映画『アングスト/不安』私的な感想と解説(理解)・レビュー
もしかしたら、人間にとって「理解できない」ということが一番の恐怖なのかもしれません。
何故ならば、それこそが「理不尽」に他ならないからです。
そして、この『アングスト/不安』はそういう映画です。
『アングスト/不安』を観た私の感想と解説
本作は公開初日に映画館へ観に行き、私はその完成度に驚きを覚えた映画です。
そして、この記事を書くにあたりレンタルでもう一度見直しました。
2度目の鑑賞でも、やはりこの作品は凄い作品だなと思いました。
この『アングスト/不安』という映画は1983年に公開され、多くの国で上映禁止となった映画です。
上映禁止となった理由の一つに本作は、ヴェルナー・クニーセクという殺人鬼が1980年1月に起こしたオーストリアでの一家惨殺事件を描いた作品で、バイオレンス表現が含まれているということがあります。(日本ではR15+指定)
しかし、それ以上に本作は「シリアルキラーの内面に迫る」ことを志向した独特の手法によって、観客に「不安」を与えてしまったのが大きいのだと私は思います。
というのは、この作品は恐怖演出が抜群に優れているのです。
ただ、それで演出された感情は「恐怖」というより「不安」であり、それは追われる側(=被害者)ではなく、実は追う側(=殺人者)のものである
というのが、普通のバイオレンスホラー作品とは異なる点だと思います。
では、どういう手法が使われていたのかというのを私が気付いた範囲で以下に書いていこうと思います。
シリアルキラーの内面に迫る独特な撮影手法
この映画に特筆すべきはまず何よりも、その映像です。
ワンカット目から既にこの映画は何か違うなと思うはずです。
この映画のワンカット目は主人公が歩いているシーンから始まります。
歩いているシーンは予告映像などを見てもらうと手っ取り早いのですが、なんかフラフラ・ユラユラとしていて奇妙な浮遊感があります。
私はワンカット目から船酔いのような居心地の悪さを抱きました。
何と表現すればいいのか分からないですが、背景に被写体(主人公=殺人鬼)が馴染んでいない、分離している映像になっています。
まるで背景と人物を別撮りしたみたいな感覚を受けます。
背景にはピントが合ってなくてボヤッとしている一方で、被写体にはピントが合い過ぎている。
そして、カメラ自体も被写体の動きに合わせて上下左右に動くけれども、その動きが微妙に合っていないため居心地の悪さがあります。
(※ちなみに、この映像はカメラを俳優に固定して自撮りみたいに撮っているらしいです。)
これはパンフレットの監督インタビューにも載っていましたが、自身が世界から切り離されているという主人公(=シリアルキラー)の孤独な感情を演出したものです。
そういう効果を意図した映像手法がもう一つ、本作に見られます。
それは「アングル」です。
この『アングスト』では普通の映画ではほとんど用いないアングルを多用しているという点に特徴があります。
次の画像を見て下さい。
この画像は普通の映画で多く使用されているアングルを説明しています。
普通の映画では、図のようにカメラの焦点がカメラの高さと同じ位置にある映像が大半を占めています。
加えて、そのカメラは被写体を画面の真ん中(カメラの焦点)に捉えていることが多いです。
それは画面が落ち着く・カットの場面が分かりやすい=見やすい・理解しやすいということで、観客が落ち着いてストレスなく鑑賞できるという効果があります。
これを例えば、カメラの高さは変えずに、被写体を画面の横にずらすと下のような画像になります。
先程の画像に比べて、少し被写体(ウサギ)に居心地の悪さが加わったような気がしないでしょうか?
焦点から被写体をずらすことで、その被写体の孤独感、居心地の悪さを鑑賞者に伝える意図があるようです。
ちなみに、私はこのことを『タクシードライバー』の監督オーディオコメンタリーで知りました。
しかし、『アングスト/不安』ではそれに加えてカメラの焦点がカメラの高さにありません。
『アングスト/不安』では次の画像のようなアングルが多用されています。
カメラの焦点がカメラの高さにないということは、俯瞰(上から)かアオリ(下から)の映像だということになります。
従って『アングスト/不安』では本編のほとんどが俯瞰や変なアングルで撮影されていて、しかも画面の真ん中に主人公が映らないので、まぁ~~~観ている側は落ち着きません。
この『アングスト/不安』という作品には最初に挙げた「世界を正面から捉えた構図」というのがほとんどないのです。
私が適当に数えた限りは、主人公をそのように撮ったカットというのはズーム画像を除いて、4~5カット程度しかなかったはずです。
しかも、ようやく画面が落ち着いたかと思った次の瞬間には被写体もしくはカメラが動き出しています。
「真正面」から止まった世界を切り取ったカットが「ない」と言い切ってしまっていいほど本当に少なく、このような「居心地の悪い」映像が大半を占めています。
そしてその演出された居心地の悪さとは、実は「主人公=シリアルキラー」の居心地の悪さに他ならないのです。
『アングスト/不安』で表現されたもの
これまで述べてきたように、この作品はその特異な撮影手法でシリアルキラーである主人公の内面を表現しています。
事実、購入したパンフレットの監督インタビューにも書かれていました。
監督はシリアルキラーの内面自体に興味があるようで、「なぜ人間が動物的な衝動に突き動かされて殺人を犯してしまうのか」ということを考えていたようです。
自分だけこの世界から浮いてしまっているのだという孤独感……
世界に真正面から向き合えない歪んだ認知……
常にズレたところにいるという居心地の悪さ……
そういったものは全てシリアルキラーである主人公の視点であり、感情、内面世界です。
故に『アングスト』の大半は主人公による内面の独白で構成されています。
主人公は殺人を行いながらも、自身の境遇に思いを馳せています。
そうして私達は、この映画を通してシリアルキラーの視点から世界を見せつけられるのです。
私達からすれば特殊に思える撮影方法や奇抜な演出は、実はシリアルキラーにとっては反対にそれこそが普通の世界の見え方(切り抜き方)なのだと思います。
そしてシリアルキラーの内面を、そうでない人間は(科学的にも)トレースすることは出来ません。
全く異質のモノを強制的に頭に流し込まれれば、人々は拒絶反応や恐怖心を抱きます。
だからこそ、この映画は全世界で上映中止になるし、観た人の大半は「恐怖(ホラー)」だと思うのです。
そこにあるのは快楽の為に殺人を行いたいという動物的な衝動であって、あるはずの論理的な思考はありません。
ですので、この映画を他のバイオレンスホラー映画と比べたりするのは少しズレている上ナンセンスなのだと私は思います。
なぜならば、この映画には被害者というのがある意味初めから存在しなくて、強いて言うならば世界から切り離されている(と思っている)主人公自身が最初から最後まで彼の視点では被害者なのだと言えるからです。
そこには外界からの攻撃(刺激)に対する動物的・本能的な反応しか存在しないのであって、『ハウス・ジャック・ビルト』のような殺人者独自の美学や意図など全く存在しない訳です。
だから最初から最後までこの映画は「理解」出来ない。
快か不快か、多くの人は不快な気分になるに違いないということなんだと思います。
人はまだまだそういう「理不尽」を受け入れられる段階になく、拒絶反応や恐怖心を抱くということです。
前に書いた『TENET』の感想・解説にも通ずるところがあります。
(だから、『TENET』もイマイチ評価が悪いのでしょう)
そういう部分では人間も理性的な動物なんですかね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?