私の人生がほぼTwitterに影響されている話(中編)
プロローグ:
前回の記事を読んでいただいた方、ありがとうございました。
前編と後編に分けるつもりだった今回のエッセイだが、気付けば中編が誕生していた。
予想に反して、前回の投稿(前編)をしっかり読んでくれる人がいたので、もう少し話を広げて書いてみようと思ったためだ。
そんな予想外の前編はこちら
さて、前編では私のTwitter黎明期~過渡期までの話をした。だいたいあれが私が2010年~2012年の間に遭遇した出来事だ。
この期間に前編で述べた、
「140文字以内で文章を組み立てる面白さ」
「創作の楽しさ」
「Twitterを介したコミュニケーションの取り方」
などを少しずつ獲得していたあつきちのTwitterライフはここから、上記で築いた土台の上に立ち、より広い視野を求める方向へシフトしていくこととなる。
あつきちのTwitter史:転換期
アニメが終わってからも暫く盛り上がっていた「けいおん!」ジャンルも、やがて少しずつ落ち着いてきていた。
そんな中では他のアニメ・マンガ作品などにも色々手を出していたし、りっちゃんばかりも描いていられなくなってきた私は、ついに「垢分け」を敢行するのだった。
この時私が作ったのは「お絵描き専用アカウント」。
説明せずともお分かりいただけると思うが、描いた絵をアップする専用のアカウントとして、上記で挙げた「創作の楽しさ」をもっと伸ばしたいと思い作ったアカウントだ。
だが前編で述べた通り、私は経験上垢分けができないツイッタラーであったため、結論から言うとそれは呆気なく失敗した。
「お絵描き専用アカウント」のつもりが、いつのまにか絵以外の普通のツイートもバカスカ呟いていたし、おまけに今まで使っていたアカウントにほぼログインしなくなるという「本末転倒アカウントお引越し事件」へと発展したのである。
ここで察しのついている人がいるかもしれないが、このお引越し事件を起こしたアカウントこそ、現在メインで稼働させている@By_FREE_MINDだ。
そういう訳で、徐々に「けいおん!」ジャンルから離れ始めた高校2年生の私は、リアルの人間には誰にも理解されない平沢進のTwitterに張り付きながら、お小遣いで買った記念すべき1枚目のCD「救済の技法」のジャケットをニヤニヤと眺め、ニコ動の秀逸な平沢MADをエンヤコラする生活を送っていた。
(なにこれ外部リンク貼れるの楽しい)
小休止 | 平沢進について
ここであまり深く触れるつもりはないが、私にとって平沢進との出会いはかなりの衝撃だった。
彼は、私があらゆる物事に対して、より視野を広く持とうとしたり、多面的な捉え方を意識することの重要性を考えるきっかけになった人物である。
平沢進は、やることなすことが常に先進的で、2020年になった今でも、圧倒的なパフォーマンスでファンを驚かせ続けている。
他人が簡単に真似できない、というか、例え他人が真似してみたところで、絶対に誰も彼の世界を超えることは出来ない、そんな唯一無二性を持っているアーティストだった。
そして私は、世間から「少数派(マイナー)」と見做されながら生きる自身について面白おかしく、難解な言葉で発信している彼のTwitterを解読しようと躍起になっていたのである。
せっかくだし、好きなツイート貼っちゃお〜。
あの時期、既に平沢進はTwitterをメインに活動していたので、私がTwitterにのめり込んでいて、かつ「けいおん!」にハマっていなければ出会うタイミングがかなりズレ込んでいたのは間違いない。
だからやっぱりTwitterには感謝しているし、Twitterに足を向けて寝られないとさえ思っている。
ところで、Twitterに足を向けて寝ちゃうような方向ってどっちだと思う?
