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リーフの歴史⑪ ~再び建築へ~

事業のライフサイクルはめまぐるしく、そして短い。ブライダル家具を体に安全安心な天然木オイル仕上で、しかもデザインをトータルコーディネートしたシャルドネのスタイルは、急激なブライダル時の家具購入の減少に伴い、事業構造の転換を余儀なくされる。当時、岐阜にあった本部が打ち出した方向性は「ブライダル家具」から「リビングダイニング家具」そして、「キッチン」だった。当時、家具を購入されたお客様が新築をされるとき、ご購入いただいた家具に合わせて同じ素材、デザインでキッチンやそのバックキャビネットを提供できるというのは、お客様にとっても大きなメリットだった。

しかし、多くの加盟店は当然ながらキッチンの販売や施工経験がなく、導入に2の足を踏んでいた。ここで、昔エンドウプランニングで学んだオーダーキッチンの設計や施工の経験が生きた。いち早く導入を決めた当社には遠く、広島や松山、高松など遠方のお客様からのご注文もあった。取付施工も、自分率先して手本を見せ、家具の配送スタッフに覚えてもらった。1年経つ頃にはほぼ、配送スタッフでも取付ができる様になる。

家具だけでなく、キッチンもトータルにコーディネートできるようになったことで、お客様からの要望やこちらからの提案の幅もぐっと広がった。自分自身も、お客様が建てられた新築のお家に納品や取付をしていて、せっかく天然木の家具キッチンを納めたのに、複合フローリングや化粧板のドア、ビニールクロスでできた室内に残念な思いがしていた。

自分自身、天然木に囲まれたような店内で何年も仕事をしていると、化学物質に敏感になり、たまに視察で訪れるハウスメーカーのモデルハウスや新築まもない商業施設、あるいは、お客様の新築現場に行くと刺激臭が鼻につき、涙ぐむこともしばしばあった。

衝撃的だったのは、テレビでよくコマーシャルをやっている某大手ハウスメーカーの現場に数日間、取付工事で通っていた時に、接着剤だか塗料だか、ものすごいシンナー臭が充満していて、工事が終わってから発熱で2日間ほど寝込んでしまったことだった。

「こんな環境の住宅を大手メーカーは平気で提供しているのか」

と考えると、なんだか怖くなってきた。

そのころになると、お客様からも「家具やキッチンに似合うような部屋にリフォームしたい」とか「凍家具キッチンが似合うような家を建てたい」という声をいただくようになる。そこで、思い切って南港ショールームを改装することにした。床には杉板を貼り、自分たちで自然塗料を塗装。壁も自分たちで珪藻土を塗り、天然木の化粧梁も作った。要所要所にニッチも作り、自分たちが本当に進めたい住空間を店内で再現した。

そのような動きが全国のお店、また本部にも広がり、ついに「シャルドネホーム」事業がスタートした。色々と紆余曲折あったものの、ふたたび建築の世界に戻れることに喜びを感じた。とはいうものの、20年近いブランク。エンドウプランニング時代は単なる設計者の立場だったが、今度は営業も、施工も全て見ていかないといけない。住宅ローンの知識も常にブラッシュアップが必要だった。

ある時、当時のスタッフが某大手金融機関に住宅ローンの書類を取りに行ったときに「宅建の資格もないのにローンのあっせんされても困るんだけどね」と冷たい言葉を投げ掛かられたと憤慨して帰ってきた。こうゆうときに自分は燃える。「無ければ取ればいい。」そこから、毎晩宅建の勉強を始めた。最初の試験は準備不足で不合格になったが、2度目の試験で無事合格。会社も宅地建物取引業の登録を行い、不動産業務も堂々と行えるようになった。

これと前後して、1級建築士事務所、建設業の許可も取得。元々の事業である、「天然木のオーダー家具、キッチン」を合わせ、住宅の設計施工、不動産仲介まで含めた、住まいに関するワンストップサービスを提供できる素地が整った。

当社での住宅事業最初のお客様はほぼ同時期に2件いらした。どちらも、ご結婚の時にシャルドネの家具を買いそろえておられ、長年のファンでいて下さった大切なお客様だった。まだ、モデルハウスも実際の施工例も関西には無い時、遠くまで見に行っていただいたり、大変なご苦労をいただいた。工事が進行し、次第に形になっていく時、エンドウプランニング時代に先輩から学んだ言葉を思い出した。さすがに、宿泊まではしなかったが、自分の手で、すべての床を雑巾がけしていった、

すっと昔に、大学の進路を決める際に考えていたこと

「家具を家具だけでなく、建築の視点からみて提案する。」

「建築を建築だけでなく、家具インテリアの視点から見て提案する。」

この思いが実現した瞬間だった。


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