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私の好きな名作映画『タクシードライバー』感想・レビューと考えること


突然ですが、「何の映画が好き?」という質問に対してどの作品を挙げますか?

これまた「オススメの映画は?」という質問と同様に、相手がどんな人間かということで変わってくるので、厄介な質問です。

私は何パターンか答えを用意しているのですが、相手が結構映画について知ってそうだなと思った際、一番無難な答えとして『タクシードライバー』と答えています。

なぜならば、『タクシードライバー』はタランティーノも認める不朽の名作だからです。

SNSが炎上するような今の時代になっても、やはり変わらず評価出来る作品なのです。


『タクシードライバー』は不朽の名作


『タクシードライバー』は「不朽の名作」だと私は思っています。

本作は1976年に公開されてから、2021年に至るまでまだ45年しか経っていませんが、恐らく20年後、100年後もまだ名作と評価される作品でしょう。


ちなみに、この映画はあのタランティーノが自身の映画オールタイムランキングに長らく3位として選出していたという事実からも、映画通の方達であってもこの意見に納得させることが出来ます。

タランティーノは映画監督として評価されていることは周知の事実ですが、同時に相当な映画オタクでもあります。そのタランティーノが今までの映画の中で5本の指に入るとしていたのですから、これは優れた映画でしょう。

(だから私はデリケートな映画好きに対しても本作を「好き」だと言えるのです。)


さて、「不朽の名作」とは「いつまでも価値を失わないであろう優れた作品」のことですが、それには条件、大前提があると思います。


それは「作品が時を経ても、今と共通の価値を人々が共有していること」です。

そもそも、観る側の人間が昔と変わらず「人間」だから・根源的な社会構造が変わっていないからこそ、全ての映画は成り立っていて、名作が生まれ得る訳です。

それで『タクシードライバー』が不朽の名作だとして、現在と未来に何を共有しているのか?ということを私は取り上げたいのです。



『JOKER』が評価される時代


2019年、韓国映画の『パラサイト半地下の家族』が公開されるまでは『JOKER』旋風が吹き荒れていました。

『JOKER』を見た人が、こぞって『JOKER』を観たとか感想だとかをネットにあげていました。有名人とかモデルの人まで「観た」とかいう感想を書いていたのを当時見て、「へぇ~流行ってるんだ」と思った記憶があります。

ただ、私はそんなに劇場で観る気がなかったので、後にレンタルで観ました。


そして驚きました。

『タクシードライバー』やん!!


気になって検索してみると、そのような指摘や情報を多く見かけました。

そりゃそうですよ。ちょっと映画に明るい人なら、そう思わないのはエセです。『タクシードライバー』を観たことある人はそう思わないとオカシイ。

(※後で知ったが実際、監督は本作と『キングオブコメディ』に影響を受けたらしい)


もちろん、細かな違う点はあります。(※ロバート・デ・ニーロはこの2つの作品は「違う」と言っている)

『JOKER』の方がもう少し、主人公の境遇に自分の力ではどうしようもない元々の部分が多かった気はします。最初、主人公のアーサーには夢があって自分なりにあがいていましたし、病気も病気なんだからどうしようもないです。

一方で『タクシードライバー』のトラヴィスの方が、ベトナム帰りで不眠症(本当?)とはいえ、もう少し根が腐った「真面目系クズ」である気がします。

あと『JOKER』は、「精神症」という設定が語り視点の主人公にあるため、何が妄想で何が事実なのかという考察が入り込んでしまい、シナリオにミステリー要素があります。


