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「苦手な人や嫌な人と共感する」攻略ガイド

公開のFacebookライブを行うと、よく皆さんから「具体的にどうすればいいのだろうか?」というHOWを質問いただくが(実話)、これは技術的に問題を解決できるようなものであれば、「こうすればいいよ」とお伝えすることが可能だ。

たとえば
「そういうときは、まずは心臓に近い部分をきつく縛って出血を止め、水で傷口をすすぎ、消毒をした上で、病院で診てもらう」とか、あるいは
「塩こしょうをまぶしたら、なじむまで3分ほど放置したあとに、バジルペーストをまんべんなく塗ってから、オーブンで230度15分ほど焼きます」
と言ったような手順を説明するようなものだ。

 しかし「苦手な人や嫌な人と共感するためにはどうしたらいいのだろうか?」と言う質問では、皆さん自身の自己変革が求められる適応課題であるため、解決策と呼べる方法論や手順があるわけではなく、マニュアル通りに進めれば課題を解消できるものではない。そう、攻略ガイドなんか存在しないので、もしそんなものがあるという人がいたら信用しないほうがいい。

したがって、以下に示す方法は解決策ではなく、あなたがどう変わらないとならないのか、ということだけを示すもので、HOWではない。そうなるためにどうすれば良いのかという答えは書いてない、それを考えるのは当事者であるあなたなのだから。だから、それを期待している人は読んではいけない、読まないでいただきたい。それにここに書いてあることはあくまで私の私見でしかない。

「苦手な人や嫌な人と共感する」を実現するにはあなた自身が、抱えている課題のある環境そのものに適応して自己変革する以外には道はない。

じゃ、どう自己変革すれば良いのか? と言うマニュアルがあるわけでもないので、世の中にはHOWがないものもあるのだという事実を受け止めていただきたい。また誰かが、こうやって自己変革をしたという事例は、気休めになるけれど、あなたはその人とは他人であり別の人間なので、そこに書いてあるとおりにやって上手くいくことはなく、上手くいったとしたら、それは思い込みか勘違いか(これがほとんど)、万に一つの偶然だった(まずない)と言うことだ。

 【苦手な人や嫌な人と共感する】

 相手の嫌なことをすべて書き出してみる、ただし行動と言動を印象や感覚や想像や妄想ではなく、純然たる客観的な誰の目にもそう見える事実として書き出すこと。それは自分の偏見によるものか、自分の価値観こそが正義だと信じて断じていないか、思い込みや勘違いではないか、実は真実ではなく単に人からの伝聞ではなかったか、単なる噂ではなかったか、つまりあなたが間違っていないか、自分を見つめ直すことだ。もしかしたらあなたこそが他の人から見た「嫌な人や苦手な人」当人なのかもしれない。

 「その嫌なことリスト」を眺めながら、「なぜ嫌なのか?」を考えてみる。好きか嫌いかは価値観や、志向性、自分の生き方や、欲求とのコンフリクト、自分との利害の対立、心理的な安全性がない信用ができない人だから、生理的な安全性が担保されない物理的に危険な存在だから、どうしても許せない言動をする人だから、以前に被害に遭って未だに傷が癒えていない、自分の大事にしているモノや考え方を踏みにじった、法に触れる犯罪者だと思っている、どうしても許せないことがある、など様々だが(もっとある)、その時自分の「嫌だ・嫌いだ・許せない」が感情なのか、評価なのか、そう断罪した自分自身の判断は正しいのか、どうかも踏まえて、正面から対峙する

 自分を見つめ直したら、謙虚に嫌な相手の価値観や目線や性格や感情や行動様式を偏見なく正しく理解する。それは、邪悪なのか、法律に触れるのか、人の道を外れるのか、司法の手に委ねるべきか、それとも相手なりに合理的な理由や背景や原因があるのか?そして「だから、そうなんだね」と納得するまで追求してみる

 そのうえで、自分自身を慈しみ思いやる愛情と優しさと同じものを、その嫌な相手にも注いでみる。それは見返りを求めることができない一方的なアプローチでしかなく、報われることを求めてはいけない、報われると期待をすればむしろ100%裏切られガッカリすると思ってはじめることだ。それは、はるか遠くから見て気持ちだけを相手に注ぐ、と言う様な「祈り」ではなく、歩いていって、手を伸ばせば殴ることができるくらいそばで物理的な接触をして、声を掛け、あなたが行動を変えてみることだ。

 もちろんあなたが相手のことなんか信頼していないことは仕方が無い。しかし、何もないところから、いきなり嫌で苦手な相手を信頼することなどはできないものだ。だから、一方的に無防備なままで手ぶらで身を委ねるだけ、あなたが相手の審判を待つのは、許せないかも知れないし、そんなことしたくないのかも知れない。でも、そもそも「苦手な人や嫌な人と共感する」ことを目的としたのはあなたなのだ。だから、あなたから一歩前に進む以外は目的を達する道はないと思って欲しい。

