ミニマル研究生活

ハンガリーで外出規制が始まって約一ヶ月ほどが経った。基本的に買い物と散歩でしか外に出かけない。隣に住んでいる大家さんとスーパー・市場で働いている人々を除いては、徒歩五分のところに進んでいる友人とも会っていない。

ほぼ全ての研究生活がオンラインに移行した。大学が閉鎖になった次の週から授業、輪読会、ラボミーティングはMicrosoft TeamsかZoomで行うことになり、数週間後にはゲストスピーカーを招いて講演会も始まった。最初は混乱でみんな悲観的だったが、今はむしろ普段は呼べないスピーカー(アメリカ、アジアなどヨーロッパから遠いところに住んでいる人々)を招待出来たり、普段参加できない他国のイベントに参加出来たりして、悪いことばかりではないということに気づく。それもこれも全てインターネットとその接続環境があるおかげである。

元々私の研究生活はあまり時間に縛られておらず、また誰にも管理されていないので、そういう意味においてはただ場所が変わっただけである。オフィスに行くか家にいるかかの違いで、本質的なところに変わりはない。細かいことをいえば、人間相手に実験をしているので、データ収集にまつわることは何もできないが、それ以外の論文執筆、プログラミング(実験環境作成、データ分析)や文献を読むなどというほとんどの作業はパソコン一台あればできる。

とはいえ、毎日朝九時から夕方六時頃までオフィスに通っていた私としては、今までの研究生活が全く壊れてしまったのは日常生活と同様である。この状態がいつまで続くかわからないが、一時的に状態を凌ぐというよりかは、むしろ新しい生活を作り上げるのに良いタイミングなのかもしれないと思うようになった。コロナ前から研究生活がずっとうまく行ってみなかった自分としては日常生活同様、研究生活も何が必要で何がいらないのかを考える機会なのだと思う。

世界的な規模で起こっていることだし、自分のせいではない(意図とは関係ない)ことであるがために、多くの人にとって受け入れがたい事態だろうが、個人の人生で生活の破壊と再生はある一定周期で起こっていることにも気づく。多くの人は一人暮らしをしたり、結婚して誰かと住んだり、子供が出来たり、親を介護したり、色んなライフイベントによって自分の生活を修正しているはずなのだ。私の場合だと大きくは京都で一人暮らしを始めた時、次はヨーロッパに来て海外生活を始めた時である。

先のことを考えて計画しない(しすぎない)

コロナがいつ収まっていつから普段通りの生活が始まるんだろうと考えることはあまり意味がない気がする。日本はまだ緊急宣言が出たばかりで、人々がどのように未来を見ているのかわからないが、私は外出規制が始まった当初一ヶ月程度在宅作業になるのかとなんとなくぼんやり考えていたが、今一ヶ月経ってみて、あと少なくとも二、三ヶ月ぐらいこの状態なんだろうなと思っている。外出規制がなくなったあとも、何もなかったように前のような生活になるのかすら怪しい。日常生活同様に、研究生活一般の常識みたいなのが変わってしまう可能性すらある。

結局わからない先のことを考えて計画する(しすぎる)のはあまり意味がない。これは別に今のような状況じゃなくてもある程度真であるかのように思う。自分の計画が思うように進まないのは色んな要因があって、ある程度柔軟に対応できる方が、自分にも周りにもストレスがかからなくてよい。研究者のキャリアは自分たちの業績によって評価されるので、なるべく効率的に生産性をあげたい人が多いだろうが、ガチガチに固めた計画よりは、都度細かな修正によって軌道を変えれるしなやかな思考の方が、今の時代のような不安定なときには強いような気がする。

これはマインドセットのようなもので、かねてからなるべく効率よく無駄のない研究をしたいと思っていたが、それで悶々と頭の中で考えるよりはとりあえず手を動かして、進まなかったらまぁいいやという気持ちでとりあえずやってみようとおもう。

現時点で出来ることと出来ないことを分ける

とはいえ外出制限中に計画なしで過ごすのは非常に危険である。前に書いたミニマル日常生活をそろそろアップデートしようと思っているが、ずっと誰とも合わずに過ごすと曜日の感覚は愚か、一日が始まって終わる感覚が薄れていく。なのでスケジュールを立てるのは、いつもより意識しなければならない。

まずスケジュールを立てる前に、研究の中で出来ることと出来ないことを分ける。そして今の現状で出来ないことに関して、もし考えなくても良いならばなるべく考えないことに。将来の不確定なことを考えるのは、不安を促進しストレスを増幅させるとおもう。

