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056. 教勢の拡大

一九九一年夏、麻原教祖は「救済元年」を宣言して教勢の拡大に乗り出した。

「朝まで生テレビ」(*)の宗教討論会に、教祖をはじめとするオウム真理教のメンバーが出演して注目を集めると、麻原教祖は雑誌やテレビで多くの著名人と対談するようになった。私はカメラを携えて教祖に同行していた。

マスメディアに登場しても教祖の態度や話す内容は普段と変わらず、ビートたけし氏と対談するときの教祖は弟子や信徒さんと話すときとまったく同じだった。ビートたけし氏の方はといえば、教祖と対面して少年のようにはにかんだ笑顔を見せて、「いいよなあ…」「なんか、いいよなあ…」と一人つぶやいていた。(*)

「たけしって、まるで弟子みたい。誰か入信案内しに行けばいいのに」

私はファインダーをのぞきながら「いいよなあ」を連発するビートたけし氏を見て思った。

山折哲雄氏との対談では、麻原教祖が太っていることに氏がやんわりとふれた。高名な宗教学者でも「痩せたヨーギーより、ふっくらとした(代謝が落ちた)ヨーギーが尊い」という見方を知らないんだなあ…と意外に思った。
宗教学者は宗教について論じるが、瞑想して宗教的な体験をしているわけではないし、まして大勢の弟子を指導して体験させるわけでもない。撮影をしながら私は「宗教学者と宗教家は別次元なんだな」と思った。

この時期、中沢新一氏、島田裕巳氏、荒俣宏氏などとも対談し、麻原教祖は宗教家として脚光をあびるようになった。秋の学園祭シーズンには、東京大学、京都大学、北海道大学、東北大学、大阪大学、横浜国大、千葉大学、名古屋大学、信州大学、東京工業大学、気象大学など、全国の主要な大学で講演をおこなった。テレビの影響もあって、講演会には大教室に入りきらないほど多くの学生が押し寄せた。私は教祖の説法を聴きながら、ちょっと不満に思っていた。

「こんなに大勢の学生の前なんだから、冗談の一つでもとばしてもっと若い人にウケることを話せばいいのに」

いつものように教祖の講話の内容はいたって真面目で、仏教真理と修行と解脱について学生にもわかるたとえを織りまぜながら話していた。

九一年から九三年、日本のバブル経済が崩壊していくとき、オウム真理教は教勢を拡大していった。多くの麻原教祖の著書の出版、「死と転生」「創世期」などダンス・オペレッタの全国公演(*)、マンガやアニメーションの制作、歌曲の作詞・作曲など、教祖が先頭に立ってマハーヤーナ(大乗)的な活動が盛んに行われ信徒数は飛躍的に伸びていった。海外ではロシア支部を開設して、オウム真理教オーケストラ・キーレーンが結成され来日コンサートを行った。

長い髪とヒゲ、赤紫色のクルタを着て仏教真理を語る麻原教祖を、なぜあのとき社会は受け入れたのだろうか? 出家という世間から隔絶された環境にいた私には、あの時代の空気はわからない。
ソビエト連邦が崩壊した後のロシアで五万人もの信徒を獲得したように、時代が大きく動くとき、人は新しい価値観を認めるのかもしれない。


(*)一九九一年九月放送。テレビ朝日。
(*)ビートたけし氏とは二度の対談があった。九一年テレビタックル、翌年雑誌での対談。
(*)「死と転生」は死後のバルドを歌と踊りで表現した舞台。ロシアとスリランカでも上演された。「創世期」は仏典に描かれた宇宙の創世を、歌と踊りとアニメーションで表現した舞台。

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