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雑草エンジニア回想録⑥研修

1999年7月1日  晴れてIT業界の中小企業に転職する事ができた。そして、研修初日が始まった。

「研修」という言葉を聞いて、どのように感じられるだろう。

人によっては、何か凄い技術を学習できる素晴らしいセミナーと感じる者もいれば、受講さえすれば凡人がヒーローのように変身できるのはないかと錯覚する者もいる。そして、大学や大学院を卒業した者であれば、キャンバスや教室で教授の講義と実技を行うイメージがあるだろう。

当時の中途採用向けの研修を振り返るならば、一言でいうならば気休め程度にしか過ぎない。もしくは、美味しいコーヒーを飲んでリラックスしたり、エナジードリンクの多めのカフェインを摂取して、目が覚めて何かできそうな気がするという感じになるだけだろう。

情報工学の基礎は、令和4年より高等学校学習指導要領に基づき、共通必履修科目「情報Ⅰ」となり高校に入学及び卒業する者は、ITパスポートの資格試験が合格できる位を学べる。

更に、大学で情報工学科や人工知能関連の学科を選んだ者は、大学の授業において最低1つのプログラム言語と基礎的な技術を学ぶ。
大学院に行けば企業と連携して、現在日本市場で必要とされる先端のエンジニアの技術に関しても学習できる。

もし、現在高校1年生の学生が、IT業界のエンジニアを目指すのであれば、最低でも高校3年間、大学も含めると7年間、大学院を含めると9年間も学ぶ事ができるだろう。

企業内の新入社員研修の多くは、システム開発におけるチーム開発に必要な最低限の基礎知識と基礎技術を学ぶために用意されている。
そして、各種事業部に配属されても仕事がしやすいように、簡易なチームを作り簡易のアプリケーション開発をする事で、疑似的な仕事の流れを体験するたの肩慣らしだろう。

2024年現在では、超一流企業から多くの社内研修資料が公開されています。やる気のある方であれば、闇雲に勉強するよりはその公開された研修資料を必死に勉強するほうが付加価値が高いだろう。

大企業から中小企業まで含め、研修はあくまでも気休めであり、自分達が現場で必死に生き残り、自分達が良くなっていくには、仕事に精を尽くして日々勉強でしかない。


さて、1999年当時のなんちゃってIT企業だった私が転職した研修は、以下のようなものだったと記憶している。

・プログラムの基本
 IPOモデル、プログラムは等号式の右辺から解釈され、左から右へ処理され、等式の左辺の変数に処理結果が格納される。※.実際には、変数には処理結果が格納されているアドレスを保持している。
 一行目のプログラムの処理が終わると今度は、二行目のコードに遷移して上から下へ順次実行される。

・Javaの基本構文
 変数定義、mainメソッド、条件節、ループ文、型定義、クラス、メソッド、プロパティ、継承、パッケージ、外部ライブラリの使用、・・・・

・管理アプリケーションの作成
   JDBCドライバ、Oracleにユーザーの作成、データベースの作成、テーブルの作成、データの初期登録、SQL文の発行、トランザクション

・簡易Webの作成
   Aapcheのインストール、HTMLファイルの作成

恐らくこんな感じだろう。
1999年当時は、構成管理ツールであるGitやSubversionなども存在していなかった。更に現在では各プログラム言語を実装各種GUIベースの優れた開発ツールがあるが、当時はテキストエディタだけで対応していた。

Webアプリケーションサーバーも無ければ、フロント技術のフレームワークもバックエンドのフレームワークも存在しない。無い無いだらけの時代だった。

1999年の中途採用向け研修は、当時の自分は比較的サクサク進行していたと思いますが、ちょっと油断すると進行の早さに置いて行かれる感じだった。


中小企業でも大企業でも、大体研修のカリキュラム進行は早すぎる。講師の人件費・教育期間の社員の人件費・教育に利用する設備や場所の費用など1円も売上に結びつかないコストなので、大概何とか形式的に研修しましたというのが多い。

