指導教員の話(修士編)

相当昔に学部の頃の指導教員の話を書いており、博士(現在の)指導教員はともかく、修士はもう終わったので書こうと思っていたが、怠惰のせいで三年ほど放置していた。あの頃の新鮮な感情はもうないが、今覚えていることだけでも書いておこうと思う。

学部を卒業してからしばらく働いており、アカデミアに帰ってくるなど一ミリも思っていたなかったので、いわゆる指導教員なる人とはしばらく疎遠な状態であった。学部の教授にはその後留学前にゼミに参加させてもらったり、奨学金の推薦状を書いてもらったり非常にお世話になったので、卒業時はもう関わることもない(かもな)と思っていたが、人生何が起こるかわからないので人の縁は大切にした方がいいと思う。

修士課程はイギリスの大学院のResearchではなくTaughtコース(こっちの方が一般的)に行った。Taughtは一年間で修士号を取るのでめちゃくちゃ忙しいのだが、なんせ時間がないので大学院に入って速攻指導教員を決めなければならなかった。コースによれば勝手に指導教員が割り当てられることもあるらしいが(というか自分のコース以外はそうだったが)、私は他とは独立したコースにいたため、数ヶ月の間に一年お世話になる先生を決めなければならなかった。

イギリスに行った動機は昔のブログにも書いたが、元々知り合いのイギリス人の先生がいて、その先生を辿って大学院も決めたようなものだったので、その先生と一緒にやるものかなとうっすらと考えていた。今思えばその先生もそういうことを予期してくれていたかもしれない。

私はこの頃特に将来やりたいこともなかったのだが、万が一博士課程に行くとなると修士課程に入学したばかりなのにもう出願しなければならない時期だった。だから感覚としては学部からいきなり博士に出願するような気持ちで、特に私の場合はそのままストレートに大学院に来たわけでもないので、まだ何もしていないのに博士課程のテーマなど考えることになり、それはそれはストレスフルだったが、この出願時期を逃すと一年先送りになるため、ダメ元で気になっていた大学院に出願しようと思った。

将来の博士課程のことを考えていなければ、先述した知り合いのイギリス人の先生の元で修論を書いたように思う。しかしここで出願を考えていた私は、その募集要項を見るとどこも「推薦状が二通必要」と書いてあることに気づく。アカデミアでの推薦状は、過去の指導教員など出願者の研究能力を評価できる人が書くもので、それが二通ということになると知り合いの先生のところにそのまま行ってしまうと一通しか確保できないと焦った。

というのは本当は嘘で研究の指導教員以外に、大学院全般のメンターみたいな先生がいたので、その人に書いてもらうようお願いすることは可能だっがのだが、研究のことを知ってくれているわけでもないので当時バカ真面目な私は、早速だが研究の輪を広げなければ(つまり知り合いの先生のところに入るようではだめだ)と思い始めた。

実際に知り合いの先生にどうやって打ち明けたかというと、その頃今と比べ物にならないほど英語が下手くそだったので、言い回しの細かなところなどは表現できず、「他の先生のところでお世話になろうかと思ってます」といい、やや半ば雑な対応をしてしまったことを悔いている。今でも仲良くしてもらっているので何も失ったものはないが、もうちょっと言い方があったのかもしれない(が、その頃の私に言ってもしょうがなかったし、相手もわかってくれていると思う)。

このような感じでやや合理的に指導教員を決めようと思った私が目をつけたのは、当時新任でドイツのマックスプランク研究所からやってきたアメリカ人の先生だった。感情やステレオタイプなどの研究をしていて、当時から流行り始めていたVRを使った実験を積極的に取り入れている人だった。人を肩書きで評価してはいけないのは重々承知なのだが、マックスプランクには憧れがあり、新しい研究室(=つまり自分と同期ぐらいしかいない)というところに惹かれて面談をしてもらったのだった。英語が下手だし、そもそもやりたいことも何かわかっていなかったので相当何を言っているか意味不明だったと思うが、指導してくれるということだったのでそこのラボに入ることになる。どうも前述の知り合いの先生が私のことを前もって話してくれていたようだ(感謝)。

こういう流れでその先生の元で修論を書き、無事推薦状も二通手に入れた(そして今の博士課程に入れた)。まとめると修士の指導教員は先ほど書いた肩書きと面談の雰囲気で決めたことになる。私の場合は指導教員が威圧的だと萎縮するのだが、この先生はいい意味で雑でフレンドリーだったので、直感的に良いなと感じた。結局培ってきた直感がYESといえば自分に合ってるサインなのか、先生の雰囲気とラボが小さいが故に喋るのも怖くなかったし、細やかに対応してもらえたし、とても良い修士生活が送れたと思う。

学部の時は二年間、授業やゼミを通して指導教員となりうる先生たちのことを知ることができ、これができれば一番いいのだろうが、イギリスの大学院や、もしかしたら日本の大学院でも学部と違うところに行く場合はこのような感じで決めることもあるのかもしれない。とはいえ日本は博士前期(いわゆる修士課程)の先生は博士後期(いわゆる博士課程)の先生と同じ場合が多いはずなので、私のような決め方ではなく出願前に予め連絡をしておく人がほとんどな気もするが…。

正直イギリスの大学院(Taughtコース)での指導教員はそこまで重要じゃない気もしていて、少なくとも私が体験した感じだとカリキュラムもしっかり決まっているので、先生の指導の良し悪しで論文が書けなくなるとか卒業できないということはほとんどないように思う。そこまで気にかけなくてもいいかもしれない。その後イギリスに帰る機会が二回あったので、先生に会いに顔を出しに行ったが、それももう三年以上前になるので今何をしているのかは知らない。が、おそらく元気にしているのだと思う(HPが更新されて小洒落ていた、まるでブルックリンの企業(イメージ)みたいである)。