 そうやっていままでとは異なる接触・スタンスで、相手にもっともっと興味を持って、相手を知ろうとしてみることだ。知りたいと思うことは直接尋ねてみることだ。興味があることを態度でも示すことだ。前のめりになって、一歩前に出て、目を輝かせて、愛情に溢れる態度と、いままで見せたことがない笑顔で接してみることだ。あなたが変わることで、相手に何か変化はないだろうか?あなたの変わり様に最初は戸惑いや驚きを隠せないかもしれない。かえって反発するかもしれない。しかし、こんなものは、あなたの何をどう変えるのかというマニュアルがあるわけではない。自分で考えてやってみて、失敗していたい目にあってから、気づきから学んで、もう一度やり直すしかない。

 そりゃ、嫌いだった相手なら、相手もあなたのことなんか快く思っていないだろうから、まともに相手をしてくれないかもしれない、嫌みの一つや二つ、神経を逆なでするような言葉を浴びせられるかも知れない、でもそんなことは覚悟しておき、あらかじめ、そう言われて当たり前だという気持ちでいることだ。平静でいるように努めることだ。感情を抑えて、子供が戯言を話しているな、可愛いものだな、と言うもっと高い目線で受け止めて、本来の目的「苦手な人や嫌な人と共感する」を思い出すことだ。そのためには、今までに無い困難があると最初から予想をしておき、何を言われても、何が起きても「想定範囲」と冷静に思えるように心の準備をしておくことだ。

 そうは言っても、相手が思わぬ反撃や攻撃に出て、あなたの努力も愛情も笑顔もプライドも踏みにじるようなことや、あなたがどうしても許せないことを言ったりするかも知れない。それでもそれは「自分に対する個人攻撃をしてきた」と受け止めて、ここぞとばかりに反撃態勢になってはいけない。カチンとするかも知れないし、頭の片隅で「ブチっ」とナニカが切れる音がするかも知れない。それでも、観るべきは相手ではなく、自分のその感情の起伏や思考を見直すことだ。「どうして、自分はこんな嫌な気持ちになるのか」、それは恥ずかしいのか、悲しいのか、怒りなのか、自分がそういう気持ちになった原因を追及する。原因を相手に求めて相手の非をあら探しするのではなく、そういう反応をしてしまう自分の未熟さや弱さや卑屈さやコンプレックスやプライドや思い込みを探ることだ。

 しょせん、相手は他人であり、わかり合えるものではないし、そもそも別々の人間である。違っているのが当たり前なのだ。だから、相手との違いが生み出す化学反応にいちいち反応したり憤っていたら、これから先の一生で、たくさんイライラしなくてはいけない。そんな人生が楽しいのであれば好きにすれば良いのだが(これも読まないほうがいい、時間の無駄だから)、より人生を豊かにしたいと考えるのであれば、相手と自分との似ているところや、共通とする言動や価値観に注目することだ。ただし、それは自分で客観的に観ることは極めて難しく、独りよがりで独善的なうがった主観的な見方しかできないのが現実であり、特に「嫌な苦手な奴」であればなおさらだ。そういうときはあなたと相手の二人のことをよく知る第三者に助け船を求めて「私とあの人の似ていることはなんですか? 共通点はあるでしょうか?」と聞いてみることだ、でもこれは一人ではなく、フィギアスケートの採点のように複数の人に聴いてみることだ(ちなみにフィギアスケートでは最高12人の審判が採点する)。もしかしたら意外にも「あなたとあの人は似たもの同士だね」などととんでもないことを耳にするかも知れない(実話)

 どんな時も最初の目的である「苦手な人や嫌な人と共感する」ことで一緒に働きチームとしての成果を最大化するために、と思い返すことだ。

 技術的問題として解決できようとも、適応課題として自己変革が求められようとも、いずれにしても避けて通ったり、あるいは楽してナントカすることはできない。問題・課題に正面から取り組むしか道はないのだ。きっと相手もあなたのことを「苦手な人や嫌な人」と思っているだろうから、同じことを考えはじめているかも知れない。で、あれば、あなたから行動を起こすことだ、いますぐに自己変革に着手すべきなのだ。マニュアルも手順もコツもノウハウも攻略ガイドもないのだから。

で、どうしても無理!と思ったら一番最初に戻って「苦手な人や嫌な人と共感する」をじっと見ることだ。

まとめ(手順書)

1)相手の苦手なところ嫌なところの事実を書き出す
2)自分の「なぜ苦手・嫌なのか?」の理由を見つける
3)強い愛情と興味を持って相手に接し理解をする
4)相手との似ている点や共通点を見つけ共感する
5)「苦手な人や嫌な人と共感する」まで 1)〜4)を繰り返す

ね、簡単でしょ?(まぁ、手順は簡単だけど、それができるかどうかは別の問題→馬を水飲み場に連れていけるけど、馬に水を飲ませることができない、と同じことかな)

こういう時間泥棒や、リーダーシップや、人財育成に興味があるなら、「学びの本質」Facebookグループに参加して欲しい。


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