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大学院の研究を通して身につけた力が、実は社会に出てから必要な力だった

こんにちは。ucoです。

今回は、私が自分の人生の中で最もSTEAM教育の重要性を感じた時の話を書きます。

人生サマリーでも触れた通り、私自身が、大学・大学院と理系に進学しており、STEAM教育の中ではSに当たるサイエンス教育を実際に受けてきました。ですので、今回書くのは私自身の実体験の中で感じた、STEAM教育の重要性の話です。


働きたくなくて進んだ大学院

私は、早稲田大学教育学部理学科の生物学専修というところに在籍していました。ちょっと不思議な学科で、4年でみな研究室(ラボ)に入りますが、その研究室在籍のまま大学院に進むと、なぜか理工学研究科になるという、実際は教育学部というより理学科要素の強いところでした。

そこでは大学3年時に、就職をするか大学院に進学するかの選択をしなくてはならなかったのですが、私は「いますぐ働く自分が想像できない」という極めて子供っぽい理由で大学院進学をすることにしました。

大学院進学を希望する生徒を対象に、どの研究室に入るかという研究室決めが行われた際、私は1年前に立ち上がったばかりの研究室を希望しました。

その研究室を希望した理由は2つありました。一つ目はその研究室の教授の人柄が好きだったからということ。そして、もう一つが、上述した通りその研究室が新しくできたばかりの研究室だったからということです。

作られた道を歩くより、自分で道を作る方が楽しそうだと思った

立ち上がって何年も経っている研究室では、既に行われている研究があって、それを先輩から引き継いでいくという流れが主流だと思います。しかし、新しくできたばかりの研究室ではそもそも引き継ぐ研究がありません。自分の手で新しく研究を立ち上げる必要があります。

新しく研究を立ち上げるというのがどういうことなのか、この段階では全く分かっていなかったのですが「誰かが作ってきたものを引き継ぐより、自分で作っていった方が面白いのではないのかな」と<直感的に>感じたため、その新しく立ち上がったばかりの研究室に進むことに決めました。

これまでの「実験」とガラリと変わった「研究」

晴れて第一希望の研究室に進級してから、私が教授から与えられた研究ミッションは、「アフリカツメガエルを低温環境下に置いた時、血球の数がどう変わるのかを調べる」というテーマでした。分かる人には分かると思いますが、いかにも立ち上げらしい、基礎中の基礎の部分の研究です。

いざ研究を始めるにあたり、決定的に困ったことがありました。それは、手段が確立されていない課題への取り組み方を誰からも教わったことがなかったということです。

これまで、小学校でも、中学校でも、高校でも、さらには大学の授業で行ってきた「科学実験」でさえ、実験とは「手段も結果もある程度決まっているもの」で、与えられた手段に従って実験すれば理想的な結果を出すことができるものでした。

しかし、当たり前といえば当たり前のことなのですが、研究というのは、誰もやったことがないことをするからこそ価値があるのであり、過去の研究手法を参考にすることこそあれど、本当に新しい研究には確立された手段などないのです。そんな当たり前のことさえ、当時の私は分かっていませんでした。

”ない”手段を作る・直面した課題を解決する

前述した通り、私が教授から与えられたテーマは「アフリカツメガエルを低温環境下に置いた時、血球の数がどう変わるのかを調べる」です。カエルを冷蔵庫みたいな低温環境で飼育して、採血して、血球数を数える。言ってしまえばたったそれだけの研究だったのですが、約3年間の研究過程には数々の苦労がありました。

特に、低温環境下においてアフリカツメガエルが長く生きられず有効なデータが取れないということには悩まされました。問題が起こってうまくいかなかったら、なぜその問題が起こるのかの仮説をたて、それを解決するための方法で再度実験にチャレンジする。そんなことを繰り返し、ようやく「低温環境下でアフリカツメガエルの赤血球数は減少する」という結果を得ました。私は、世界で初めて「アフリカツメガエルを冷蔵庫みたいな冷たい環境で飼育して、採血をして、血球数を数えてみた人」になったのです。

