二月三日・四日@ウィーン・ブダペスト

大体日記というものは(私の場合)うまくいっている時は書かないもので、落ち込んでいるときに書くものだなと思う。うまくいっている言うのは必ずしも精神安定していると言うわけではないが、少なくともパソコンの前には座ってない時間が多いと言うことだ。最近は再びパソコンの前に座るようになった(一月と比べて)。

二月三日

今日はウィーン国立音楽大学のラボ見学にお誘いいただけたので、前日からウィーンに泊まり、お昼前ごろに先生とポスドク二人と待ち合わせして大学を尋ねる。

迎えてくれた方はとてもとても暖かくまたお喋りなPI(principal invesigator:日本語だと研究主任とでも訳すのか)でオフィスから実験室、ものづくり室(電子工作の機械もいっぱいある部屋)も見せてくれた。彼の研究分野は私のラボの研究と近く、音楽家同士がどういうジェスチャーを使ってコミュニケーションをとってるか(アイコンタクト、身体の揺れなど)ということであった。

MIDIのグランドピアノを初めて近くで見て、普通のMIDIキーボードでは取れないタッチ(指の圧力)まで数値が取れるそうで、音楽の表現などの研究にはとても向いていそうだった。音楽大学なので、うちの学部(認知科学)と比べてもっと音楽にフォーカスした研究が多く、楽器もよくあるピアノだけでなくバイオリンやオーボエ、トロンボーンなど色んなものを使った実験や計測をしているようであった。

身体の動きを計測するためのカメラが四方に張り巡らされたセミナールームも見せてもらう。ピアノが二つ向かい合って置いてあって、ピアノデュオの研究に使われているようだ。一応セミナールームなので実験していないときは授業にも使えそうな場所であった。

私の指導教員が子供を迎えに行かないと行けなかったので(この日は日曜日)、先に帰って残ったポスドク二人と私とその先生でお昼ご飯を食べに行く。ポスドクの一人と先生が元々同じ研究室にいたことから、話がいろいろ盛り上がって私はただ聞いているだけであった。

来年度からウィーンに引っ越すことに関しては、プラスの側面もマイナスの側面もあるので一概によかったとも悪かったともいえないのだが、研究の面だけで言うともっと機会も(研究費も)ありそうで、ウィーンに移るのが少し楽しみになった。

そのあと少しだけベイズ統計の宿題をして半分だけ終わらせる。簡単に見えてとにかく理解してないので、全然終わらない。しかしプログラミング自体は難しくないので、よかったと思う。

夕方の電車に乗って先輩と二時間半丸々喋りながら帰る。色んな話をしたが、その中で先輩は学部の人が研究に関して熱心に喋らない(少なくとも自分が喋れる人が少ない)という。確かに熱心に語る人も多くないが、私からするとその先輩が特別研究の話が好きなようにも見える(北米だと当たり前なのかもしれないが)。ちなみ先輩はアメリカ人でカナダで博士号をとった人。

その先輩の意図はどうかわからなかったが、私も別に研究の話を熱心にしないので、「私も研究は嫌いじゃないけど正直モチベーションが低いし、そういう人もいると思う。私もあなたのようにいかにもな研究者になりたかった」といったら、「あなたは熱心だし何事も真剣に取り組んでいる。毎日私と同じ時間に来て(なぜならうちの学部は朝遅く来る人が多い、こない人も多いから)、日中ずっとオフィスで過ごしている。ピアノも毎日コツコツ練習しているのを知ってる。あなたは真剣だ」と言われてなんだか違和感を覚えるが、どうにも言い返すことができました。素直に「ありがとう」といえばいいだけなのだろうが。

自己認知と他者認知はそりゃ見ているものが違うので一致しないだろうが、私が毎日学校に来ているのは確かに一定の生活リズムを持とうと努力しているのもあるが(なるべく朝に大学に来る、学校までは公共交通機関を使わずに歩いて体を動かす、夜はヨガをする)、しかし実際着いたらSNSをしまくってるか、どうでもいい環境設定(最近だったらdotfilesとか)を弄ってるだけで全然作業してないし(それは外から見えない)、ピアノの練習も実際現実逃避みたいな部分があるので、練習自体は悪いことではないけれども決して褒められたことでもないなと思う。

夜は着いたらすぐに家に帰ってヨガをして寝る。瞑想は得意ではないが、難しくないヨガをすると身体が落ち着く。

二月四日

今日は久しぶりに先生が出張でいないのでミーティングはなし。ミーティングがないとだらけるのが常で、一週間何もやっていない。寝坊して大学にゆっくり行く。

午後はベイズ統計の授業。いよいよ全然追えてないので、わかったふりをして全くわかっていない。先生が授業中に喋らないと当ててくるので、最初の導入部分で一般的な質問をして先手を打っておくことで後から当てられることを避ける。先生は私のように怯える生徒を弄るのが大好きなのだが(正直軽いアカハラな気もするが半分ジョークであるのもわかってるのでなんともわからない)、ここに来た二年前のピュアな私と違って私の神経も図太くなったので前ほど面白いカモにはならなくなった。

授業後は少し時間があったけど、恵文社の方のブログを書いていたらあっという間にハンガリー語の授業になる。ハンガリー語はどんどん複雑になってきて、よくもまぁこんな訳のわからない動詞の変化を使いこなしているなと思う。

今まで習った言語といえばハンガリー語以外に、英語(十五年ぐらい)、イタリア語(二年)、ポーランド語(半年)、趣味でチェコ語を若干やったが、その中で一番かもしくはポーランド語と並ぶほど難しく、いつになってもできるような気がしない。

夜は同じクラスにいる日本人の子(高校生でハンガリーに一年交換留学にきているようだ、珍しい)と一緒に帰る。高校生の進路の悩みは聞いていて新鮮で、自分がどんだけおばさんになったのか痛感させられる。

恵文社の元同僚からメールがきて、ブログも書いてもらってるしそろそろ雑貨の販売をやってみませんかというオファーを受ける。嬉しすぎて泣きそうになる。どの程度すぐ現実的にできるかわからないが、ある程度仕入れが出来たら向こうに送って、ブログか何かの形で物語をつけて売れればなぁと妄想したりする。

働いていた時はろくに貢献できなくて、ただ自分が学ばせてもらっただけで退職してしまったのだが、何かしらの形でお返ししたいと思っている。この時代昔と違って雑貨で莫大な儲けを得るのは難しいのは、向こうも重々承知だが、店のコンテンツの一つとして面白いものを作れればと考えたりする。こんなことで博士課程を頑張ろうという気持ちが湧いてくる(こう言うことで励まされるようでは、ますます自分は研究者ではないと言う気持ちになる)。