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【雑感】アンチのアンチ

まともに答弁できない総理と
報告書すら読まない副総理

最初にどうしても書いておきたいことがある。

Twitterを見ていると、安倍総理のどうしようもない答弁の様子が流れてくる。まともに答えられていないのだ。また、麻生金融担当大臣の呆れた発言や行動も流れてくる。今回の年金問題。報告書を読んでいないのも理解不能だし、受け取ろうとしないのも理解不能である。

ずいぶんと国民も舐められたものだ。彼らの眼中には「選挙」しかないのではないか。日本社会を良くすることには興味がない。国民のことなんて見ていない。自分たちの「延命」だけに興味があるのではないだろうか。そんな風に見えてくる。

そういえば、第一次安倍政権が退陣に追い込まれたのは「消えた年金」問題であった。今回はどうなるだろうか。怒りを示したいのならば、一旦でもいいから不支持を示すことが必要ではないだろうか。民間人でも読めるような(わたしも読んだが)報告書を読まない金融担当大臣で本当にいいのだろうか。胸に手を当てて考えたい。

第一次安倍政権の退陣から10年以上の時が流れた。日本は大きく変わったと思う。その変化は果たして成長と言えるのだろうか。ベストセラーの『FACTFULNESS』では「世界はそんなに悪くなっていない」と書かれていたが、それは日本政治にも言えることなのだろうか。 たまには悲観視も必要ではないか。そんなことを思う。

あの時はみんなで「消えた年金」問題に怒った。今回は彼らの舐めた対応に怒れるだろうか。ぐずぐずしていると、消えた「年金問題」となりかねない。

下がることのない支持率

NHKの世論調査の推移を見てみると、約1年間ずっと安倍政権の支持率は不支持を上回っている。しかし、その理由は相変わらず「他の内閣より良さそうだから」という消去法による選択が多い。ほかのメディアの世論調査を見てもおおむね同じような結果となっている。「消去法で支持される政権」は健在である。

よく「野党が自滅するから自民党は支持される」と皮肉る人がいるが、自滅しているかはさておき、何もしなくても支持されているのは事実であると感じる。

だが、自民党は何もしていないわけではない。むしろ、広報戦略にはものすごく力を入れているのである。

ViViとのコラボ

そんな中、ここ数日「ViVi」という雑誌が自民党とのコラボレーションをするという企画に批判の声が相次いでいる。確かにツッコミどころ満載の企画である。例えば、ここでモデル陣が言っていることは自民党の政策に反している上に、その支持層の考え方とも異なっているということ、さらに講談社側が「政治的意図はない」なんて言ったものだから、完全に収拾がつかなくなっている。

だが、ViViとのコラボ自体はすでに5月上旬には報道されていた。しかもこの時の自民党のスタンスと今回の講談社からのコメントはかなり食い違っている。

自民党は元号が令和に変わった1日から広報戦略を刷新した。「#自民党2019」と名付け、10代のアーティストやダンサーを起用したPR動画をインターネットで流す。都市部では人気ゲームのイラストレーターが安倍晋三首相をイメージして描いた侍の絵を屋外広告に掲げる。夏の参院選に向け、若い世代の支持取り込みにつなげる
(中略)
女性向けにはファッション誌「ViVi」と組んだ。令和時代への思いをデザインしたTシャツを着たモデルの写真や動画を、党公式の交流サイト(SNS)に載せる。

それはさておき、この件について、東京工業大学准教授の西田亮介さんの意見はかなり参考になった。今回の件は問題がないとは言い切れないが、それだけで批判するのは難しいという主張を行なっている。

自民党に対して批判的な人を中心に「プロパガンダ」という言葉を使うなどして、今回の件をかなり強く糾弾しているが、そもそも今回のコラボは「法的には」おそらく問題がないという見解もあり、このような糾弾は無党派層からの敬遠を生んでしまうリスクがある。いわば「アンチのアンチ」を増殖させるリスクが大きい。

今回の自民党のやり方に「問題がまったくない」とは思わないが、だからといって強い批判を加えれば解決するような問題であるとも思えない。このあたりもう少し詳しく書いていきたいと思う。

批判を嫌う若者

昨日、たまたま読んでいた記事の中で、成蹊大学教授の野口雅弘さんがおもしろいことを書いている。

野党嫌いの一方、各種調査から、10代後半から30代前半の自民党支持率の高さがわかります。確かにそうなのですが、学生を見ていても改憲を強く支持するような安倍政権のコアな支持層はそう多いように思えません。また、杉田水脈議員の「生産性発言」に同調する若い人を私は知りません。むしろ最近の若者たちは以前よりはるかにダイバーシティーに寛容です。
若年層の自民党支持率はなぜ高いのでしょうか。それを考えたところ、「反対することや抵抗するという振る舞いが若年層からとても嫌われているのではないか」とあるとき思い至りました。杉田議員の発言を肯定する人はいませんが、でも、杉田議員の発言を強く批判する人たちはもっと嫌がられる。

「批判嫌い」というのが良いことだとは思わない。わたしの友人の中にも「政治的に中立でいたい」ということを言って、明確な意思の表明を避ける人は何人もいるが、はっきり言えば意思表明を避けることは現状の肯定であり、中立ではない。おかしいと思った時には「おかしい」と言わなければいけない。わたしはそう信じているから、デモのような行動も大切だと感じている。

