センス・オブ・ワンダー

自宅の金木犀が満開を過ぎた。
流石にもう香らない。
しかしその花の咲き誇る様は目を引いて魅力的である。
何しろ2階のベランダからも見えるほどの背丈だから。

この1週間ほどの間、何人の子供たちがこの家の前を通り過ぎながら「うわあ、大きい!」とか「見て!お花」と叫んで言ったことだろうか。
我が家には二本の金木犀があるので、必ず「あ!また!」という声が聞こえる。
子供は感じたままにすぐ言葉が出てくる。
その声は大きく誰にも何にも遠慮しない。
素晴らしいことだと思う。

ふと本棚から手に取ったレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』に次の一節があった。

「もしも私が、全ての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかけることが出来るとしたら、世界中の子供に、生涯消えることのないセンス・オブ・ワンダー(不思議や神秘に対する感受性)を授けてほしいと頼むでしょう。
 この感性はやがて大人になるとやって来る倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです」

この近所を通る子供たちにとって、金木犀が満開の花を咲かせていることは、大声を上げて指差すに値するほどのことなのだ。
そんなことはこの世の中に満ちている。
自分自身を倦怠からすくい出し、目を見開かせることが出来るのは、他でもないこの自分なのである。
私はこの本のメッセージを、来週、沖縄の海辺に携えていこうと思った。

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