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働き方改革というよりも、全員自営業宣言へ。

アクティブビジョン株式会社代表の川端さんの以下エントリーを読んで、思ったことは「働き方改革」という改善策ではなく、もはや全員自営業者の気持ちで人生を捉えたほうが正しいのかもしれないということ。

働き方改革という名で呼ばれていることは、結局は「自分で価値を出し、稼いでこい」ということに行き着いてしまう。会社にぶら下がるな!ということ。長い人生、いつまでも会社が面倒を見てくれるわけではないし、会社を辞めてから生きる時間が長くなっていることも明らかだ。川端さんの書いているように、自分の経験やスキルを使って複数の収入や次に向けの学びのポートフォリオを作って行くことが求められてくるだろう。

こういう話になると、「全員ができるのか?」とか「特別な人しかできないのでは?」という声が出てくる。でも、農家や漁師、商店、大工などの自営業が当たり前だった時代には、この働き方への意識が標準的だった。むしろ、サラリーマンと言われる月給の職業は、エリートだけがつける特殊な職業だったはずだ。

自分は40代だが、親や親戚が自営業をやっている家庭で育った。商売の話が飛び交い、それぞれが持っている能力を使って広義のファミリーとして連携して商売をやっていた。安定しない不安はあるものの、ファミリーで企み新しい事業を始めることも楽しんでいたように子供の目からは見えた。そして、うまくいっていないときには、ファミリーとして支え合うことも自然のことだった。

さらに、父親は9人兄弟と人数が多かったことで、商売のポートフォリオが成立していた。どの商売にそれぞれが就くか親が決めており、丁稚に入り(スキルと商流を学ぶ)、その後暖簾分けして独立するという流れだった。上の川端さんの図に当てはめれば、赤の本業部分が丁稚奉公で、その後独立するのは似ているかもしれない。※年数は短く、人生の早い時期にそれを経ている違いはあるが

私の世代だと親がサラリーマンが当たり前だったので、もう一世代上である自分の爺さん世代がどういう職業感を持っていたのかが参考になるのではないだろうか? 戦争を体験している中で、自分たちの食い扶持を作っていた身近な人のことを知ることで、職業感も変わってくると思う。

自営業意識で生きていくということは、不安的な中でなんとかやっていくというツライ面だけではなく、経営がうまくいったときの楽しさや、お客さんから喜んでもらえることで得られる貢献感は、当事者意識が強い自営業者のほうがずっと高い。社会が停滞したことで…と思わずに、自分の人生のハンドルを握れる自営業という意識や、リアルソーシャルゲームとして楽しむぐらいに前向きに切り替えていったほうがいいと思う。

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