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鯔がきらめく、浅瀬は春(1)

ファミコンのRPG『MOTHER』ではゲーム開始直後、主人公とその仲間たちの名前に加えて、「すきなこんだて」をまずは入力することになる。「すきなこんだて」に入力したものはゲーム内で、HPを回復するためママに話しかけると毎回作ってくれることになる、そういう演出だった。自分はここに「おさしみ」と入力したがこれは他ならない、ボラの刺身のことだった。

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実家の近所の魚屋さんに駐車場として土地を無償で貸していたため、頻繁に魚の差し入れをもらっていた。地元ではゲタと呼ばれてとにかく安く手に入る舌平目、ナマコ、そしてボラの刺身。だから食卓に上がる刺身といえば、かならずボラの刺身だった。

大学で上京してなにを食べてもよい毎日を手に入れて、まずやったのはスーパーの割引になった刺身をひたすら食べることだったが、都内ではボラの刺身をまったく見かけないのにしばらくしてから気がついた。

それからボラの姿を追い求めるようになった。帰省したりボラ食文化がありそうなところを旅行した際には地元ローカルスーパーや港をまわりボラが手に入れば食べ、図書館で郷土資料を調査した。


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ボラについて一般的に知られているのは、渕上祥人『VERDE』の歌詞カードの中でカラシ色のスーツを着てぶっきらぼうにボラをぶらさげて歩いている写真があることと、カラスミがボラの卵から作られているということぐらいだけれど、ちょっとでも釣りをしたことがある人間にボラの話をするとだいたいきまって「ああ、あのくさいやつね」と言ってくる。そんなときも「そうです、そのボラです」とにこやかに対応しながら、内心では「ああ、こいつはくさくて汚ねえ川の水で生まれ育ったやつなんだな、かわいそうに」とおもっている。

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くさいボラというのはだいたい汽水域や河口付近にいるもので、外海で捕れるものはそうでもない。汽水域のボラは川底の藻やデトリタスという微生物などを食べているので水質の影響が非常に大きく、近代になってからは生活排水や工業排水によって汽水域のボラはくさくなりあまり食べることはしなくなったが、それ以前は川や海でとにかくいくらでも捕れる、貴重なたんぱく源だった。大量に捕れる魚だからそもそも値段は安かったが、食べる習慣がなくなり、いまでは稼ぎにならないボラなんかを専門に捕る漁師もいなくなった。市場に出回るのはたまたま他の魚と一緒に網に引っかかったものだ。

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そもそもボラはブリとおなじく出世魚で、大きくなるごとに名前がかわる。地域によって違うが、関東では江戸時代から
おぼこ→えぶな→いな→すばしり→ぼら→とど
と言う風に名前が変わっていく。くさくて食えず忌避されているような魚はそもそも出世魚にはならない。威勢よく水面から飛び跳ねることから、もともとは縁起が良い魚として、昔はお祝い事の席などでも食べられていた。

歌川広重の浮世絵に『魚づくし』という旬の魚と食材を1枚の画にしたシリーズがあり、その中の『ぼらにうど』というものでボラは描かれている、とても身近な魚だった。

名前の変遷については、1831年、江戸時代に武井周作という医者が、近くの魚市場で見聞きし文献を調べてまとめた実用書『魚鑑(うおかがみ)』というものが参考になる。現在のようにボラの名前が変わる基準を大きさではなく歳に置いているのがとてもよい。この本では100種以上の魚についての記述がいろは順にならんでいて、先頭は「いな」となっているが、この「いな」がボラのことだ。

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『魚鑑』
国立国会図書館でデジタルアーカイブ化されているのでネットでいつでも見ることができる。ただ現代語訳されたものはどこにもなくて、どうしても内容が知りたくなり変体仮名を執念で解読して文字におこして、ボラに関する部分だけざっくりと自分用に訳したことがある。ボラの項目内で、江戸前の魚がおいしい理由についても記述があったりする。

