原動機の動かし方
すぐに動く。
他人を巻き込む。
同じビジョンを持つ。
本来ならばもっと色々といいことを言っているのだが、パッと思い浮かぶものが少ない。それだけ自分の中に残る言葉というものは儚いのだなあと最近尚更感じるのはその「言葉」自体に慣れてしまったのか、それとも記憶が脆い単なるバカなのか。
Youtubeに上がっていた、アメリカンドリームをもう一度夢見る男の人に密着したドキュメンタリーの番組。その人は一度アメリカンドリームを手にし、最高の毎日を過ごすのだが、その人が仮にほぼ一文なし状態の場合はどのように駆け上がるのかを全て包み隠さずに撮っている。しかも時間的な制約(期日)まである。年齢的にも自分の父レベルの年齢だし、壁もたくさん立ちはだかる。それでもワクワクと失敗からの転換でどんどんとお金を手に入れ突き進んでいく。
新規事業を行うためにメンバーを募り、各ポジションに人を配置、会社のような形態を作っていく中で一人の男性が受け身となっている自体に気がつく。
「社会というのは弱肉強食なんだ。待っている奴にはいつまで経ってもチャンスは来ないし突き進んで行こうとする奴のお荷物にすらなる。」
この1フレーズの破壊的な牙にエンタメとしてみていた私はガッツリとえぐられた。
あれ、今俺って受け身なのではなかろうか。と。
正直な話、今年に入ってから表だった動きができていない。もちろん会社員の仕事も忙しいし帰ってくると疲れていることも多い。せめてものという思いから1日1時間でも、30分でも音楽制作に時間を割くことで何とか気持ちを保つこともできているが、最近は情緒も少し不安定だ。
「そろそろ本当に将来を考えた方がいい。正直何もしてないと映る。」
これもパートナーに言われた。思い出してみるとそのエンタメの社長と同じ意見だ。
そろそろ目覚めなければならない。人生の大きな方向転換にいる気がする。
過去、自分の人生を振り返ってみる。そこにはいつも人生の大きな決断をしていることが多い。ただ全ての決断が「動く」という方向で舵を切っていることに気がつく。私はいつも「動」か「静」の選択に迫られているときは「動」の方を選んでいるのだ。
今回はどうだ、なぜ私は「静」で行こうとしているのか。
会社の私のことをいつも気にかけてくれる上司に去年から言われる言葉がある。
「お前は回遊魚、マグロだからな。動いてないと死んじゃう、お前じゃないんだよ。だから俺はお前に人の倍、仕事を渡している。」と。
動かないといけない。動く必要がある。
今朝起き抜けに軋む体に鞭を打ちラジオ体操を行った。
関節に油を刺すようにゆっくりと、ゆっくりと。
まだ遅くはないはず。