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聞いてない奴が悪いのか? いや、違う

【満席】6月21日(金)開催@ビジョンセンター浜松町
【募集中】7月6日(土)アンコール開催@同上
【募集中】7月12日(金)大阪開催@大阪市中央公会堂

変革を加速するコミュニケーション・スキルWorkShop

 今日は変革を加速する最も代表的(かつ効果的)なツールの一つでありながら、多くの日本人が不得意とする「変革を加速するコミュニケーション・スキル」についてシェアしたい。

よくあるのは

• 「言っただろぉぉ!」

• 「あれだけ言ったのに、人の話聞いてないね、あんた」

 と詰め寄る場面だ。これはコミュニケーションを発信した側がブチ切れる場面だ。当然、準備に準備を重ねて非の打ち所のない完璧なプレゼンテーションをして拍手喝采をもらった発信者にしてみれば、話をちゃんと聞いていない受け手が悪で、頑張ってコミュニケーションした自分は善だ。

 変革を加速するコミュニケーション戦略においては、善悪が逆になる。聞いていない方が悪いんじゃない、ちゃんと聞いていたか、受け手がどう理解したかを確認しないまま、自分のプレゼンテーションに酔いしれて立ち去った発信者側が全て悪いのだ。そう、あなたのことであり、私のことでもある。なぜなら、受け手には発信者であるあなたの話を聞かなければいけない理由はないし、好意的に積極的に傾聴する理由も、ましてや理解して共感する義理さえも何もないからだ。

 受け手が、何をどう理解したか、だけでは行動を変えない、受け手が共感してはじめて行動が変わる。理解するだけならば、誰でもできる。特に正論を振りかざしている人の話は反論のしようがない。

 よくあるのは「おっしゃることはよくわかります、あなたのいうことは確かに正しい。でもね、その正論だけでは人は動きませんよ」とか言われてしまったり、「理解はいたしますが、それを私に協力しろ、というのは勘弁してください」なんて言われてしまうのだ。正しいか、間違っているかは判断(理解)できても、それに同意するかは別物だ。

 また「総論は賛成だが、各論では同意しかねる」とは、よそ様のことであればどうでもいいから賛成してあげてもいいが、それが自分に火の粉が降りかかるなら、どんなことをしてでも排除・反対する、そんなところだろうか?

 そう、理解できると、同意する、共感する、は全くの異なる次元の話なのだ。

「理解」なんぞは、日本語さえちゃんとできていれば誰でもできるのだ。悲しいかな、話を聞いて理解したくらいでは、コミュニケーションの受け手が行動を変えることはしないことだ。そもそもコミュニケーションとは、何か目的があってするものだ。

• 相手が上司ならば承認が欲しい。
• 同僚ならば協力して欲しい。
• プロジェクトメンバーならば一緒に働いて欲しい。
• お客様には買って欲しい。

それは、理解ではなく「同意」が必要だ。

 いや、もっと言えば「同意」などというような冷静で論理的な字面ではなく、感情も伴う「共感」というレベルにまで高まらないければ、人は誰かのためには動かない。

 Wikipediaによれば、共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。 もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持てることである。

共感して行動が変わるのは、自分と同じ志を持つか、自分の抱える課題を解決してくれる場合だけだ。

 そう、共感する原理は、他者と喜怒哀楽の感情を共有する、ことなのだが、それは自分の生き様や理念、そしてゴールが同じだと感じる瞬間だ。損得などではない、同じゴールを共有している、同じ志持つ仲間(同志と書く)という一体感、共鳴、仲間意識が「共感」を増幅してくれる。

 あなたが一人旅に出たとしよう。

一人で旅に出る理由があったのだから、できるだけ日本人がいない場所へ行きたい。

片道で36時間もかかるような日本人が絶対にいない場所へようやくたどり着けた。

ホッとしたら、なんだか少し寂しく感じる。

現地を巡って2週間。

ずっと日本語も喋っていない。

次に12時間かけてバスで移動する先は、英語も通じないような場所なのだ。

食べ物も慣れない現地の人が食べるものばかりで、だんだん一人旅に飽きてきたがどうしようもない。

ネットにもずっと繋いでいない。

そんなあなたは、バスを乗り換えて、荷物を棚に上げて、ようやく席に着くと、隣の席の人からいきなり話かけられてしまう。

隣の人「こんにちは、日本人の方ですね」 ・・・日本語だ!

わたし「あ、こんちは、どーも」日本語を忘れたわけではないが、まごつくあなた。

隣の人「ひとり旅が良くて、ここまできたけど、もう2週間ほど日本人にはあってなくて、誰かと話したかったんです」なんという偶然!

