現在の私に至るまでの話②

幼少期に場面緘黙があり、それを親に受け入れて貰えなかった私。話さない事がコンプレックスとなり、接客業界へ飛び込むも、体調を崩し、うつ病の診断から療養期間を経て、介護業界へと転職したものの、健康診断の結果の改善が見られなかった私は、会社の都合で、退職することに。(このくだりは、これ以降の記事では書かない事にしたい)

その後、ハローワークに通い、失業給付を貰いながら職探しをするも、なかなか見つからず、焦っていた私は、近所のアルバイトの張り紙を見ては、片っ端から電話をかけたのだった。

私は、ちょうどハローワークにいた時に東日本大震災を経験した。失業給付の名前が呼ばれるのを待っていた時だった。ハローワークの待合室の椅子に腰掛け、最初、後ろで誰かが貧乏ゆすりをしているかのような振動を感じた。しかし後ろを振り返ると、誰もいなかった。大きな揺れが襲ったのは次の瞬間であった。

ハローワークの照明は埋め込み式で、落下物などはなく、平穏にやり過ごした方だと思う。その後、度々襲う大きな余震に交通機関は止まり、電車で20分かかる距離を徒歩で家路についたのだった。

仕事の話に戻るが、私はカフェ併設のパン屋でサンドイッチを作る部門に入ることになった。初めて、切るコックコートにコック帽で、最初戸惑いもあったが、そこには販売に携わる人以外は同じ制服だったので、すぐに溶け込むことができた。

ただ初めての食品製造という事もあって、慣れるまでには少し時間を要した。小学校で折り紙の講師もしていた私。手先は器用なはずだったのだが、人の口に入るものなので、細心の注意を払わなければならないこと。また、チェーン店だったので、本部から送られてくる各商品の製造方法などが書かれた仕様書ファイルを見ながら作るという形式を取っていた。

普通のサンドイッチ作りは比較的すぐに慣れたのだが、見るのも触るのも初めてのピタサンド作り、これに私はかなり苦労したのだった。ピタパンとは、中が空洞になっているパンの事なのだが、これを半分に切り、仕様書を見ながら、作っていく訳で、その日の製造数は、決まっていた。例えば、10個なら、ピタパン5個を使う事になる。

初めてのピタパン作り、その日の指令数は8個だったのだが、その8個を作るのに、私は2時間もかけてしまったのだった。しかも、先輩や上司に確認してもらって一定の基準を満たしていないとロス(廃棄)対象となるのだが、私のその2時間かけて作ったピタサンドは、惜しくもロス扱いになってしまい、その場にいた先輩から店長に話が入ってしまい、私は注意を受けるのだった。

また私が入った当初はちょうど年度が変わる位の時期で、店長が変わるタイミングだった。面接を担当した店長とは、1ヶ月くらいしか一緒に働くということがなく、新しい店長になってしまった。前店長は、40代半ば位の男性の人だったが、新店長は、当時33歳の厳しい感じの人になった。また私はこの時、既に34歳になっていて、上司が年下になるというのを初めて経験するのだった。

またこの会社の人員配置は、1店舗につき、店長(社員)、別に1人か2人の社員(またはいないか)、契約社員数名とあとは「時間社員」という名前だけは社員とついているが、これは時給計算のパートやアルバイトの事を指した。この時間社員は、主婦の方など、最も短い人で1日2時間という働き方をしていたのだった。

この時、私はまだ生活保護を受給していないし、一般雇用枠で、基本的に仕事を探していた。私は、面接の時に、月に必要な額を伝えたはずなのだが、トップが代わってしまった影響もあってか、なかなか反映されることはなかった。

私は最初、朝の7時〜9時という枠を任されたのだった。同じ時間に入る人は、私の他に1人か2人で、いない時は店長自らが手伝いにきてくれるのだった。

月に13万は欲しい、私にこの1日2時間という仕打ちはかなり堪えた。その後、話し合いにより、それが7時から11時になったり、5時から9時まで、9時から15時
などと延ばされていく事になるのだが、それでもなかなかにギリギリの生活を余儀なくされたのだった。

私が最初、所属する事になったサンドイッチ部門は、15時には翌日の仕込みなども含めて、全ての業務が終了する事になっていたため、私は、その後、パン製造の部門にも入る事になった。

こちらもこちらで、私には未経験の分野だったので、大変に戸惑ったのは事実である。主な仕事は、成形(私が任される事はなかったが、生地を分割、こねて発酵する状態にするまで)、フライヤー(カレーパンや、あんドーナツなどの揚げパン類を担当)、オーブン(文字通り、パンを焼く担当)、仕上げ(クリームパンにクリームを挿入したり、あんぱんにゴマをつける、あんドーナツに砂糖をまぶすなど、商品を店頭に置ける状態にする担当)、加えて出庫〜清掃、後片付け担当(遅番が行うが、翌日の朝イチの販売分の仕込み〜清掃、フライヤーの油交換などをする)などに分けられていた。

