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自分を受け入れる事が移住のきっかけ

すっかりお正月ボケに両足を突っ込んでいましたが
この週末はまた2人で片付け、片付け、片付け。

スケジュールがタイトすぎて、何一つ捨てずにとりあえず引っ越してきたので、荷解きの今、いる、いらない、を
している状況。だからかなり時間がかかっています。
そしてやっぱり、建売のように、ハイここ収納!という風にわかりやすい間取りではないので、新たに何かしら家具を買う、あるいは作る、をしないと、全ての荷物が入りきらないことは明白。建売すごいなーってやっぱり思う瞬間。しかし見切り発進してしまうと、無駄なものを買ったり作ったりしてしまいそうなので、何が必要なのかを理解するためにも、地道に1つ1つ、いる、いらない、をやった上で、次何が必要か?を考えようと思っていいます。荷物のほとんどは私の仕事の材料ではあるのですが、アメリカから持ってきた思い出もたくさんあって、それの方がむしろ整理しなくてはいけない状況。捨てても思い出は消えないから、あれこれ思い切って捨てています。
週末に分別したゴミ、今週もせっせと捨てています。
年末からいったいどれくらい捨てただろうか。
でもそのまま持ち続けてもいつかはやっぱり捨てる日が来るだろうし、むしろもっと歳を重ねてからは、その体力すらなくなる可能性があるので、やっぱり今なんだと思う。そう言い聞かせて、段ボールの山と格闘しております。

さて、新年早々嫌な回想話をするのもなぁ…としばらく避けていましたが、続きの話をしようかと。
家探しの話です。


売主として前の家の契約が終わったその日から、やっと次の家探しへ向けて動き出す事ができました。
この頃が1番ワクワクしていたかもなぁ。

営業さんは、時間がある、まだ時間がある、といつもそう言ってましたが、私たちは内覧も週末しか行けないし、私がpopupのスケジュールが入れば、週末も動けなくなります。
2人揃う事ができないので。
だからその、時間がある、という言葉も、ずっと信じる事ができなかったんです。(もちろん私達の状況は説明した上で、時間がある、と営業は言ってきてたのだけど)

外でお会いする方々にアトリエの事を聞かれても、もう少しかかりそう〜と明るく答えてましたが、家で、そして親しい友人の前では、家が見つからない…と、しょっちゅう泣き言を言っていたんです、実は。

結果から言うと、私たちはこの営業によって、2ヶ月の間に2つの物件を逃し、無駄な時間を過ごしました。
単に先着順とか、そういう話ではなく、本当にこの営業によって操作され、邪魔をされていたのです。信じられないですよね。でも事実なんです。

住んでいた家の引き渡しまで3ヶ月しかないのに、2ヶ月を意図的に操作され、無駄にした。

数少ない事情を知る方々、皆さん口々に、そんなことあるの?って言います。
あったんです。
そしてこれは珍しいことではないらしいのです…特に大手の不動産営業のやり方として未だにあると…

残りの1ヶ月、自分達で動いて何社か回ったり、最後はご紹介頂いた不動産営業の方に助けて頂き今があるのですが、なぜそんな状況になったのか?とやはり聞かれます。売却から始まったあの営業とのやりとりを説明すると、同業の皆さんがドン引きするという始末…でもこれが実際の不動産業界の闇でもあるんです、と、話して下さった。

家というのは、本来、人生の中で特別な買い物で、時間をかけて、ゆっくり自分達のライフスタイルと照らし合わせながら納得して買うもの、楽しい買い物なんです、と最終的にお世話になった営業の方はおっしゃっていました。その方は本当に今まで会ったことのないような方、営業という存在でも、人としての存在としても、何で表現したらいいかわからないほど、とにかく存在感と生きる力がみなぎった方でした。無理強いは一切なく、見切りを付ける最後まで、私達が前の営業に義理を通しているんだなという事も理解してくださった上で、もう、時間的リミットです、と。最後、私に預けてもらえませんか?と言ってくださり、この家の契約まで本当に最後の最後まで大変な状況だったのですが、日程通りに引っ越しまで引っ張ってくださいました。

