見出し画像

朝礼終わりに拍手をしなかった悲劇

銀行に採用される人は、基本的にちゃんとしている。
高卒であれ大卒であれ、ちゃんとしている(フリが出来る人を含む)。
で、先輩方も一様にちゃんとしているので、ちゃんとしている人に教えられるとちゃんとした感じに育っていくのが道理。
お局だのおっさんだのと嫌われようとも、年長者が自分の役目として若手に厳しいことを言うのは、善き文化だと思っていた。
今は、誰しもがSNS等でもどんな陰口を叩かれるのか目に見えてしまうが為に、嫌われてまでそいつの為に厳しいことは言いたくない。
そんな流れがあるので、人員は少なくなる上に劣化してるみたいに言われてしまうのは、当たり前といえば当たり前。
ちょっと話が逸れたが。
銀行では、その社会的に不可欠な強固なシステムを、自分が歯車の一つになって回す。
ミス無く、故障もなく回り続ける、良き歯車であることが求められる。
内部的な評価さえ高ければ、善き社会人人生を送り、最後を迎えられる。
そのつもりで入社した人も多い。
しかし、長引くゼロ金利から、近年のマイナス金利導入等で、既存の強固なシステムを回すだけでは足りなくなったことが、経営陣から発信されるようになった。
合理化を図らねばならぬ。
一人で二役も三役もこなさねばならぬ。
関連会社の仕事も媒介せねばならぬ。
これからを担う年次はほぼ全員が日々新しいことを覚えねばならず、一方でベテランは自分の守備範囲を広げようという気概がある人が少ない…というような状態でひずみも目立ってきた。
営業店は目標は降って来るものの、作業域ごと、担い手ごとにミッションが異なり、また勢いだけでは解決できないことも従来よりも多くなってきた。 資格を取れ取れ言われるようになったのも、従来のような情弱素人相手に新しいものを勧めるようなビジネスができなくなったからだ。
ただの目標対比の数字の進捗管理は全く害悪でしかなく、問題を気合だけで解決しようとすると将来にわたって取引が無くなるというしっぺ返しが容易に起こる。
また、親の介護、育休、鬱…定期・不定期に出社が出来ない人が続出してもいた。
そんな時に。
私は朝礼終わりに拍手をしなくなった。

拍手をしなくなった理由はシンプルで、そういう個別的な事象に対して目を瞑ってただ「目標達成あるのみ」とすることに意味を見出せなかったから。 朝礼終わりの拍手の意味は、スポーツで円陣を組むのと一緒だ。
意思統一と戦意を高揚させる効果がある。
だが、疲弊している状態で「やろうぜ!!」と言っても無駄で、また「わかんないけどとにかくやろうぜ!!」というのは、もはややるべきではない。それが通じる世の中では無くなってしまったと思う。
私は朝礼の拍手を止め、代わりに起こっている問題に対する具体的な解決策を、それこそ人繰りからレポートラインの整備、セールスプロセスの改善など、目に見えるあらゆる部分に提言を行った。
「お前が言うと店が動くんだよ」
こんなふうに言われるようになった。
そして迎えた360度フィードバック。
360度フィードバックは、要するに支店長やら課長やら評定者ではない同僚から評価を受けるということ。
決して忘れられない、この360度フィードバックの中の評価コメント。

「朝礼で拍手をしないなど、協調性が無い部分が見られる」

俺は銀行を辞めた(ノ∀`)アチャー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?