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恥をかかなければ

恥をかくのが嫌いだ、と気づいた。

私にとっての「恥」とは、「言葉にされない恥」である。表面上にこやかに接してくれている相手が、内心で「あ〜、この人全然わかってないんだな」とか「あ〜、こういうパターンね、はいはい」みたいな、見透かされている感みたいなものがとてもとても苦手で、相手の顔色を常に窺って余計な想像を膨らませてしまう。

例えば、歯医者に行くのが苦手だ。なぜかというと、痛くて怖いからということではなく、「あー、この人歯を大切にしてこなかったんだろうな」と見透かされるのが明らかであるからだ。もちろん、歯医者はそんなことを言わないし、思っているかどうかも定かではない。もはやそんな人たちのことは見慣れていると思うので、なんとも思わないかもしれない。しかし、そう思われる可能性がある、それに対して自分は「はい、そうなんです」としか言えない状況がたまらなく恥ずかしく、とても軽い意味で「死にて〜〜」と思ってしまう。
ちなみに全く同じ理由で美容院や車の点検など、ざっくり言うと「自分よりある分野で知見がある人」に対して、自分の程度の低さを曝け出すことが極端に怖いと感じる。

しかし、それを怠るとどうなるかは、説明の必要がないだろう。恥をかかなければ、自分の状況をよくしようと行動することさえできない。恥をかいて初めて、人は前に進めるのだ。

多くの人にとっては当たり前のことかもしれないが、自分にとってはそこに妙な自意識(プライドのようなもの?)が邪魔をしてとても困難に感じる。人に何かを褒められたり、例えば自分の作った作品を見てもらうときに、「あ、あのこれ、なんか作ってみたんですよね、まあそんなに大したものじゃないんですけどwwあははww」みたいな謎の自己卑下を挟んでしまうのは、それに対する無意識の防御意識が働くためだ。

そこを乗り越えたい。自分が相手にどう思われようが、自分の至らなさを認める、受け入れることが必要だ。その時に、自己否定でも現実逃避でもなく、「あ〜、自分できてないな」と軽く受け入れて次の行動に繋げられるようなマインドを、今更ながら作らなければ、と、もうすぐ27歳になる今頃になって気づいた。


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