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「エイリアンズ」の愛すべき支離滅裂さ

「エイリアンズ」というキリンジ(※)を代表する曲がある。
郊外の静かな夜を舞台にした、独特の物憂げな浮遊感と繊細な世界観を持った名曲であるが、その歌詞も大変すばらしい。

キリンジ - エイリアンズ
https://www.youtube.com/watch?v=w05Q_aZKkFw&list=PLv73Fyc21liERfcVu1lnWTLmNDnCuepga&index=1

歌詞はコチラ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B07002

「エイリアンズ」の歌詞の解釈は聴き手の数だけあってよいし、その多様な可能性は「エイリアンズ」の魅力の一つでもあるが、ここでは自分なりの解釈を書いてみたいと思う。

「禁断の実ほおばっては 月の裏を夢みて」

「エイリアンズ」はラブソングであるが、曲名に「異星人」などと訳される言葉が当てられていることからしてユニークである(そして聴き手は「エイリアンズ」の意味するところに想いをめぐらせることになる)。

曲中では、意図的に「エイリアン」と「エイリアンズ」が使い分けられているが、「まるで僕らはエイリアンズ」という複数形の表現は、二重の意味を持つように感じられる。

ひとつは、どことなく社会から疎外感を感じながら、寄り添うふたりという意味である。
甘美なメロディーからロマンチックな情景を思い浮かべる聞き手は少なくないだろう。

だが、もうひとつは、そのふたりもまたちぐはぐである(わかり合えていない)というある種の残酷さを伴ったニュアンスである。

例えば、「禁断の実ほおばっては 月の裏を夢みて」という歌詞がある。
月の公転速度と自転の速度が同一であることから、地球からは「月の裏」は見えない。
それを夢みるというのは、恋人に対して幻想を抱いていることのメタファーであろう。

さらには、より直截な「ないものねだり」というフレーズも登場する。

「誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ」

おそらく人は、理解され、承認されたいという根源的な欲求を有しており、特に恋人に対しては、その欲求を満たしてもらいたいと願う傾向にある。
そうであるとすれば、わかり合えないことは、本来、二人の関係において致命的ですらありうる。

そうでありながら「エイリアンズ」が甘美なラブソングとして成立しているのは、夜の歌であることが決定的に重要な意味を持つように思える。

つまり、「エイリアンズ」では、
「誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ」
「街灯に沿って歩けば ごらん新世界のようさ」
「暗いニュースが日の出とともに町に降る前に」
などの夜にまつわるフレーズが登場する。

夜は暗く、秘密性があり、不都合な真実を覆い隠す寛大さを持つ。
「エイリアンズ」では、夜がネガティブなものを打ち消す(不都合な状態を解消するというよりは、あえて目を瞑る)要素として援用されているように思える。
ある種の秘密性・寛大さによって、かみ合わない二人の関係性は維持されていると解釈することもできるのである。

「僕の短所をジョークにしても 眉をひそめないで」

だが、「エイリアンズ」の真骨頂は、わかりあえないことに目を瞑るのみならず、わかりあえないことを所与としつつ、それでも「キミが好きだ」と言い放つ、一種の支離滅裂さにある。

「エイリアンズ」では、「僕の短所をジョークにしても 眉をひそめないで」という秀逸なフレーズが登場する。
ジョークを言う「僕」は相手に笑ってほしいと思っているのに、相手は眉をひそめている。
悲しいほどにかみあっていないが、ここでは、恋人に対して「僕の短所をジョークにした」ことが決定的に重要である。

「僕の短所をジョークにする」という態度の本質は、自分のことをありのままに承認してほしいという願望にほかならない。
ストレートに承認を求めることは気恥ずかしいから、おどけた方法で承認を求めるという態度をとっていると思える。
わかり合えないと知りながら、わかってもらいたいという恋人に対する甘えの気持ち(一種の矛盾した気持ち)が捨て去れていないのである。

「キミが好きだよ エイリアン」

この支離滅裂さは、「エイリアンズ」のサビでさらに際立つことになる。

サビでは、「キミが好きだよ エイリアン」などのフレーズが登場するが、
他ではさんざん難解で文学的な歌詞を当てながら、あえて「好きだ」などのストレートな言葉を当てているのは、間違いなく確信犯であろう。

しかも、呼びかけの言葉は「エイリアン」である。
好きな人に対し、異星人という意味の言葉で呼びかけながら、ストレートに「好きだ」とも伝える。
さらにいえば、「キミが好きだ」という気持ちは、曲が進むにつれて「キミを愛してる エイリアン」「大好きさエイリアン」と深まっていく。
わかり合えないというあきらめと恋愛感情がないまぜになったまま、より強く、深いものになっていくのである。

究極的にはわかりあえないという事実が存在するとしても、だからといって人を好きになるな、人を愛するなといえるものでもない。
それは哀しく、滑稽でもあるが、えてして人とはそういうものなのだろう。
アイロニーとロマンスが併存し、有機的に作用しあう世界である。

誰しもが「エイリアン」であるということ

「エイリアンズ」は恋愛の歌であるが、おそらく人は誰しも疎外された孤独な存在であり、究極的にはわかりあえないのだろう。
そのくせ人は、厄介なことに、一人で生きることが幸福とも限らず、他者と共生したいと願う社会的動物である。
そのような矛盾にどう向き合うかは、「よく生きる」ことを考える上で無視できない論点であるように思う。

わかり合えないからといって、ただ嘆いたり、あるいは諦念から自分の世界に閉じこもることを選ぶわけでもない精神態度、そして、わかり合えないことを所与の前提としつつ、なお「好きだ」「愛している」とまっすぐに伝える開き直った強さこそが「エイリアンズ」の魅力である。
「エイリアンズ」は大切な示唆をくれるし、なにより、そのすばらしい楽曲に耳を傾けると、たとえ究極的には孤独であるとしても、それでも世界は好ましく、甘美なものであることも教えてくれる。

(※)2013年に堀込泰行の脱退に伴い「キリンジ」から「KIRINJI」にバンド名が変更されたが、2000年のリリース当時のバンド名に従った。


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