経験者向け研修を除いて、このようなカリキュラムで2~3ヶ月の研修というのは、受講者側は研修を終わると頭が空っぽになります。
現場で仕事として成果を求められるようになって、初めて「昔研修でこんな事やったな~」という程度に思い出す。


話は、変わりますが私はIT業界で中小企業の若手エンジニアにコーディングを教育する事があります。
私の教育方法は、非常に変わっていますが、非常に受講者の成長率が高い教育メソッドを提供しています。

研修といえば、以下のような繰り替えしだろう。
1.講師がテキストを生徒に配布
2.講師がホワイトボードに説明
3.生徒が実習。
4.講師が成果を確認

このような研修は、無駄では無いが非常に徒労に終わり易い。
それでは、私の教育の流れをお伝えしたい。

1.講師はこれから1時間以内で作業するテーマを伝える。
  例えば、Pythonでループの構文をテーマにすると伝える。
2.生徒は、Webや自分で購入した入門書籍何をみても良い。
3.生徒は、1時間以内に他の生徒に分かりやすいサンプルを作成する。
4.生徒は順番にできた成果を全員の前で3分以内で披露する。
5.講師は、生徒と軽く会話してフォローした上で拍手する。
6.最後の纏めに注意事項やポイントを取り纏めて、講師が作成したサンプルを生徒に展開する。

この参加型教育メソッドは、非常にコストが掛かり一流の技術1名に対して生徒4~6名が限界だろう。それでも、このような参加型教育カリキュラムに参加したエンジニアの多くは、1時間1時間を受け身にならずに必死にやる。気が付けば、私の狙い通り集中して作業をして、集中して高品質の基本に忠実な成果ができる訓練ができます。

重要なポイントは、全く知らない初心者でも経験数年生でも、全員に発表するというノルマを与えると、その人のもつ最大の能力を持って、その時最善と思われる表現をしようと考える癖がつきます。

この中で、重要な事は生徒が1行しか書けなくても、どんなに下手な説明でも仲間と拍手してたたえ合う事だろう。その上で、一流講師の私が直接指導する事もあれば、生徒で一番教えたがる子にお願いしてフォローをお願いする。

このような事を何十、何百と繰り返すていくと、自然とエンジニア達がどのようなスキルでも全員がそれぞれに対して敬意を持った上でチームワークが自然と芽生えていく。

そして、慣れてきたら時間を短縮して、テーマに応じて10分~30分にしていく工夫をします。そして、日数と習熟度に応じて疑似的なプリケーションの作成をチーム全員で行い、スケジュールとタスクを明確にして行います。


さて、1999年当時の研修の話に戻させて頂くと、今振り返るとそこで一番その後の人生で役立った事は以下の1点だった。

IPOモデル。

I ; Input(入力)
P:Process(処理)
O:OutPut(出力)

複雑なシステムでもアプリでも、必ず入力-処理-出力の構成で処理されており、機能を把握する上でも新しく作る上でも常に上記IPOを意識するとシステム開発におけるあらゆる事が整理整頓できる。


2ヶ月間の研修を終えると一番良かったのが、色々な人生を経験した中途半端な24~27歳の青年・女性達が何とも言えない仲間意識現場に乗り込むモチベーションが高まった事だろう。

それと、研修の良い所は、簡単なサンプルの作成でも小さな自尊心が芽生え、少しでも勉強しよう、そしてより自分が表現できる幅を増やそうというやる気が沸く所だろう。

また、教育に関しては、人事採用とも同じになりますが、会社で一番脂の乗った最前線で戦うエンジニアが担当した方が良いだろう。
即ち、35歳前後の現場でリーダーを張れる位の人件費が高い者が教育した方が良いだろう。何故ならば、新人達は講師の背中と技術をみて、それを基準とした上で以後のエンジニア生活を送るから、人物的に魅力がありハイスキルの人材を教育にまわすべきだろう。


1999年8月末頃に2ヶ月の研修が終わり、RPGでいうレベル1のなんちゃって勇者(エンジニア)は、木の棒と皮の盾そして気休め程度の勇気の心と希望と夢を持ち合わせて、久しぶりの現場に向かうのであった。


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