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正論は正しいが、正論を振りかざすことは正しくない。


こんにちは。


僕の心には題名のような言葉が印象に残っています。

それで普段から人の意見に対して正論振りかざさないようにしています。


例えば、「人を殺していい場面は?」という題について話し合う場面があったとします。

「いやいやw人は殺しちゃダメでしょw」が第一声に来るような人間になりたくないわけです。


なぜなら、それで話が終わってしまうからです。


そこの正論にプラスしてその人たち個人の感情とか特有の考えとかが混ざることによってその人が考える何種類の「人を殺していい場面」というのが生まれるわけです。

例えば、「親が殺された」とか「凶悪な殺人犯」、とか「不治の病の人がいてこの先も生きるのが苦しい」からとか。


野球でもそういう場面てめっちゃありますよね。


例えば、野茂投手のトルネード投法とかイチロー選手の振り子打法とか。


上の二人の選手も、そんな打ち方・投げ方ではダメだと言われた時期はあったと思います。

それでも彼らなりの考えがありその動きをしていて実際に成功しているので、仮にその動き・考えがボールに正しく安全に力を伝えるという観点では正論でなくても、野球選手としては充分に正論と言えるわけです。


そして、このボールに正しく安全に力を伝える事の正論野球選手としての正論という物は近代の野球では限りなく近づいています。


メジャーリーグには160キロをバンバン投げて尚且つイニングを多く投げれる投手がゴロゴロ居ます。

日本のプロ野球でも160キロを投げる投手が出てき始めて150半ばあたりの球速は当たり前。

高校野球や中学野球でも球の早い投手は沢山います。


球速が出るのフォームがボールに安全に正しく力を伝えることにおいて100%正論という訳ではありませんが限りなくそれに近い所にあるのは確かです。

そしてそういう選手が結果を出す野球界になっているのです。

まさにそのふたつの正論が限りなく近い存在になってきているのです。


ただ、その2つが近づくことはあっても絶対に交わることもないと考えています。


なぜなら、その正論だらけの中で自分自身にしか出来ない特徴やこだわりを持った選手が必ず出てくるからです。


昔で言うと、星野選手や渡辺俊介選手や武田勝投手など変則的なフォームから球速はそこまで出ないものの技で打ち取る投手。

他にも変則的で特徴的なフォームで投げる投手は沢山おり、それで結果を残す投手も多いです。

それこそまさに、野球選手として正解なのです。


こだわりという面でも、スライダーにこだわりたいからスライダーに特化したフォーム、フォークに特化したフォーム、コントロールに特化したフォーム、クイックをいかに早くするかにこだわったフォームなど、自身がどういう風に投げたいかでもその人のフォームは変わってきます。


それが、正しく安全に力を伝えるフォームでなくてもです。


ただ、日本のプロ野球でもそうですが特にメジャーリーグでは球が速いのは基本でコントロールも良くて怪我が少なく多く投げれる投手が生き残っているわけです。

そこでは、球団は正しく安全にボールに力を伝える正解が求められていて、野球選手としての正解が求められているわけです。


正しく安全に力を伝えるという所において正論であるフォームを身につけたいと思っているなら、そこまで理解して取り組んで欲しいというわけです。


正しく安全にボールに力を伝える正解は恐らく1つしかありません。

ただ、野球選手としての正解は無数にあります。


そこまで理解してフォーム作りに取り組んでみましょう!








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