しかし、同時に政治に関する発言をしづらい環境であることも事実だ。特に、現政権に対して批判的なことを言えば、ネット上ではまるで国民ではないかのような言葉を浴びせられる。そこにあるのは「批判」ではなく「非難」である。だから、わたしもそうした輪の中に入りたいとは思わない。だから、「批判嫌い」な若者を責め立てることもまたできないはずだ。どうにかして変えていく道を模索しなければならない。

何はともあれ、若者が「批判」嫌いであるという可能性は否定できない。若者には「アンチのアンチ」が多くいるのではないだろうか。

本気で若者をターゲットにするならば

さて、ViVi とのコラボ企画の主なターゲットは若者であった。そして、その若者というのは「批判嫌い」であるという仮説を踏まえるならば、ViVi (講談社) や 自民党に対するプロパガンダ批判に効果がない、むしろ逆効果になり得ることは容易に想像がつく。

この状況に関する問題提起はまだしも、それを攻撃的な批判に変えた瞬間に、自民党の「戦略」にハマっている、イメージ戦略に加担しているとすら言えるかもしれない。

ここで「欠如モデル」的に、若者の無知を責め立てても意味はない。むしろ、若者に本気でターゲットを絞るならば、批判ではない道を探らなければならないと感じている。その一つの答えが、野党もマーケティングを強化して競争するという方向である(個人的にはそれを推奨したいという気持ちにはなれないが)。

だが、行動経済学などの分野で語られることの多い「二重過程理論」に基づいて考えても、感情に訴えかけるようなメッセージ、西田さんの言葉を借りれば「イメージ政治」というのは、支持を集めるだけならば効果的であることは否定できない。「支持を集めるだけならば」である。中身は関係ない。

それが望ましいあり方とは思えないが、そうしたことを考えなければならないくらいの状況にはなっていると考えている。

「アンチのアンチ」

現在の与党の政策は正直に言って評価できない。その支持者が唱えているような主張も評価できない。そして、わたしと同じように感じている人が少なくないことは各種の世論調査が証明していると思う。しかし、彼らの支持率は下がらない。野党の支持率は上がらない。ここから何を読み解くべきだろうか。

本稿で書いてきたのは「アンチのアンチ」(アンチが嫌いな人)という存在がいるのではないかという可能性、そして今回のViViに対するアンチ攻撃は「アンチのアンチ」に影響を与えることで、自民党の若者に対するイメージ戦略に加担する可能性が高いということである。

一人の若者として、本稿で紹介した野口さんの「野党嫌い」仮説は非常に納得している部分が大きい。「アンチのアンチ」仮説も、仮説とはいえ、個人の経験には裏づけられている部分はかなり大きい。だからこそ、次の選挙を考えるならば、野党は理屈で戦うよりも「イメージ」で戦わなければ、おそらく現与党がふたたび圧勝するだろう。

しかし、健全な民主主義のあり方として選挙が互いのマーケティング競争になってしまうことはどうにか避けたい気持ちが強い。

哲学者のハンナ・アーレントは、思考や判断を停止した民衆のことを「凡庸な悪」と表現した。彼女の言うように、思考や判断を停止してイメージによって政治が進んでいく状況は避けたほうがいい。その意味で、マーケティング競争の促進はイメージ勝負という結果を生み出しかねないリスクのある方向だと考えている。代案が難しいところではあるが。

もはや、誰かをアンチしている場合ではない。それだけでは解決しないのだ。
どうすれば、この国の民主主義を適切に正常に機能させることができるだろうか。イメージ政治を食い止められるだろうか。そんなことを考えたい。

本日のまとめ

おかしいものに対して「おかしい」と言う姿勢を捨てていいわけではない。適切な批判は必要だと感じる。だが、そうした姿勢が「アンチのアンチ」という人たちにとっては逆効果となりかねない。

だからこそ、攻撃的な批判を加えることよりも、ポジティブかつ具体的な意見もたくさんアピールしていく必要があるだろう。

わたしも冒頭で怒りを述べた。これもまた「アンチのアンチ」にとっては逆効果になるのかもしれない。

だが、それでも書くことに決めた。私なりに表現は丸めたつもりである。読んだ人がどう思うかは分からない。こうした気を遣った発言の難しさを身をもって感じた。

補足

以下は、書き散らし。

おそらく、野党が支持を伸ばす最もシンプルな作戦は「与党の批判をするよりも野党案を全面的にアピールする」ことだとは思う。ただ、野党が対案を示しているときにメディアは報じてくれないという状況もあるし、新しい法律が「不要」という対案もある。対案っぽくないのでアピールが難しいだろう。

また、野党が「どんな世の中に?」をアピールしても選挙で勝てない以上は実現が難しいから信頼されにくい(そもそも、与党と内容が重なるだろうから差別化できない面もある?)。また、ViViの件を見ていて感じたが、モデルたちの主張は、自民党にお願いしてもやってくれる確率は低いだろうと感じてしまう(むしろ野党の方が協力してくれそう)。深読みしすぎかもしれないが、政治なんて誰がやっても同じという感覚が蔓延しているようにも思えた。

以前にも書いたが、ポジティブな政治トークをしたほうがいいというのは強く主張しておきたい。だからこそ、自分がやってほしい政策を実現してくれる可能性が高いのはどの政党かというのをもっと見えるようにした方がいいのかもしれない。いろいろと難しいのも分かるが。

ViViの件が明るみにしている現実にしっかりと目を向け、それに合った「戦い方」をしていきつつ、単なるマーケティング競争にならない注意をしていく。そんなことが可能なのか分からないが、模索していきたい。

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