・いな
平安時代の辞書『和名抄』の中には「なよし」という記述があり、畿内では「くちめ」、伊勢あたりでは「めうぎち」と呼ばれる。紀貫之『土佐日記』にも「宮中の注連縄に鯔の頭とひひら木」と書かれている。いつからか乾燥させたいわしである干鰯(ほしか)と呼ばれる魚肥を使うようになったけれど、どこでも貯蔵しておくものなのだから、捕りやすいぼらで代用しないのは不思議なことだ。
稚魚は「おぼこ」という。それより少し大きいものは「えぶな」と呼ばれていて、古代中国『閩書(みんしょ)』の中の『南産志』や『南寧府志』では「撥魚(ハツビ)」と呼ばれている。二歳を「いな」、三歳を「すばしり」、四歳以上を「ぼら」、十歳から上は「とど」と呼ぶ。
浅瀬に現れて、夏や秋には群をなして泳ぎ、ときどき大量発生する。佃の沖の方で捕れたものであれば臭みはなくておいしい。ぼらに限った話ではないけれど、神奈川の沖から佃のあたりまでで水揚げされるものは江戸前ブランドとして重宝がられる。
すこし前までは「汚江戸」とか武蔵にもじって「きたなし」などと散々ばかにされてきたけれど、いまや栄えてお江戸ではなく「花の大江都」と呼ぶにふさわしく、全国各地から珍味などが集まるようになった。お金持ちは高級魚を食べ、庶民も食事に魚は欠かさないので、市場には鮮魚だけではなく、くじらからごまめまでありとあらゆる干物も揃っている。
流通量が多いということはそれだけおびただしい量の魚が消費されているということだけれど、しかし、魚や酒だけではなく、やはり米がなければはじまらない。
米を炊かない家などないので、かまどから立ち上がった煙で空は覆われる。各家庭が流す米の磨ぎ汁は排水溝の色を変えるほどで、それらは当然、川へと流れ込み、これにより川の水はおいしくなり、さらには海水までもおいしくしてしまう。水が火を消したり、物を濡らしたりするように。海水から塩を作るのと同じように、生き物においても、江戸前の魚は街や庶民の活気を受け、五穀滋味を得たおいしい水で育つ。それだから他のところで捕れたものよりも味が良いのだ。
ぼらという魚は陰陽の気によってどこからともなく勝手にわいて出てくるものなので、たとえ数千匹のぼらの腹をさばいてみても、そこに卵があることは絶対にない。だからこそ異魚(いな)とよばれる。もしくは、稲の茎が腐ったところから生まれてくるので稲魚(いな)という説もある。
【味について】普通においしくて毒はない
【効能について】胃が元気になり、五臓が活発になる。健康になれる。妊婦が多く食べると血流がよくなる。

・いせごい
畿内では「いせごい」と呼ぶ。関東では「めなだ」、西日本では「しくち」「しゅくち」「くちめ」など、『閩志』では「赤目烏(セキモクウ)」と呼ばれている。ぼらとよく似ていて、口と目のあたりが赤く、大きいものでは1メートルにもなる。背はぼらよりも青く、生でも煮てもとてもおいしい。
この魚は、ぼらのようにわいて出てくるのではなくちゃんと卵を生む。鳥羽のあたりの名産で「筒込(つつこみ)」という、糠に漬けて塩をして藁でまいたものがある。(※注 おそらくなれずしのようなもの)
大きくなるほどに味が変わり、特に冬のものは黄赤色で透き通っている。薄造りにして、酒や酢で食べるとこれに勝る肴はない。もったいないので冬のものは絶対に焼いたり煮たりせず生で食べること。
【味について】普通においしくて毒はない
【効能について】熱痢消渇を治す、病気にならない

・からすみ
漢字では「鱲」と書く。いせごいの卵で、長崎産のものは赤黄色の透明で味はこれが一番おいしい。それに次ぐのが志摩や土佐のもの。一方、備前や讃岐のからすみは全部さわらで作られているので、色は紫黒く、渋くてあまりおいしくない。長期保存には砂糖につけておくか青海苔に包んでおくのが良い。産後に腹が痛くなった時には、からすみを細かく刻んだものをみそ汁にいれて飲めばたちどころに治る。

『魚鑑』の中で「いせごい」と呼ばれているものは、現代ではメナダと呼ばれている。ボラのそっくりさんのようなもので、姿かたちはとてもよく似ていてぱっとは見分けにくい。銀色で胸ヒレに藍色が入っているのがボラ、黄色がかっていて目が赤いのがメナダだが、ボラとメナダを見分ける練習に一番いいのは島根県の宍道湖自然館ゴビウスという水族館で、数十匹のボラやメナダがいっしょに泳ぐ横幅5m以上の大水槽がある。

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他の水族館の展示と違い、ここのボラはストレスのない環境にいるおかげか、水底の藻やデトリタスを食べるしぐさをしてくれる。この前行ったときは、頭をふりふりしながら藻をこそげ取っている姿を1時間半ほど飽きることなく眺めていたけれど、今度はまる一日見ていたいのでまた島根にいきたい。(続)

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