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卒業式はないけれど

新型肺炎コロナウイルスの対応のため,今年は卒業式がなくなってしまいました。皆が集まることは難しく,学位記は自宅に郵送され,学部の学位授与もなしという状況です。

…ということで,今年は主任として私が祝辞を述べる機会もなくなってしまったというわけです。

昨年の祝辞は,この記事に書いた内容でした。卒業式はありませんが,今回も祝辞っぽいものを書いておこうと思います。

人と会いたいのに会えない,しかも自ら選択した要因ではなく,社会的な要因で望む行為ができないというのは,なんとも無力感を抱いてしまうような状況です。また,報道を見るとこれから世界がどうなっていくのか,先行きがとても不透明な状況が続いていますので,とても不安な気持ちにもなります。特に,これから社会に出ようとする学生の皆さんにとっては,経済状況の悪化も不安材料です。

今回卒業する学生たちの場合,就活を始めたときには「売り手市場」で,とても就職状況がよかったはずです。ところが,その決めた進路へ進もうとする矢先に,将来のことを心配しなければいけない状況になってしまいました。本当に,これは自分の力ではどうしようもないことです。自分でコントロールできない要因によって自分の人生が左右されるというのは,なかなか辛いことでもあります。

現代の私たちは,幼いときから「将来は何になる?」と,自分で自分の選択をするように教育されます。「わからない」というと,「自分の人生なんだから自分で決めなきゃ」と言われます。「何々になりたい」というと,「自分で決めて偉いね」と言われたりもします。大学を決めるときも,そうだったかもしれません。自分で自分の進む先を決め,進む先を選ぶことに理由をつけて,自分で納得の上で進学させようとします。自分で自分の人生をコントロールさせようとすることは,現代社会を象徴する指導の仕方に思えます。

しかし,人生というものは実際,そんなに自分の思いどおりに進むわけではありません。自分でコントロールできる要因以外の要素が多すぎて,あっちへ行ったりこっちへ行ったり,進んだり戻ったりしながら生きていくものです。

でも,ずっとあとになって振り替えってみると,「それがあったから今の自分がある」と思えるのも事実です。それは一種のナラティブですし,言い換えれば自己正当化です。でも,その自己正当化は生きる上でとても大切です。それがあるから,いま困難を経験していても,ずっと後になってそれが糧になったように思えるのではないでしょうか。事実を歪めることはバイアスとして避けるべきだと教わるかもしれませんが,どうせ私たちの認識はどこかの方向に歪んでいます。であれば,心の安らぎが得られるような歪め方をしてもいいのではないかと,ちょっとひねくれた考えをしてしまうこともあります。

もちろん,長い人生の中には「それをしなければよかった」と後悔する出来事も起こるでしょう。ただし,今起きている世界的な出来事の場合,自分ではコントロールできない要因が降りかかってきているのですから,それは自分の責任ではありません。そこも,自分本位に考えてしまいましょう。

困難な,自分ではどうしようもない出来事が降りかかってきているときに,支えになるのは自分に蓄積されたものです。それは勉強でも,趣味でも,何かの技術でも,実績でも構いません。また,これまでに成長してくる中で培った人間関係も,自分の蓄積です。それは親子関係でも,SNS上の関係でもそうです。不安定な世の中ではありますが,自分で培った,蓄積したものは簡単には消えません。そういうものが拠り所になる時があるのではないかと思います。

こういう時だからこそ,少し自分の中に積み重なったものをもう一度見てもらうと良いと思います。そしてその蓄積を活かして,存分に活躍していくことを期待しています。

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