭疽菌製造からサリンへと、ヴァジラヤーナ活動に没入していく。」
(『17年目の告白』p156)


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