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時間という信用

時給が高い。

若いころ、それだけの理由で魚屋のアルバイトをし、店に慣れてくると社員に頼まれ築地市場へよく行った。

朝の6時頃に着くと、市場は人でごった返していた。
明け方の2時から3時に担当の社員が競り落とした商品のリストを貰い、彼らとバトンタッチする。
僕はそのリストを持って市場をぐるぐると回りながら集荷をし、店のトラックへ淡々と積み込んだ。

最初は右も左もわからないまま市場を彷徨い、市場内を走るターレーに轢かれそうになったり、よそ見するなと怒鳴られたりしながら、毎日少しずつ段取りや作業を覚えた。

特に印象的だったのはマグロ屋で、そこで働く職人は無愛想で一言も口を聞いてくれなかった。
毎朝僕は一方的に挨拶をし、黙々と荷物を運んだ。
だが数ヶ月間顔を出し続けたある日、こちらのことを覚えてくれたのか、突然世間話をしてきたことがあった。
どんな会話だったかはもう覚えていないが、当時はそのことが妙に嬉しかった。

この独特の嬉しさの感情は何から発生したのか、思い出す度に考えるようになった。

社会人になっても、仕事の始まりは淡々としている。
相手の商品を買いたい、相手へ商品を売りたいというシンプルな構造は、そこに特別な感情は無くても取引そのものはできる。
そこには相手と気が合う、合わないも必要無く、個人的な好き嫌いも関係無い。

仕事の多くは、最初から利害と対価はわかりやすく設定されているので、取引したい相手に対し、お世辞や気を使う必要が無い、という見方もできる。

毎回ご機嫌を伺わないとジュースが出てこない自動販売機があったら、嫌すぎる。

例えがしっくりこないけど。

これは”仕事に情熱を持つ”というフィールドを否定するものではない。
ビジネスで損をしたり、得をするという話でもない。
ただ、取引におけるコミュニケーションのみを切り取ってみると、あまりのシンプルさ故に冷たく感じることがある。

海外に出るとこれはより顕著で、取引したい相手にいきなり熱を語っても、たぶん怪訝な顔をされる。
わざわざ遠い国に足を運んでまで会う理由は、その相手と取引をしたいからであって、最初にそのことを伝え、双方が合意すれば仕事は始まる。

業務そのものはAIがやってもできるんじゃないかと思うようなメールのやり取りを繰り返すし、淡々と約定されていく。

ただ数多ある仕事の中でも、長く続く仕事が生まれることがある。
長く続くということは、お互いの利害が一致しているということなのだけど、そこには静かに信用が蓄積されている。

仕事が長年維持できることは本当にむつかしいが、継続という時間の信用が積み重なると、いつかは相手を知りたいと思う瞬間が訪れる。

あの時に感じた嬉しさは、きっとそういうことなんだろう。

そんなことを、寝る前にぼんやりと考えた。

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