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映画「わたしは光をにぎっている」中川龍太郎監督との出会い

「こんなに美しい日本映画を作る若者がいる。」鈴木敏夫(スタジオジブリ)という推薦の言葉を見て、嫉妬に狂いそうになった。僕が(勝手に)敬愛する鈴木さんに激賞される才能。中川龍太郎さんとの出会いだった。

鈴木さんの褒め言葉に「どんなもんじゃい!」と僕は新宿武蔵野館に、中川さんの「わたしは光をにぎっている」(通称わたひか)を観に行った。

腰が砕けるほど感動した。まあ、油断してました。涙が出るわ出るわ。勘弁して欲しかった。「こんなすげえもん、同い年のヤツがつくっちゃうの。おいおい反則だろ」と。上映後に、中川さんと俳優の光石さんとのトークがあった。これがまた最高に面白いトークで中川さんのしゃべりっぷり、まあかっこいい。これが男が男に惚れる瞬間だった。

一週間後、執筆の相棒である西山ともう一度観に行った。僕は思う存分涙が出てきても平気なように、西山と離れた席のチケットを買った。2回目観てみると、驚いた。前よりも細部を身体が捉えていた。初回以上にこの映画が身体に染み込んでくるのを感じた。正直、困った。身体が、中川さんの映画にどうしようもなく喜んでいた。西山と新宿の一休で大学生たちに囲まれながら感想を話した。僕は、一休で全身の震えを抑えるために、しばらくボーとしていた。中川さんの映画を観た後には、世界が美しく見えた。新宿の夜の街並みや一休で騒ぐ大学生たち、なんてことのない風景がかけがえのないものに感じた。西山に相談した。「中川さんに連絡して、この映画について語りたい」

その翌日、僕は早稲田のカフェで中川さんの映画会社のメールアドレスあてに書いた。「映画めっちゃしびれました。中川監督を囲んで、この映画について語り合う会を開きたい」と。翌日くらいに中川さんが返事をくれた。「そんな風に作品を気に入ってくださって本当にこちらこそ感謝です。ぜひ僕も参加させてもらえましたら幸いです。」偶然にも中川さんはジブリ熱風での僕の育児連載を読んでいた。

友人たち20名ほどに声をかけて、新宿武蔵野館で3回目の「わたひか」を観た。いや、さすがにもう涙も枯れたわ、と思っていたら、またやられた。それどころか、回を重ねるごとに僕の身体の芯の深いところに響いてくる。困った。控えめにいって最高の映画体験だった。劇場で映画を3回観たのは30年の人生で初めてだった。上映後、僕たち一行はルノアールの会議室に行って、やってきた中川監督を囲んだ。それはもう盛り上がった。銭湯を舞台にした作品「メゾン刻の湯」を書いた作家の小野美由紀さんも登場。二人の対談も盛り上がった。この様子はスタジオジブリ熱風2020年2月号にかなりの紙面を割いてもらい掲載された。いつかみなさんにも読んでいただけるといいのだけど。

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友人たちを前に語る中川さん(写真 Taro Karibe)

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会場に出没した息子(写真 Taro Karibe)

その日、夜にまったく関係ないパネルディスカッションに登壇した。テーマは令和時代の働き方。そこで僕はなぜか1ファンにも関わらず「わたひか」について語りまくった。

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「わたしは光にぎっている」のパンフレットを握りしめて語り倒す僕。まるでプロデューサーのようだ。(中川さんには一回しか会ったことがない:当時)

中川さんの代表作「走れ、絶望に追いつかれない速さで」これも大好き。

あまりの敬愛の想いに、最新刊「未来の学校のつくりかた」(6/1刊行予定)の重要シーンにもこの映画が登場します。ぜひ探してみてください。


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