わたし「じ、実は僕もおんなじです」同じ理由で旅してるなんてちょっと嬉しい。

隣の人「まさか、ここまで日本人が来るなんて。行き先が同じなんですね!どうして、ここまで来る気になったんですか?」

あなたは誰にも話したことがなかった「一人旅に出た理由」をつい話してしまうのだが、相手は全く同じ理由でここまできたという。

しかも目的地は同じなのだ。この彼女(もしくは彼)は、わたしの気持ちをわかってくれる、と心が繋がったような、シンクロしたような錯覚に陥る。

これはもしかしたら彼女こそ(もしくは彼こそ)が運命の相手ではないだろうか?・・・・

 ともかく、旅行でなくとも、スポーツを観ても、ネットで動物の動画や映画を観たり、お芝居を観ても、同じように感動する、笑いが止まらない、一緒に悲しむ、あるいはテロのニュースを見て憤る、痛みを感じる、そうまるで相手の感情や気持ちが伝染したようになることがある。それも共感だ。

 プライベートでなくとも、仕事の上でも同じように共感する瞬間というのはあるものだ。同じ志を持って事業を起こした場合や、同じような境遇で苦労している時に、シンクロしているような感じに陥れば、それは共感だ。

 共感とは、喜怒哀楽を共に感じることであり、言葉通りだ。「私もそう思う」とは違うことをご理解いただきたい。どんなに相手の気持ちや感情を感じとることができたと思えたとしても、あなたが同じ体験をしていない限りは「あなたの気持ちが良くわかります」は、あなたが信頼されているならまだしも、信頼されていなければ、「どうして私の気持ちがわかるの?」と逆上されるだけだから、安易に使わないことをお勧めする。

これを読むあなたはもしかしたら「自分は共感力はある」とお思いになるかもしれない。つい自分の意図を相手に伝えることをコミュニケーションだと勘違いしていると、共感でも同様に勘違いしがちだから要注意だ。受信側が辛い思いをしているから、「あなたの気持ちが良くわかります」と、自分はあなたの気持ちを共感できていることを相手に伝えたくなる、それは共感ではない、単なる共感の押し売りに過ぎない。その相手の気持ちに寄り添って、”随分とお辛いんですね” この一言で十分だ。こちらが共感しているかどうかではなく、相手の気持ちに寄り添い、相手の気持ちを尊重することこそが共感なのだから。発信者も受信者も同じものを見ても、それぞれのものの見方、感じ方、解釈の仕方が違うのだから、勝手に共感したつもりになって、相手に不快感だけを植え付けることがよくあることに注意したい。

 コミュニケーションにおいては、あなたの共感はさておき、受信側の相手が「共感」してくれなければ意味がない。相手から「この人だったら私の気持ちをきっとわかってくれる」「この人だったら大丈夫、信頼できる」「この人にだったら打ち明けられる」と感じてもらうのが、このコミュニケーションで目指す「共感」なのだ。

 ここからはドライな言い方でお恥ずかしいのだが、ストレートに言えば、自分が抱える課題・悩み・問題・苦しみを共有してくれるだけではなく解決もしてくれる仲間には「共感」するのだ。そして、それが行動を後押しする。共感した上司は承認のサインをし、共感した同僚ならば協力するために一肌脱ぎ、共感したプロジェクトメンバーなら自ら進んで働き始め、共感したお客様は喜んで買うばかりでなく、「素晴らしいから、あなたも買わないか?」と喧伝してくれるようにさえなる。これこそがコミュニケーション戦略の真骨頂であり、目指すべき姿なのだ。

 すなわち、自分のゴールを理解して、一緒に解決してくれるコミュニケーションに共感する。自分の言いたいことを言い放つだけのプレゼンテーションや、傍迷惑な宣伝広告、押し売りのようにセールストークを繰り出す営業、誰でもすぐに問題を解決できるかのようにアピールするセールスマン、今のIT業界やデジタルマーケティングのベンダーなどは「コミュニケーション戦略」の本質を誰にも教えてもらっていないために、ツールを売りつけるだけでお客様の結果を担保しないで売り逃げするだけ、誠意があるのはアウトソーシングでお客様の成果をコミットする一部の会社だけ、おっと脱線しましたね。

 その相手のゴールを聞き出して、現場とのギャップを課題として認識し、それの課題をどうやって解決していくかを相手と一緒にコミュニケーションしていくことこそ、アクセプタンス(受け入れ姿勢)を高めるコミュニケーションに他ならない。

あなたのコミュニケーションは一方的に自分が伝えたいことを立て板に水のごとくまくし立て、綺麗なパワーポイントを見せびらかしては押しつける「独りよがり」になってはいないか?

もしも、共感するコミュニケーションを会得したければ、これは単なる「スキル」なので、誰でも学習と練習によって身につけることが可能だ。

まずは、あなたもはじめてみないか? 

このワークショップの事前学習資料と記事一式は6月13日には、Facebookグループ「学びの本質」で公開投稿されるので、参加されない方でも誰でも事前に学習することが可能だ。


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