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「働きたくない」という気持ちについて

最近、業務委託先の人に「究極的には働きたくないんですよね」という話をした。遠回りにそう言ったのではなく、直接的に「働きたくないんですよね」という話をした。しかも、たぶん2回くらい同じことを話した。

ただ、これは「あなたらかの依頼をまじめにこなしたくない」というメッセージではない。少なくとも、そこで引き受けている仕事については、なるべく良いパフォーマンスを出せるように心がけている。その心がけの中で、自分の中にある「働きたくない」という気持ちをまとめる必要があるんだな、ということに最近気づいた。

もう少しこれについて上手く説明できないかなーと思っていた折、ちょうど『ライティングの哲学』という本を読んだ。これまで文章指南系の本は何度か読んだことがあり、まあ似たようなことが書いてあるんだろうなと思っていたら、見事に期待を裏切られた。

文章指南系の本というのは、大抵自信に満ち溢れている。「こうしたら上手くいきそうですよ」ということが、すでにある程度成功している著者から語られる。もちろん、それはノウハウ的に、あるいはライフハック的に有効だ。部分的に取り入れることもあるし、「何言ってんだ?」と切り捨てることもある。当然、切り捨てたものが大事だったんだと数年越しに気づいたりすることもある。

しかしこの『ライティングの哲学』という本は、ぜんぜん偉そうではない。4人の座談会形式で展開されるのだが、みんな「書けなくて困ってるんですよ……」と語っており、その書けなさに対してどのように対処しているのかを開陳している。そのため、「書けねえ……」と常に悩みを抱えている僕にとっては、非常に共感でき、かつ参考になる本だった。

これが、一体どうして「働きたくない」に繋がるのか。本書の中では、「執筆しないで執筆する」「書かないで書く」といった話題が繰り返し登場する。執筆というのは、原稿を生み出すための手段である。でも執筆は苦しい。だから、なるべく執筆から執筆っぽさを脱臭し、他の作業をしていると思いきや執筆が終わっている状態にするのが肝要である、ということだ。たとえば、殴り書きのメモを何文字も生産し、音声入力で自由連想的に入力してみて、配信で喋ったことを文字起こししてみる。すると、構造化されていないテキストの山ができる。あとは、これを切ったり貼ったりして、気が向いたら加筆したりもして、原稿として整えていく。「書く」ことと真正面で切り結ぶことを避け、いわば「ずる」をして書くことを終わらせる。なるほどそういう技法があるのだなーと大変面白く読んだ。

そして、僕の中では、これは「書く」をそのまま「仕事」あるいは「働くこと」に転換できるんだろうなーと思うようになった。真正面から仕事に対峙するのはつらい。しかし、仕事をすれば達成感があるし、人から喜んでもらえるし、この世に価値を生み出すことができるし、何よりお金がもらえる。であれは、なるべく多くの量の仕事をこなしたい。しかし、何はともあれ仕事はつらい……。

だから、なるべく「仕事」を仕事と思わず、時には遊びのように、時には息抜きのように、時には趣味のように、そう捉えながら、やるべきことをこなしていくのが良いんじゃないかと思っている。仕事をしていないのに、いつの間にか仕事が終わっている。いいね。最高。

ただ、仕事を仕事ではない形でこなしていく、というのはなかなか難しい話でもある。やっぱりどうしても、仕事を仕事としてこなしてしまうことがある。もちろん、それで仕事の速度が出ている時は良い。しかしそれだけで仕事をこの先も仕事を続けていくことはできないと思うので、なるべく仕事を仕事と思わないようにしていきたいと考えている。

そのため、20代は「仕事」を仕事らしくなくすることに心血を注いできたような気がする。まず、「スーツ」というのは非常に仕事らしいので、新卒から2年でスーツを着なくても良い会社に移った。「会社」というのも非常に仕事らしいので、去年から個人事業主として働いている。

仕事を脱仕事化して大変なことは多い。正直なところ、前職はすごく良いところだったしとても楽しかったし給料も悪くはなかったので、辞めたことを1mmでも後悔していないのかというと嘘になる。しかし、「なるほど仕事を仕事ととして捉えずに仕事をしたいんだなー」という自分の気持ちが分かり、じゃ仕方ないなと諦めることができた。

これからも、できるだけ仕事から仕事性を奪いながら、しかしなるべく良い仕事をしていくつもりです。何卒よろしくお願いいたします。

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