そして次のステップとして、なぜそのような生理現象が起こるのか仮説を立て、その仮説を証明するための実験を行うことになったのですが、大学院を卒業後は就職することに決めていたため、その研究は後輩に引き継ぐことになりました。

この大学院での研究を通じて私が体験したことは、次の3つです。
・仮説を証明するための手段をゼロから考える
・途中で起こる様々な問題に対して原因と解決方法を考える
・得られた結果を次にどう活かすかを考える

当然ながら、当時の私には全てを自分で考える力などなく、教授や優秀な先輩たちに支えてもらってなんとか修士論文を提出し、無事に卒業することができました。

研究の流れはPDCAサイクル

一般的に、科学の研究の流れは次の通りです。
①証明したいこと(発明したいもの)に対して、
 どうしたらそれが証明できるのか、発明できるのかを考える。(Plan)
②仮説に従って行動する(Do)
③その結果を記録する(Check)
④結果を考察する(Action)
 仮説通りではなかった場合には「なぜ仮説通りにならなかったのか」を考え改善して再度取り組みます。仮説通りだったとしても必要に応じてはもっといいものに、もっと効率よくそれができないかを考えブラッシュアップします。あるいはその実験の結果を他の実験に応用したりします。

つまり、研究のプロセスそのものがPDCAサイクルです。
「できない理由を考えてしまっては成り立たない」のが科学という学問なのです。

社会で価値を生み出す段取りは、科学の研究と同じだった

この大学院での経験が、自分にとって大きな糧となっていたことに気が付いたのは、社会人になってからでした。

地道な研究という世界があまり自分には向いていないと悟った私は、大学院を卒業後、通販化粧品会社に就職し、商品企画部に配属されました。
商品企画とはつまり、新しい商品(価値)を世の中に生み出す仕事です。

商品企画の方法には大きく分けて2通りの方法がありました。
1つは、既に何かしらの素材があって、それを利用して新しいものを作り出す方法。そしてもう一つは、世の中のニーズに合わせて、全くのゼロから新しいものを作り出す方法です。
そして、そのどちらに対しても、私が研究室で身に付けた「0⇒1を創り出す発想」や「課題解決の力」が役に立っていると実感したのです。

科学教育を受ける本質的な意義は、専門的な知識を身につけることではない

ここまでで書いた、大学院から社会人にかけての一連の体験を通じて、私はSTEAM教育の重要性を理解しました。

研究を通して身に付けた、仮説をもとに戦略を立てる、やってみて問題ががあったら解決策を考えるというような、「ゴールに向けて試行錯誤を繰り返す力こそ、そのまま社会に出てから必要な力」だったのです。

世間では理系に進んだ方が就職に有利、ということを頻繁に耳にしますが、それは、理系の学生が理系の専門的な知識を有しているからだけではなく、むしろ、理系的な物事の考え方ができることが重宝されるということのです。

理系的なものの考え方は、理系の進路に進んだ人だけが身につければ良いのか?

私を含む、他の多くの大人達にとって、小学校〜高校までの理科の授業で教えてもらったのは、99%が理科の「知識」だったのではないかと思います。しかし、上述した通り、理科を学ぶ本当の意義は「理系的なものの見方を身につける」ことになくてはならないと強く思うのです。

理系的なものの考え方は、大学で理系を進路に選んだ人が身につければ良いものなのでしょうか?現状多くの場合はそうなってしまっていますが、私は違うと思います。

私は、誰もが、国語の力や算数の力と同じように、理系的な物事の見方・考え方を身につける必要があると考えています。

理系的な考え方を身に付けておくと、自分で見つけたゴールに対し、何をどうすれば良いのかを考えることができるようになります。将来、文学の道に進もうが、芸術の道に進もうが、スポーツの道に進もうが、どうしたらそれが実現できるかを考えられるようになるのです。

理系の物事の考え方は、子供たちの生きる力に直結しているのです。

サポート宜しくお願いいたします。これからも子供たちの笑顔のために頑張ります。