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身体から見えてくるどこにもない時間‥ ブログAs above So below-#7 無意識の場と身体の受容の神秘

出産されてまもないクライアントさんの施術をさせていただいた時のこと、、、
仰向けに寝ていただいて、手が引かれた骨盤のあたりでじっとしていると、クライアントさんが頚椎の7番あたりが熱い熱い、
低温やけどしそうだというので、

何事か、と初めは持てる知識を総動員して、その繋がりについて考えを巡らせていたのですが、
はっと、これは、今私にはわからない治療が起きている、今のわたしにわかるだけの情報しか開示されないのだと言うことにしばらくして気づきました。

わたしのレベルでは、それは知らない方が治療はうまくいくのです。
案の定骨盤の治療が終わると首の熱さもなくなりました。

意識や意図を向けただけで、その原因、働きを隠してしまう繊細な身体に向き合い続けて思うのは
本当に大切なものは、隠されていると言うことです。
わからない人が余計なことをしないように。

これが人智の及ばない自然の叡智なのだとおもいました。

興味深いのは、わたしが、知ろうと知るまいと必要な治療が起きているということ。
この意識的でない、無意識の場と身体の受容と治療のシステムに改めて、深い関心を持ちました。
治療に関わる人の意識の、生きるプロセスへの影響、見る見られるの奥深いミクロのシステム、秩序を無視しては、原因のわからない心と身体に複雑に編み込まれた症状の改善は難しいのではないか、そんなふうに感じました。

未知の素粒子の存在ダークマター?についてなど、宇宙のなぞについては、一般の私たちにも情報が流れてくるようになってきました‥同じようにインナースペース、、身体についてもこれから徐々に解き明かされていく、、のかもしれません。

けれども何のために?
これからは人がそれらを解き明かす目的、意図がとても重要に思えてならないのです。

いままでどおり、人類のエゴのために深入りしていけば必ずどこかで突き返されるんではなかろうか。と。

愛だ、謙虚さだというと、急に“文系“的な扱いになり、科学から遠のいてしまうのが今までのヒトの、それこそ、“無意識“の棲み分けかもしれませんが、

観察する対象ではなく、その主体の在り方によって見せてもらえるものが大きく違ってくる、

何から始まっているか?

それは今後の未来を左右する重要なキーであるように思います。

見る、何かを引き起こす存在であると同時に、見られている、引き起こされている存在であることに気づいている事は(それが何か分からなくても)とても重要な事だと思います。

何より平和のために。
新しく迎える新年が明るいものでありますように。

※添付の本は友人に借りたままの(本当にごめんなさい)とても興味深い本。オステオパシーと先の投稿で挙げさせていただいたように、内受容感覚の活性化にもとても重要な役割を持つとあるコンティニュアムの両方を学び、実践されている先生によって書れた本です。主に“液“の働きについて詳しい本のようですが、この辺りからも、人の身体の受容と意識について少しづつでも学べたらいいなと思います。英語がすらすら読めたらいいのですが。今年もきっと牛歩のごとく、、です。やはり実戦と記録メインかなあ😭

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