【掌編】鈴生り
昔はたくさんあったよね。
営業先からの帰り道、先を歩く同期がポツリと言ったので、僕は反射的にうんと答えた。
視線を辿れば、角の家の庭先、葡萄状のものが塀からわんさかはみ出している。
子どもの頃によく見たな、と慌てて記憶を漁るけれど、名前が出てこない。
「なんだっけアレ。ほら、ブドウじゃなくて」
「アレだよね。アレ。手についたらなかなか色が落ちない」
「色水遊びとかに使ったり」
「小学校の校庭の隅っこにあった」
「そうそう、アレ。……なんだか、老夫婦の会話みたい」
結局名前は思い出せないまま。営業の帰り道を、大笑いしながら二人で辿った。
「そんなこともあったよねぇ」
「あったね」
「鈴生りのさ、アレ。新居の庭に植えたいな」
「……名前調べて探してこよう」
代名詞だけで通じる会話が成立して以降、急速に仲良くなった同期と、僕は明日入籍する。
何年後には、小さな庭の片隅に鈴生りのアレが実る。代名詞になってもいつまでも忘れない記憶のように、僕らをきっと未来までつないでくれるはずだ。
老いてのち、アレが今年も実ったよ、なんて会話をするまで。
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