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全てを食べてしまった神さま エシュー

 本当ならば、一番最初の最初にご紹介せねばならなかった神さま「エシュー」についてのお話です。エシューは動きを司るため、彼がいなければ何事も始まりません。巧みな神様で、とても働きもので、いたずらもします。何か書こうにもこちらも十分な注意が必要ですし、一仕事です。
エシューはいつも自分が「一番最初に」大切に扱われることを私たちに望んでいます。


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イラスト ©︎クルプシ

エシューといえば、カポエィリスタのみなさんは「ビゾウロ」というカポエイラアクション映画を見たことがあるのではないでしょうか。伝説のカポエィリスタ、ビゾウロ・マンガンガーは「目に見えない守護神」エシューと共に戦いを繰り広げます。

 エシューが登場するシーンを上記に切り出しましたが、ここでエシューは自分のことを「自分とよくあるものにとっては善、自分を敬わないものには悪だ」と言っています。そして「悪のない善、死のない生などあるか?」とも。エシューは天と地を往来していますが、このように二極にあるものを行ったり来たりしている、交差点の神様でもあります。このシーンでエシューはビゾウロに膝まづいて敬礼することを要求します。アクションも面白いのでよろしければぜひ覗いてみてください。

さてこのように、エシューはカポエイラとも関係があるようですが、なぜなのでしょうか。

「Capoeira é mandinga, manha, malícia. É tudo que a boca come.」
ーカポエイラはマンジンガ、マーニャ、マリーシア。口が喰らうすべて。

この言葉を知らないカポエイリスタはいないでしょう。カポエイラ・アンゴーラの重要人物である、メストレ・パスチーニャがカポエイラを表した有名な言葉です。

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 Mandinga, Manha, Malícia(マンジンガ、マーニャ、マリーシア)はどれも訳し難く、tudo que a boca come(トゥード キ ア ボッカ コミ 口が食べる全て)は、単語は全てわかっても解釈がとても難解でミステリアスに感じます。ブラジルが誇る文豪ジョルジ・アマードも自身の財団の守護神にエシューを祀り、このフレーズを書いています。

 エシューについては、別のお話をまた書きますが、彼の大事な仕事はメッセンジャーです。人間からのお供えものやお願いごとを神様へ届け、神々からのメッセージを人間たちへ届ける役割をしているので、人間に最も近い神様といわれています。

 エシューを守護神に持つ人は、知性的、感覚的で官能的、注意深く、仕事が速いと言われます。巧みで、交渉や取引がうまく、人を騙したりもできます。もちろん数字は1番で、赤と黒をシンボルカラーとし、スパイシーな食べ物やデンデー油、ファロッファ、そしてカシャーサが好きです。

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ヘジナウド プランヂさんの「Mitologia dos orixas  オリシャーたちの神話」から、エシューのお話をご紹介します。

「エシューは全てを食べ尽くし、最初に食べる特権を得た」

 エシューはイエマンジャーとオルンミラーの末っ子でした。兄弟にオグン、シャンゴー、オショーシがいます。

 エシューはなんでも食べました。
その空腹はコントロールが効かないものでした。
村に生息していた全ての動物を食べてしまい、四つ足のものの次は二つ足。穀物を食べ、果物を食べ、イモ類を食べ、香辛料も食べてしまいました。ビールも、蒸溜酒も、ワインも全部です。デンデー油を全てごっくんと、オビ(聖なる果実の種)も全部飲み込んでしまいました。

 食べれば食べるほど、エシューは空腹を感じます。最初は好きなものを食べていましたが、そのうち樹々を貪るようになり、牧草地も、いよいよ海を食べようと襲いかかりそうです。

 オルンミラーはエシューが食べるのをやめないと、天界まで食べられてしまうと思いました。オルンミラーはオグンに頼んで、どんなことをしても弟を止めるようにと言いました。地上界を、人間たちを、オリシャーたちを守るには実の弟を殺さねばなりません。
しかし、死はエシューの空腹をなだめはしませんでした。
死んだのちも、空腹という存在、もう大きささえわからないほどの空腹は残ったのです。牧草地も、海も、わずかに生き残った生き物たちも、全ての収穫物、魚たちも、すべて食べつくされてしまいました。

人間たちはもう食べるものがなくなってしまい、村の住人たちは空腹で衰弱してしまいました。
ひとりひとりと、死んでいきました。

ある一人の僧侶が、イファーの占いに助けを求めて、オルンミラーに忠告しました。
エシューは死してもなお、自分を気にかけてくれることを求めている。エシューの飢えをいやしてやらねばならない。

エシューは食べたいのだ。
オルンミラーは占いに従い、こうまとめました。
「今後、エシューがこのようなカタストロフィ(大災害や悲劇)を起こさないように、どのようなオリシャーよりもまず最初にエシューに食べ物のお供えをするように」

人間たちの世界が穏やかで平和であるように、食べるものをエシューに与える必要があります。

最初にです。

(おわり)

 このお話は、エシューの別名「エレグバ」の話では、エシューは実の母イエマンジャーまでもを食べてしまい、父オルンミラーが剣をとって殺してしまうというお話になっています。同じお話が少しずつ違うかたちで紹介されます。

 エシューは交差点の神様でもあり、私たちが選択をする交差地点に立つ時に、選択次第で良いことを起こし、悪へ変化させることもできます。時に矛盾した答えをだすこともあり、エシューがおもしろいのは、その二極の両方の要素を持っている存在だということです。つまり、善も悪も、生も死も、真実も虚実も、はいもいいえも、その混沌のすべてを内包しています。

全てを喰い尽くしたエシュー、カポエイラに寄せられたその言葉の意味に少し近づけたような気がするお話でした。

【ご案内】フォトグラファーの新多正典さんによるエシューをテーマに製作したマラカトゥとレシフェの人々を撮った写真集「Mesangeiro dos deuses」にエシューについてのテキストを寄せています。ただ今、ロームシアター前の京都蔦谷でも販売中だそうです。よろしければぜひご覧ください。


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