私は、最初は15時までのサンドイッチ部門を終えて、1,2時間休憩の後、後片付け要員へと回された。ただ、後片付けだけやっていれば良いという訳ではなく、その店は朝から昼間までは、それなりに人がいるが、夕方以降に働く人はあまりおらず、夕方から閉店までの時間は、ほぼ店長と2人だけで、製造部門を回すという感じになったのだった。

ということは、成形はもう終わっていてやることはないのだが、焼く、揚げる、仕上げ、品出しもやらなければならず、結構覚える事が多かったのを覚えている。

基本的にオーブンは店長がついていたが、他の仕事などで外す場合は私が見なくてはならず、これがまた、私にとって、ことごとく向いてないと思わざるを得なかったのだった。

というのも、こちらにも全ての商品に仕様書というのがあり、〇〇パンは、オーブンの温度〇度〜〇度で、〇分焼くとあり、この温度調整がなかなか難しさを極めた。

要領のいい人は結構簡単に臨機応変に対応できるのかもしれないが、結構アタマのかたい私は、なかなかオーブンの温度が適した温度にならないからと、焼くのを躊躇っていた。そうすると、どうなるか。

①発酵器に入っていて、ちょうどよい大きさになった焼く前のパンが、規格外の大きさに膨れ上がってしまい、ロスの対象になりやすくなる。

②店頭では品切れ寸前なのに、なかなか出せない状態になる。

しかも、オーブンは積み重なるように3台設置されていて、1つのオーブンに鉄板4枚まで入れることが出来、焼く温度や時間の似通ったものを、同時焼くこともできた。私は、そういう同時進行の思考がどうにも苦手で、すぐにテンパってしまうのだった。

オーブンには、焼き色を確認する為の小窓が付けられていたが、長年の年季により、中があまりよく見えない状態で、そのため商品によっては、オーブンのドアを開けて確認する事も許されていたものの、モノによっては、開けたらしぼんでしまい、ロスになってしまうというものもあって、そういう場合はその人の器量に委ねられていた。

オーブンの配置になると、私は、事前に渡された、各商品の焼く温度の一覧表と睨めっこしながら、顔をしかめ、その間にも、「パンが大きくなっちゃうから早く焼け」と追い立てられる状況に平常心を失い、半ばパニック状態となり、ミトンをせずに、オーブンの中に手を入れて火傷を負ったりするのだった。

そんな私の駄目っぷりを見た店長は、私をオーブンから外し、厨房と事務所の往復をせわしなく、繰り返すのだった。私は、安心感を得たかと思うと、申し訳ない気持ちもあり、複雑であった。

また慣れていないが故に大変だったのが、フライヤーの油の交換作業であった。この作業も後片付け要員の人する作業の1つで、3日〜4日に1度の頻度で行うことになっていた。油の酸化の度合いを計る試験紙を浸し、色に応じて交換するかどうかを決める。

この店のフライヤーは、油の交換時に古い油を溜めるための受け皿とでもいうのか、正式な名称は覚えていないのだが、そういうものがあり、コックをひねると、フライヤーの油が下に落ち、再度コックを元に戻して、新しい油を上から投入するようになっていた。

私は、最初、先輩から油の交換作業を実際にやりながら、教わった。先輩の説明不足か、はたまた私が聞いてなかったのか、私は最初、先入観で、フライヤーと受け皿が、ホースで繋がれていると誤解してしまい、それが原因で、フライヤーの真下に受け皿がない状態で、コックをひねってしまい、厨房の床を油まみれにしてしまうという人災を起こしてしまうのだった。

初めての時は、教わった時はしなかったはずのビチャビチャという音が聞こえてきて、教わった時はこんな音しなかったのに、何の音なんだろう?と思っていたら、足元の床に油が流れ出してきた時は非常に焦ってしまった。

偶然、店長が休みの日で、その時いたもう1人の社員の人と、販売の子ひとりに手伝ってもらって、床1面に広がった油を拭き取ったのだった。

大変な目に遭った。。もう2度とこんなことは…。

と思っていたのだが、忘れた頃に、私は、また同じ事をしてしまうのだった。その時は、音を聞いてハッとし、受け皿を動かし、漏れた油は、最初の時よりは、少なかったのだが、余計な仕事を増やしたのは事実だった。この日も、偶然店長不在で、カミナリが落ちることはなかったのだが。。

そんなこんなで、シフトの方も8時間入れて頂くという事もあまりないまま、キツキツの生活を送っていた。現在は生活保護下にあるが、当時の収入は、生活保護の基準を大きく下回る、10〜11万円台で6万円のアパートに住んでいたので、4万〜5万で水道光熱費、生活費、食費を賄っていたことになり、貯金をする余裕という文字はないのだった。

長くなったので、この辺で切りたいと思います。
お読み頂きまして、ありがとうございます。

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