例えば私の場合だったら、

出来ること
1. 論文執筆(二枚分)
  - 一本目の直し(主に序論と結論)
  - 二本目を書き始める(方法と結果)
  - 出来たら論文ジャーナルに提出・結果を待つ
2. データ分析
  - 一本目の図の作り直し
  - 二本目の追加分析
3. 実験刺激の作成
  - 前の実験データから次の実験に使う刺激(演奏ファイル)を作る
  - そのために必要な各演奏の特徴をまとめた分析をする
4. 実験環境の作成
   - 3.で作った演奏を参加者に聞かせて、彼らの反応(演奏)を録音するプログラムを書く
5. 文献を読む

出来ないこと
5. 上の4.まで出来たとして、実験環境をラボに行ってセッティング
6. データ収集

と言った具合である。見て分かる通り、ほとんどのことが出来るので、当面はあまり心配していない。とは言え私の分野(実験心理学)でデータが収集できないというのは致命的なので、全く考えないというのは難しい。しかしとにかく今は優先順位を下げて、オンライン実験の方法なども暇つぶし程度に考えて、当面は出来ることに集中したい。

タスクを分けてさらに優先順位をつけるということはもちろん普段からやらなければいけないことなのだが、いつもは何でも出来る状況にいるからこそ優先順位付けが下手くそだった気がするので、この期間を機にうまい方法を学びたい。

時間を測ったりスケジュールをこまめに組み立てる

先ほども書いたように一ヶ月自宅にいて誰とも合わないと、なんだか時間の感覚がおかしくなってくる。私は割と規則正しい生活をするように心がけていて、朝七時までには起きて夜十一時までには寝るようにしているのだが、起きたり寝る時間は同じでも、日中の感覚がこれまでと全然違う。

良くも悪くも完全に一人で作業するのは無駄がなさすぎる。例えば学部にいるときは、コーヒーを淹れにキッチンに行くと誰かに話しかけられて、どうでもいい世間話をして時間が無くなったりする。またオフィスにいても、先輩から呼ばれて実験のセットアップを手伝ってと言われて、自分以外のことで時間を使わなければならない時もある。一人でずっと家にいると当たり前だが誰にも邪魔されることはない。ただ同じ日々を繰り返すだけである。

周りの人がお昼にキッチンでランチを食べていたり、外に食べに行こうと誘いあったり、こういう風景も見ない。お昼賑わっていた学部も、夕方になったら人が帰っていく様子も見ない。家にいるのだから当たり前である。そうなると、一日がずーっと一様で、何のメリハリもなく、気付いて時計を見たら、まだ何もしていないのに七時ということはザラである(サマータイムに入ったので七時でも日中レベルで明るいのが余計にそういう感覚にさせる)。

ということで私は今二つの方法を使って、日々の枠組みを作っている。

1. 朝のZoomミーティング

私は今とても小さい家に住んでいるので、寝るところと研究するところが一緒である。研究のオンオフを切り替えるのは、気持ちの持ちようだけであるが、これが当初なかなか難しいかった。

ということで毎週月〜木の間、朝十時から三十分だけZoomでGet out of your pyjamas!(パジャマを脱げ!)というモーニングセッションを始めることにした。学部の一部の人にfacebookで呼びかけをした。一日やることを決めてお互い今日何をするか報告しあい、近況話したいことがあれば喋るという感じである。

そんなに毎回誰も来ないのだが、重要なのは毎日十時からやると公言することによって、最悪私は十時にはパソコンに向かうという習慣を作れる。もう一ヶ月ほどやっていて気付いたが私は朝型人間なので、寝坊しなければ八時〜九時には用意ができるようだ。四月いっぱいまですると決めているので、五月以降はこれがなくても大丈夫だろう。

2. ポモドーロメソッド(とタスク管理)

Zoomセッションは朝の始まりの枠組み作りなので、実際はじめてしまった後の時間管理はポモドーロメソッドを採用している。簡単にいうと二十五分作業して五分休憩というサイクルをひたすら繰り返すメソッドである。

先ほど書いているように、生活に良くも悪くも誰もいないので中断されることがなく、波がない。時間が経ってるすら感覚すらなくなってくるのだが、問題なのは確実に時間が進んでいることだ(当たり前)。

ポモドーロメソッドは元々生産性を上げるためのテクニックだが、私は自分を律せられない人間なので、ポモドーロ中だろうがそうでなかろうがそもそも集中力が低いのだが、最低限二十五分、五分、二十五分、五分…と時間を測るので、時間が進んでいことは実感できる。もちろんまともにやれば生産性をあげることができるとおもうので、少しずつこの方法を習得したい。

