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カタリナと時間

今年の冬は、雪の積もる山間の家で静かに過ごしている。幼少期の遊び場だった公園を散歩したとき、ここはこんなにも小さい場所だっただろうかと、不思議な感覚に陥った。こうした不意な出来事を通して、時間の変化に感覚を研ぎ澄ますことは、年の瀬だからこそなのかもしれない。

政治社会が海を超えて同一のテーマを共有した一年は、自身の関心がひとやその周辺事物の内面に大きくシフトしたという意味で、極めて独特なものだった。そして、仕事もプライベートも、昨年以上に多くの取捨選択を迫られた、個人的としては非常に苦しい時間でもあった(歳をとるとはそういうことなのかも、もは思うけれど)

ヴィータとカタリナ

年内最後の仕事を納めたあと、ブラジル出身の人類学者ジョアオ・ビールによる著作『ヴィータ 遺棄された者たちの生』(原題 VITA: Life in a Zone of Social Abandonment)を読んだ。600頁を超える壮大なエスノグラフィは、ブラジル南部の保護施設「ヴィータ」に行き着いた行き場のない薬物依存者、精神病患者、そしてそこで出会ったカタリナという女性に目を向ける。そこで人類学者が目にしたのは、「言葉を忘れないために」と言って詩のような言葉をノートに書き続ける姿だった。

そのなかに、印象的な詩がある。

「わたし、それはわたしの行くところ、それがわたしというもの」

「空白のページは 私に夢など見させない それは私を明白で正確な詩へと駆り立てる」

日々衰弱を見せるカタリナは、ジョアオがそろそろ帰る時間だと告げると、こう言った。

「あなたは時を刻むひとね」

投薬と病により不自由さを増す身体を持ちながら、カタリナの内面は平常を維持し、ヴィータに「社会的に遺棄」されるまでの悲壮的な家族問題、困窮、病の経験をもとに詩的な言葉が書き連ねられる。それはカタリナによる、自身を社会的死へと追いやった過去へのまなざしであり、忘却を阻止することによってより良い未来を切り拓く行為への意志であった。そして、そこに垣間見られるのは、大胆な時間軸の移動であり、生に対する極限までの願いである。

「すべてに物語がある」と言ったのはジル・ドゥルーズだが、ジョアオは同じ章の中でこう補足する。

「哲学者は概念で物語を語る。映画制作者は動作と時間の長さからなる場面(ブロック)で、物語を語る。人類学者は、あえていえば、人間が変容していく出来事をとおして物語を語る。つまり、生きることを学び、生き延び、死を受け入れるのを学ぶのではなくあらゆる可能なやり方で死に対抗している人びと、そうしなければ忘れ去られたままになってしまう人びとが、人類学の物語の登場人物なのだ。」

人類学に関わる(そして今年さらに深くのめり込む)身としてエスノグラフィの方を再認識できたと同時に、わたしたち個々人の時間の流れに対するまなざしと、それらに敬意を払い忠実に描く営みを、わたしはどこまでできるとだろうかと考えている。

2020年に読んだもの

毎年の習慣になりつつあるが、2020年に読んだ本の一部を、ここに残しておきたい。

鷲田清一『待つということ』
たとえばこの一年を振り返ったときに、真に「待つ」という体験は、どれほどあっただろうかと思う。それは、仕事の締め切りに向かって前のめりにひた走る行為ではないし、予め決められた週末の予定を楽しみにすることでもない。やってくるかどうかも分からないひと、起こりうるかもしれないものごと、返ってくるかも不明な返事を待つこと、なんらかの不可能性を伴う未来に対する態度と、それに関する哲学的論考。

ジョアオ・ビール『ヴィータ 遺棄された者たちの生』
ブラジル南部、精神疾患や薬物依存など、さまざまな理由で親族や社会から「遺棄」された人びとが暮らす保護施設「ヴィータ」。人類学者は、そこで詩のような言葉を綴る女性 カタリナと出会う。社会の周縁に追いやられ、忘却された存在の生にカタリナを通して向き合い、人類学の可能性を詩的に記した壮大なエスノグラフィ。

山本耀司『服を作る モードを超えて』
ヨウジヤマモトの服は個人的にも好きでよく着るのだが、「理想の着こなしは、ノマドたちだね。近づくと少し臭いけど」と、どこかのインタビューで答えていたシーンが印象的だった。どこか日本的な要素と、第二の肌として「着込んでいくこと」への思想はひとを惹きつけるものがある。鷲田清一は「ヨウジヤマモトの服は、脱いだ後が良い」と言っていたが、脱ぎ捨てられた服に自分を投射することは、何かと詩的な没入感があると思う。

セルジュ・ラトゥーシュ『脱成長』
地球の再生産能力は、経済的需要にもう追いつかない。ラトゥーシュはグローバル化した資本主義にとって代わるさまざまなオルタナティブの母胎として、「脱成長」のプロジェクトを位置付ける。「多くの世界がその居場所を見つけられる世界をつくる」という問題関心に発した提起。

ヘッセ『シッダールタ』
夏の誕生日に、友人から贈ってもらった一冊。ひさびさに手にした小説だったが、登場人物の内面的なゆらぎと、対話する先の自然の描写は、芸術的欲求を満たしてくれる。

Arturo Escovar『Designs for the Pluriverse』
人類学者がデザインの行く末を論じた大胆な著作。デザイン実践者と人類学研究者が集ったディスカッションでは、多元的世界とそこに存在する多様な文化が、各々繁栄できるような社会イメージと、デザインや人類学がとっていくべき態度と実践について議論がなされた。

タゴール『タゴール詩集』
ベンガルの肥沃な大地を舞台に、ひとと自然との交わり、自然界の偉大さを言葉の力で描いた名作集。バングラデシュに行きたい。

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一橋社会学→リクルート事業企画→欧州人類学修士過程(21年). 人類学、デザイン、ビジネスの交差点について学んでいます.