転換期 | ハリー・ポッターとにわかのオタク
さて、そんな生活をゆるゆると続けていた折に、アカウント引越し事件に次ぐ第2の事件が発生する。
ある日偶然見ていた「金曜ロードショー」によって、突然「ハリー・ポッター」の沼へ滑り落ち、完全に両足を取られてしまったのだ。
元々私は、今のように「ハリー・ポッター(以下、ハリポタ)」」の世界にクソデカ感情を抱いているわけではなかった。
中学生になっても、映画の「アズカバンの囚人」まで見ていたかどうかさえ定かではない上に、
恐らく「ハリポタ」の本当に主要な人物である、
・ハリー
・ハーマイオニー
・ロン
・ダンブルドア
・マクゴナガル
・スネイプ
・ヴォルデモート
以上のキャラクターの顔と名前しか一致していないレベルのひどさだった。
そんな私が幼少期~思春期にかけてあまり「ハリポタ」に触れないまま育った原因の一つには、以下の経験が少なからず関わっていると思う。
過去編 | 「好き」を封じ込めた幼少期
思えば子供の頃から私は、かなりの人見知り、かつ恥ずかしがり屋で、人前で自分の好きなものを好きだと素直に言うことさえ恥ずかしがっているようなタイプだった。
それは私は幼い頃から、趣味が何となく男の子っぽかったからなのかもしれないと思っている。
ピンクがあまり好きではなくて、女の子に人気だったキティちゃんではなく、機関車トーマスが描かれた青色の上履き入れを使っていた。
キラキラした付録付きの少女漫画雑誌より、少年漫画雑誌やリアルな動物図鑑の方がわくわくした。
あと、おもちゃ屋さんに行く度に1体数百円のポケモンフィギュアのコーナーの前で地蔵と化して、仕方なく1つ買ってもらっていた。
かわいいお人形さんより、親にねだって少しずつ集めたポケモンのフィギュアで遊んでるような子供だった。
だからそのまま小学5年生くらいの頃まで、学校が終わった後は大体男の子達とゲームをして遊んでいたぐらいだ。
だけどやっぱり、何となく自分の好むものが周りの女の子達と違うような気がして後ろめたかったのも事実で、
本当に親しくしていた友人達にしか、積極的に自分の好きなものについて話したがらない子供だったのだ。
さて、話を「ハリポタ」に戻そう。
私が幼い頃、初めて、かつ最もまともに視聴した作品は「ハリー・ポッターと賢者の石」だった。
初めて見た時、子どもながらに「スネイプ先生かっこいいな…」と思ったことだけは、はっきりと覚えている。
だから、小学生の頃「ハリポタの中で誰が好き?」と聞かれて、「スネイプ先生かなあ」と答えたことがあった。
あの時も、ただ好きなキャラクターを問われただけなのだが、私は自分なりに勇気を出して素直に答えたつもりだった。
しかし、私の回答に同級生達が示した反応は、
「えー悪い人じゃん!なんであんなオジサンが好きなのw」
といった心無い言葉で私のメンタルをボコボコにするというものだった。
そこで「なんで?かっこいいじゃん」などと反論できれば良かっただろうが、あいにくそういった主張が得意な子供ではなかった私は、「そうだよね…」と引き下がることしかできなかった。
あの時はとにかく、自分が好きだと思ったものを平気で貶されるのがとても辛かった。
今思えば本当にくだらないことなのだが、そのせいで私は自分の人生から半ば無意識に「ハリポタ」自体を遠ざけてしまっていたほど傷ついていた。
転換期 | でもやっぱり好きだった
だが、10年以上のブランクを経たある日、「金曜ロードショー」で放映されていた「ハリー・ポッターと賢者の石」をたまたま見ていた私の身に、これまで私が全く予想だにしてこなかった事象が降り掛かってきた。
それは突然、心臓にギュンと熱がほとばしるような感覚だった。「うわ、やっぱスネイプ先生ってかっこいいじゃん!!!!!!」とまた思うことができたのだ。
一方的に貶されて落ち込んだ小学生の頃の私とは違って、この時の私は、好きな物を好きだと堂々と言える、誰にも自分の好みを貶されたりしない場所を得ていた。
私にとってそんな素晴らしい場所こそが、Twitterだった。
こうしてあつきちは、2013年の春から、2020年の今日に至るまで、スネイプのろくでもない絵ばかりを描き続けることになる。
あつきちのTwitter史:発展期
私が「ハリー・ポッターと賢者の石」で、アラン・リックマン演じるスネイプ先生に心臓をギュンとされてから、勿論Twitterでも志を同じくする仲間を探し求め始めた。
あの時とは違って、私と同じくスネイプに心臓をギュンギュンさせられた人達を見つけることはとても容易かった。
pixivなどの力も借りて、入りたての沼の淵で細々と絵を描いているような私を見つけて話しかけてくれる人さえいた。
私がこうしてどっぷりと沼に浸かりだした頃には「ハリポタ」原作は完結して数年経過していた。それにも関わらず、未だに根強いファンが多く、熱量を感じられるジャンルだったたことは大変ありがたかった。
そうしていざ「ハリポタ」のジャンルに踏み入ってみると、今まで住んでいた沼の住人と違って年上の女性が圧倒的多数を占める界隈だった。
それに、元々文学作品を嗜むような人達だからか、皆がそれぞれに聡明でウィットに富んでいて個性的だったし、印象としてリテラシー能力が高く感じられる人達が多かった。
言わずもがな、私はそのような人達に憧れた。
多くの知識を持っていて、自分の好きな物について豊富なボキャブラリーと自分なりの表現を用いて熱く語っている、彼女達のように私もなりたいと思ったのだ。
まとめ
2013年〜2014年に訪れた私のTwitter史における転換期においては、
▪︎垢分けに見事失敗してそのまま現在のアカウントへ移行する
▪︎突然過去のトラウマを克服して「ハリー・ポッター」に沼落ちする
▪︎Twitterで交流していたユーザーの層が今までとは大きく変化し、リテラシー能力や、Tweetによる文章の表現方法をより重要視するようになる
といった出来事が起こっていた。
当時の私は高校2年生〜3年生で、受験勉強もそこそこ頑張らなければならない時期だったのだが、親に頼み込んで、ちゃっかり東京で開かれた「ハリー・ポッター展」にも弾丸日帰り旅行で連れていてもらったりもした。
(私の親は、なんやかんやで私の好きなものを真っ向から否定したり、取り上げたりするような人達ではなかったことが何よりも幸いであるし、また別の場で親の話をじっくりする機会があってもいいかもしれない、と思った。)
次回はこの、受験やら大学やらの話も少し交えつつ、私のTwitter史における発展期の続きから現在に至るまでを後編に綴っていくつもりだ。
*6/28追記 クソデカ後編が更新されました
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