原理的にはタイマーさえあればできるのだが、世の中には色々便利なアプリがあって、私はタスク管理とともにポモドーロメソッドが行えるFocus To-Doを使っている。

Windows・Mac対応はもちろん、Chromeの拡張があるのでLinuxの人でも問題ない。あとAndroid、iOS系のデバイス(Apple Watch含む)までアプリがあるので、パソコンがなくても使える。さらにデバイス間での同期も可能(確か有料)。

私はiPad miniを横に置いて時間の経過が分かるようにしている。

画像1

Focus To-Doの好きなところ
- タスク管理(締め切りや繰り返しなどの機能付き)とポモドーロが一緒になっている
- タスクごとに何ポモドーロ必要か設定できる(どれくらいかかるかの見積もり)
- タスクごとにポモドーロできるので、タスクが終わるまでに何ポモドーロかかったか計測してくれる(実際にかかった時間)
 - 一日の終わりに今日の作業レポートを出してくれる

まだ使い始めて日が浅いので、詳しくは下記のまとめなどをどうぞ。そのうち自分の使い方が確立したら記事にしてみたい。

3. 月ごとのカレンダーを書く

最近だとGoogle Calendarやアプリなどで予定を管理している人が多いと思う。私も基本的にそうなのだが、今はさらに手書きで一ヶ月のカレンダーを作って目の前に貼っている。どの程度月日が経っているのかをパッと見で把握できるようにしている。基本的なスケジュール管理はGoogle Calendarなので、そこには重複するが重要な予定と、どういう運動をしたかを記録している。

4. 一日にしたことのメモ程度の日記をつける

人と話さないといつもに増して、大きな何かをやり遂げない限り日々の進捗が把握しにくく、「今日も何もしなかった」という感覚→モチベーションの低下に繋がりやすいので、アホらしいが日常生活・研究生活両方に関して、今日一日したことのレポートをメモに書いている。特に良いアプリなどはまだ見つけていない。

人と(オンラインで)会う機会があればなるべく参加する

誰とも物理的には会えないとはいえ、オンラインでは遊び(読書会・ボードゲーム)も研究(輪読会、講演会、ミーティング)は行われている。自分がその会にいないといけないという状況でない限りは、割とサボるのが簡単なのがオンラインの弱みだとおもうが(ある程度の人数がいる会だと、誰がいるのか認識しづらい)、そこはめんどくさくてもなるべく参加するようにしている。

外出自粛でただでさえ物理的に引き篭り生活を強いられているのに、社会的にまで引き篭もってしまったら、コロナ後の世界で社会復帰するのが相当大変な気がする。また、これらの活動は定期的(できれば毎週)に行うことで、一週間単位で決まった波ができてよいようにおもう。

一度立ち止まる勇気

先週の水曜日に初めて音楽の心理学・神経科学テレコンファレンス(リモート学会といった方がわかりやすいだろうか)に参加した。

開催時間はドバイで夜の九時半、ブダペストで夜の七時半であった。北米だと朝の時間帯、アジア・オセアニアは深夜の時間帯。誰かの朝は誰かの夜なので、オンライン学会での時間設定は難しそうだなと感じた。

この学会で各パネリストが、自分たちの実験の状況などを報告しあって、これからどうして行くかについての議論を行うものであった。パネリストのほとんどは応用(臨床系)の研究者が多かったので、特にダメージが大きそうであり、音楽セラピーの介入実験や幼児対象の音楽教育などは、どれも一度中断せざるを得ないようであった(もちろん一部オンライン実験を試みているところもあった)。

その中で一人の先生が話していたことだが、一度分野の過去を振り返って、見つめ直してみる良い機会なのではないかという提案があった。近年のどんどん論文を出して、比較的論文が多い人が評価されるような北米の研究環境だと、数を量産することが求められる。しかし世界にはたくさんの研究が行われていて、バラバラになっているそれぞれの知見を今網羅的に見つめ直しても良いのではないかということであった。

もちろん新しい実験をして新しい知見を生み出すのが科学の王道だと思うが、それもしっかりした過去の知見基盤に重ねて行くから意味があるのであって、ただ闇雲に実験や論文数が多いこと自体に意味があるわけではない。

私は自分の研究の理論部分が弱いと思っているので、これを機にちゃんと先行文献を読んで、自分なりにまとめて行く時間にしたいとも思っている。

今後もまだまだ試行錯誤中

日常生活と同様、まだ色々試行錯誤中で、何が自分に合って何が合わないのかを今後も見極めていきたい。研究も大事だが、何より健康が大切である。心身ともにしんどくない程度に、適当でいいやという気持ちで今は少し研究に対する気持ちが楽になった。

日常生活編も書いたのでよろしければどうぞ。