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「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」


「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」

あの日あなたはそう言ったよね?

私はその答えを知りたい。理解したい。でも心の底からその真理に辿り着きたいと思ってるからこそ安易に答えを聞きたくない。

その答えを知るために私は歩き続けたい。



・・・



生暖かい風と小鳥のさえずりが私を外の世界へと誘惑してくる。じっとしていられないほどムズムズしてきた。心もワクワクしている。

散歩に行きたい衝動だ。



「趣味は何?」

と聞かれて映画鑑賞や読書と反射的に答えてしまうのだが、正直に言って本当に趣味と言えるのは散歩なんじゃないかと最近思ってきた。

誰かと競うわけでもなく、知識も経験も必要ないし、世間からの人気も関係ないのでにわかファンと揶揄されることもない。

必要な道具も特にないのでお金がかかるわけでもない。ひとりでもできることなので誰かに時間を合わせなくてもいい。

日々の忙しさから離れ自分のペースで歩き、自然に触れることで心のリフレッシュにもなる。


何も考えなくていいし、
何か考えることもできる。

目的はなくてもいいし、
目的があってもいい。


習慣にしていることや、今日のように衝動的に行きたくなるので毎日の散歩に特に目的はないことが多いのだが、今までの散歩全体としてはあるひとつのテーマがある。あることを知りたいがために歩いている。それは私が散歩が趣味になった出来事とも重なる。



・・・



コロナが広まるずいぶん前のある日、4-5人ほどのメンバーで歩きながらおしゃべりしようということになった。

30分ほどの短い散歩だったのだが、他愛もない話から哲学的な話までさまざまなトピックについて話すことができた。

その中で「明日世界が終わるとしたら何がしたいか?」という話になった。

私はひねくれているので、「明日世界が終わるとしたら」という仮定にも関わらず、「明日世界が終わる確証がないから」という理由で「いつもと同じように過ごしたい」と答えた。

他の人は、「貯金を全部使い切りたい」とか「大切な人と一緒にいたい」とか「シュークリームをたらふく食べたい」など夢のある話をしてくれた。

そんな中、グループのうちのひとりが、

「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」

と小説に出てきそうなセリフを囁いた。

好奇心を身にまとった私の心が暴れだす。その理由を知りたかった。学校のどの授業よりも心惹かれる内容だった。

でも本当に知りたいことこそ安易に答えを聞きたくないものだ。

本当にその理由を知りたかった。理解したかった。だからこそ身をもって経験することによってその真理に辿り着きたい。

はやる気持ちを抑えることができるほど私の頭は冷静だったのか、聞く勇気がなかっただけなのかは分からない。

でも、「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」この答えの理由を知りたいという気持ちはホンモノだった。



そんなことを考えていると、グループの話題は次へと移っていた。その後からどんな話をしたのかはもう覚えていない。一刻も早くひとりになってたくさん考えたいと思った。


・・・


一足先にグループから抜け自分の部屋へと帰った。部屋のドアを閉めてもう一度考えてみる。


「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」


単純に散歩が好きなのだろうか?
(そんな安易な答えであってほしくない)

私と同じように明日世界が終わると言っても絶対に確証がないので大胆なことはしたくないということなのか?
(そんなにひねくれてる人とは思えない)


考えてもよく分からなかった。


・・・


次の日の朝、目が覚めると散歩に行きたいという衝動に駆られた。

あの答えの真理に辿り着くにはやっぱり歩くしかないと思えた。

そこから散歩をするようになった。

別に毎回あの答えを意識するわけではないが。

たまには思い出す。

何が楽しいんだろうと思っていた散歩もだんだんと楽しさが分かってきた。


真理に辿り着かないながらも散歩を続けもう3年ほど時間が経った。



かなりの時間が経った今、私が思うことは、

散歩をしていると、たくさんの自然に触れることができるし、そんな自然に身を置くことで地球に住んでいるんだという実感が湧いてくることに気がついた。だからこそ明日世界が終わるとしたら、最期の地球を感じるために歩き続けるのだろうか?


他にも散歩は考え事をするにも最適だ。スマホを見なくても時計を見なくてもいい。だから時間に追われることも返信に追われることもない。自分自身と向き合って対話をするにはとてもいい環境だ。だからこそ明日世界が終わるとしたら、自分のことを一番考えることができる環境に身を置くために歩き続けるのだろうか?
世界が終わるからこそ、生まれてからずっと一緒に居続けた"自分"と最後を過ごしたいのか?

今の私にはこれが精一杯だ。未だに真理に辿り着いたとは思わない。まだ分からない。でもこれからも疑問を持ち続けていたい。


・・・



「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」

あの日あなたはそう言ったよね?


私はその答えを知りたい。理解したい。でも心の底からその真理に辿り着きたいと思ってるからこそ安易に答えを聞きたくない。





その答えを知るために私は歩き続けたい。



たとえ明日世界が終わるとしても。






もしかしたらあの人も私と同じように誰かが言った「明日世界が終わるとしたら私は歩き続けていたい」という答えの真理に辿り着きたくて明日世界が終わるとしても歩き続けたいのだろうか。




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