何があったのか…本当は書こうと思っていたけど、この数日、下書きに入れたこの記事を何度も書きては消し、そして読み返して、やっぱり細かく書くのはやめようと思いました。もし聞きたいと思ってくださった方がいたら、直接会った時にでも聞いてください。思い出話としてお話しさせて頂きます。
悪い記憶を文字で残そうとすると、話すことよりもずっと体力が消耗するんですよね。 
そのことに改めて気付きました。

最後、前の家の残金受け取りがあったので、銀行で例の営業と顔を合わせましたが、一度も謝ることもなく、平気な顔で、私たちの前にいました。
こんな大事な日に、しかも最後に連絡を取ってから時間が空いているにもかかわらず、前日にも何も連絡はなく…
むしろ今の家の契約をお願いした営業の方の方が気にかけてくださっていて、全てが終わった時間を見計らってお電話をくださり、滞りなく売却が済んだこと、おめでとうございます、とおっしゃってくださいました。
例の営業からはそんな言葉は一言もなかった…

売主として、そして数日後に今度は買い主として、契約の場に立った訳ですが、関わる人によって、こんなにも違う時間を過ごすことになるのか…と実感しました。

この家の契約自体、本当に大変だったんです。それを感じさせないよう、むしろよかったですね、と皆さん言ってくださった。売主さんもこのスケジュールにご協力くださり、引き渡しギリギリまで家の状況を確認してくださって。ゆっくり新年を迎えてくださいね、と言ってくださった、私たちは本当にゆっくりとこの家で新年を迎える事ができました。大晦日まで続けた片付けも一旦忘れて、のんびりと数日を過ごしたのです。

この家は古いけれど、最初からポジティブな空気が流れていて、とにかく気がいい。新しい住人となった私たちをスッと受け入れてくれました。

だからなんとか手を加えながら、一緒に年を重ねていけたらなって思うんですよね。

私とほぼ同い年の家。
3つ私の方がお姉さんだけど。
だからわかる、40年以上、頑張ったねって思うんです。
あちこちガタがきてて当たり前。
でも、まだ大丈夫だよって思ってる。

そしてこの家は5月に建てられていて
私の誕生日も5月。
勝手に縁を感じています。

なんというか、仕事とか、
頑張らなきゃいけないって思う時
きっとこの家の存在が
私にとっての同志みたいな
そんな感じなんじゃないかって思っていて。ガタがこようが、多少古くなろうが、そんな事で嫌いになんかならないよって思うし伝えたい。

私は37歳から、ヘアカラーをやめたんです。今は年齢なりに白いものも目立つようになってるし、ネイルもやめました。きっかけは夫の一言。

ゆきがやりたいことならいいけど
無理してるならやめたら?
俺はどっちでも全く気にしないよ。
ゆきはゆきだから。
何も変わらない。

確かに。昔は楽しくてやってたことだけど、年齢を重ねていくにつれ、楽しい、よりも、隠す、に変わっていってた。。むしろ苦しくなってた。

そして若白髪に悩んでいた夫に対して、まさに彼が私に言ってくれてたように、そのままでいいのにって私は思ってた。そうか、そういうことか。
妙に納得した瞬間でした。

その後すぐにアメリカに引っ越して、その気持ちはさらに強くなったのです。私は私、その事を教えてくれたのもアメリカでの生活でした。

そういう時間を経て、帰国後すぐに動き始めた移住計画。結果的に移住というほどの距離ではなかったかもしれないけど、自分達の未来を見つめ直して、そして自分達がどう暮らしたいのかを真剣に考え、この場所に決めました。
だからなのか、一言も自分達からその言葉は言わなかったのに、お世話になった営業さん、私たちの気持ちを汲んでくださるかのように、言って下さったんですよね。
夢の移住、叶いますよ、と。
それが記憶に残っています。
あぁ、移住、そうだよね、5年、遠回りしたけど、納得する移住ができた、やっとスタートラインに立てたんだ、まさにこれを書いている今、改めてそう思っています。

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