しかし、大きな部分は同じです。話の根幹を私なりにまとめると以下です。

「社会からの疎外感を感じていて孤独な主人公が、世界(社会)の方が間違っているという考えに憑りつかれて凶行に及び、皮肉にもそれで自身の居場所を得てしまう」


こういう話に一定以上の評価がされるということは、どの時代も観る側の人間が以下の価値観を少なからず共有しているのだと思います。

①自身には本当の理解者がいないと思うことがある。

②世界(社会)が間違っているという考えに共感する部分がある。

③ある行為がたとえ凶行でも、人々の心の中で理解・賞賛されるものがある。



「タクシードライバー」は身近にいるはず


近年、SNSの普及により人々のネットワークがますます拡大強化され、情報・監視社会化が進んでいます。

しかし一方で、それは人々の繋がりを深めるものではなく、むしろ上辺だけの関係を保つために自分の本音を言うことが難しくなっているように思います。

だからといって、昔は昔で地に根付いた人々の狭いコミュニティしかないため、その関係を崩す可能性のあることは安易に出来ず、本音を言いだすことが難しかったはずです。


つまり、今も昔も本音を周りに言える人なんていうのは少ないのではないかと考えます。

そしてまた、勇気を振り絞って本音を言ってみても、その本音が周囲に理解されるかどうかというのは別問題です。

そんな自分の心の内を明かすことの出来ない状況下で、けれども自身だけでは処理できない程の闇を抱えてしまえば、溢れ出た感情が外向き――

つまり、社会に対しての怒りや疎外感となって募っていくことは容易に想像できます。


だからこそ、「表面では綺麗ごとを言うけれども、裏では真逆のことを思っている人」というのは思っているより多いのだろうと思います。

けれども、そういう大衆は私達の目には見えず、皆黙ってダークヒーローが現れるのを待っているのです。

これが『JOKER』ではアーサーであり、『タクシードライバー』ではトラヴィスであり、もっと分かりやすい主人公は漫画『DEATHNOTE』の夜神月だったりするのです。


例えば『DEATHNOTE』の夜神月は、生身の人間の「名前と顔」を知りながらも明確な殺意を持って殺人という非人道的行為を行う訳ですが、作中でもその行為に対して一定の理解を示す人が存在します。

また、そういう彼の行為が不快で漫画を読むのを辞めた現実の人間は、少なくとも私の知る限りではいません。

なぜなら、彼が殺人を行う対象は(一見)それ以上に残虐な行為を行った悪人であるからであり、「誤った世の中を正しい方向へ導く」という大義名分に読者が少なからず共感しているからです。


また例えば、池袋で多くの人を撥ねて二人の親子の命を奪ったにも関わらず、その社会的地位から逮捕されずに在宅起訴となった「飯塚幸三」への処分は、法律的には正当であることになってます。

けれども、多くの人が誰かがそれ以上の私刑を与えることを望んでいると私自身も思います。


こうして「世界(社会)が間違っている」という考えに共感するバックグラウンドは常に存在していて、そこに大義名分が揃えば過度な私刑やネットリンチは当然発生します。

これは『タクシードライバー』が製作されたアメリカの70年代と、SNSが炎上して自殺者が出るような日本の2020年代とは全く変わっていません。

そして、その根本はどうしようも出来ない状況に対する各個人の鬱憤であるのですから、それを解消しない限り対象は移り変わって無くなることはありません。


個人の鬱憤を外に向けないとやってられない無力な市民や労働者。

それは社会構造、いやもっと原始的なルールが変わらない以上はずっと生産されます。


だから、「タクシードライバー」は身近にいるはずなのです。

人間が「人間」である限り、「タクシードライバー(無力な市民・労働者)」は社会に生み出され、新しいトラヴィスが現れては消えていくのでしょう。

一方で、支配階級である上級国民(政治家・資本家)は高笑いです。ガス抜き程度で構造なんて変わりません。

そして『タクシードライバー』は不朽の名作であり続けるでしょう。


ちなみに、この『タクシードライバー』の35周年・40周年ディスクにはオーディオコメンタリーがついていて監督や脚本家の話が聞けるので、是非レンタルしてみて下さい。

特に脚本家の話はどういう考えで話を作っていたのかが良く分かるので、より作品を理解できます。私はサブスクよりこちらをオススメします。


ベティとアイリスという対照的な女性の位置づけや、トラヴィスの「孤独」の描き方は話作りの勉強にもなります。

「オレに用か?」という鏡の前でのセリフは、アドリブだけれども、オリジナルのものではないんです。

是非、『タクシードライバー』を噛みしめて下さい。

(記事の見出し画像にはYouTubeの予告編のキャプチャ画像を使用しました。)



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