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MALTAの鷹

朝からずっと降り続く雨はまだやまない。用心して喫煙コーナーでしばらく様子をうかがってみたが、尾行されてはいないようだった。充電の切れたアイコスを投げ捨て、レインコートの襟を立てて通りを横切り、目的のTSUTAYAに入店した。

「新譜が欲しい」
レジのやる気のなさそうな店員に、手短に伝えた。
「新譜と言われても分からないな」
「マルタのなんだったかな」
「サックスプレイヤーの?」
「いや、加藤和彦の『マルタの鷹』だ」
店員の目の色が変わった。情報屋から買った合言葉はどうやら正しかったようだ。
「…わかった、アダルトコーナーの熟女モノの棚を押せ」

店員に言われたとおりに、「18歳未満立入禁止」の暖簾をくぐり熟女モノの棚を押すとそこは隠し扉になっていて、地下への螺旋階段があらわれた。0.2sでディレイのかかった足音を聴きながら階段を下り鉄の扉を開けると、かつて放火により閉店に追い込まれたはずのブックオフ学芸大学店が姿を現し、店長がぶっきらぼうな一瞥をくれた。店内には他に2人ほど客がいて、それぞれクラシックとイージーリスニングコーナーを見ている。

著作権法の急進的で過激ともいえる改正により中古CDの販売がすべて禁じられてしまった結果、ほとんどの中古CD屋が閉店しただけでなく、暴走する市民や私立警察の手により残った店舗も軒並み廃業に追い込まれていった。いくつかの店舗は閉店をしたように見せかけて地下にもぐり闇営業を行っていてこの店舗もその中のひとつだったが、同じように隠れて会員制で営業を続けていたブックオフ豪徳寺駅前店は先週、謎の武装集団に襲われ壊滅状態になったばかりだった。話によれば、会員の中にスパイがいたらしい。

「あんたは大丈夫なんだろうな」
こちらの素性を怪しんで店長が鋭い目でにらみつけてくる。
「もちろんだ」
首筋に刻み込まれた永井真理子のシルエットのタトゥーを見せると、ようやく店長は安心したようだった。
「まあせっかくなんでゆっくりしていってくれ」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」

いつものように290円棚を「あ」から順番に見ていくと、さっそく宇井かおりの『DOOR』があり期待が膨らむ。しかしその瞬間、上のほうでなにやら爆発音らしきものが聞こえた。

「くそっ、もう嗅ぎつけられたのか」
店長が監視カメラの映像をにらみつけながら吐き捨てるように言った。
「やつらか?」
「そうらしい、ここはもうだめかもしれない。俺が時間をかせぐから奥の扉から逃げろ、立会川の暗渠に出る。あとは行けば分かる」
そういって店長はレジカウンターの下からサブマシンガンを取り出した。
「すまないな、だがもうすこしだけディグを楽しませてもらってから行くことにするよ」
「そうしてもらえれば俺も本望だ、俺が上にいったら、ここのドアは内側から鍵をかけてくれ」
「わかった」

店長が出て行った後に約束どおり施錠すると、他にいたはずの客はとっくに逃げていて店内には自分ひとりだけだった。おそらくこの店舗最後の客は自分になるだろう。なんとも贅沢なディグになりそうだった。頭上の分厚いコンクリートのむこうから銃撃戦の音が聞こえる中、ペース早めで290円棚の途中からディグを再開したけれど、びっくりするぐらいなにもない本当にクソみたいな棚で、時間を無駄にしたと舌打ちをしつつ、裏の扉から地下道に飛び出した。

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