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ジェシーの愛の話

ここしばらくちょこちょこジェシーへの感謝をポストしていたのだが、思いが溢れてすぎて140文字に収めることに限界を感じ始めたため、文字数制限のないここで思う存分ジェシーへの愛と感謝とその他諸々オタクの叫びを綴ろうと思う。いろいろ長尺で好き勝手語るが、結論は「ジェシー大好きSixTONES大好き全員幸せであれ」。これに尽きる。


沼の始まり「パリピジェシー」

初めてSixTONESを認識したのは、2023年1月。大阪までバレーの試合を観に行って、その晩ホテルでぼんやりとYouTubeのショートを流し見していたときのことだった。顔とスタイルが良くなければ大事故待ったなしな全身赤のセットアップを世界一華麗に着こなす脚長イケメンに、ふと目が止まった。それがこちら。


頭身が狂いそうなほどに長い足、位置が高すぎるうえに尋常じゃない可動域の腰、瞳はサングラスで隠れて見えないにも関わらず全身から伝わる独特のグルーヴ感、絶対について行っていけない感満載の「こっちおいで」。それらに一瞬で惹かれてしまったその瞬間が、今日まで続く底なしハッピーカオス沼の始まりだった。

前髪センター分けの男に弱いという妙な癖を持っていた私は、パリピで見事なまでに北斗のビジュに転がり落ち、彼について調べるうちに髙地優吾の沼に足を取られ、沼に抗うようにハンドルを切った先の森本慎ちゃんのお顔(主に凛々しい眉ときゅるきゅるのおめめ。森本慎ちゃんの幼少期が天使なのは言うまでもないけど、今の方が遥かにかわいいんだよなあ)の虜になり、同時進行で樹&きょもの枕セッション激ヤバインセプラジオに腹が捩れ、そして当然のように箱推しになるのだが、この間おそらく1ヶ月程。つまるところ、パリピジェシーに引っかかってから猛スピードでSixTONESの沼にズドンと転がり落ちたのである。初期の初期でズドンを体験していた。やったね。

8/23追記
約1ヶ月ぶりに更新されたブログに、青空を背負うジェシーの姿があった。透き通るような薄水色の空が世界一似合う美しい人。赤い服を着たその姿がありし日のパリピジェシーを彷彿とさせて、全私が号泣した。おかえりなさい、貴方の帰りをずっとずっと待っていました。

QOLと自己肯定感を爆上げする「推し」

SixTONESに出会うまでバレオタとして生きていたのだが、推しにSixTONESが加ったことで、人生はより豊かになった。さらに、ゆごほく繋がりでふまけんを知り、SexyZoneも推すようになってからは、3つのライフラインで毎日てんやわんや楽しい日々を送っている。(推しとは少し違うが、私はずいぶん昔から、尊敬する人物として中居正広さんの名前を挙げていた。物心ついたときからSMAP×SMAPで育ったのだ、何ら不思議ではない)

ここで少しだけ、SexyZoneの話をしたい。
SixTONESを好きになった少しあと、王道アイドルど真ん中SexyZoneの沼に飛び込んだ。人生遊戯にうっかり落ちた。
革命的スーパーアイドルtimelesz と最強スーパーアイドルケンティーは、それはそれはどストレートに「愛してるぜお前ら」を公言してくれる。そんなことをされたら否応なしに「え?私愛されてる?逆逆、私が貴方を愛してやまないの。こっちが勝手に好きなだけだから。貴方たちはみんなでニコニコしてて、ふまけんはお互いの背中だけ感じてて、それだけでいいから。え?なに?私のこと愛してるの?やだもー、好き」状態に陥ってしまうのだが、彼らの沼はそれだけでは終わらない。噛めば噛むほど味が出るように、推せば推すほどファンへの愛を深く感じてしまうのだから、ありがたい話である。結果、QOLは爆上がりする。本当にありがたい話である。

こちらが勝手に好きで推しているのに、結果的に彼らから愛されてしまう。推したらほぼフルオートで両思いって、これ何て世界平和?人類皆誰かを推したら、世界は今よりずっと幸せになるのではないだろうか。
しかも最近のタムちゃんズに関しては、ことあるごとに「信じてついてきて」と言葉にしてくれるではないか。オタクにとってはもはや、数ヶ月に渡るただのボーナスタイム。推していてこんなに誇らしい気持ちになることある?3人だけでガンダム乗るなよ、オタク専用ガンダムはどこだ。(余談だが、佐藤勝利さんに至っては、曲中で「僕も君が好きだよ」などの甘い台詞を存分に囁いてくれるサービスタイムまである。普通にいい曲だから聴いているだけなのに、急に好きって言われるから結構びっくりする。しかもたまに俳句まで詠んでくれる。佐藤勝利担の皆さんは前世で相当な徳を積んだに違いない。おそらく私も前世で世界のひとつやふたつ救っているはず)

愛の権化「SixTONES」

SixTONESは、おそらく王道アイドルとは健やかに良い方向に違う。彼らは甘い台詞は囁かない。囁くのは連休が終わるという地獄のようなアナウンスだけ。叫ぶのはママへの特大の愛。リスナー喧嘩しようぜオラオラ健全良い子アイドルが、SixTONESである。

彼らからオタクたちにストレートに愛を伝えてくれる機会は少ないかもしれない。だが彼らも、噛めば噛むほど、推せば推すほど、彼らの一挙手一投足を見れば見るほど、彼らの発信する言葉を聞けば聞くほど、そこに愛があると思える。

ライブの挨拶の時、ジェシーはよく「ストレス発散できたか?」と会場にいるオタクたちに聞いている。私は彼のこの言葉を初めて聞いたとき、多少なりとも違和感を覚えた。「楽しかったか?」ではないのか、と。
ジェシーの問いの本心はわからない。なので、これはただの一オタクの推察にすぎないのだが、ジェシーのこの問いはもしかしたら、彼なりのエールなのではないだろうか。今日は楽しかったか、嫌なことを振り落とせたか、明日からも生きられるか、がんばれるか、と問うてくれているのではないだろうか。
「楽しくなくても笑うの」。私にはこの言葉が、ジェシーが私たちに最大限寄り添ってくれた言葉のように思えてならない。この世は地獄と語る彼が、それでも「笑う」ことを諦めるなと、幸せを諦めるなと、訴えかけてくる。どんなに辛くても落ちるところまで落ちても、それでもそっと手を差し伸べてくれているような、そんな気がしているのだ。

だから私は、ジェシーの笑い声が好きなのだ。気持ちが限りなくマイナスに向かっていってしまったときも、彼の笑い声を聞くだけで、心にほっと、暖かいものが灯ったような気持ちになる。あの特徴的な笑い方に、楽しくもないのについつられて笑ってしまう。そうしたらいつのまにか、少しだけ元気になれている。いつもそうして、私は彼から温かくて柔らかな活力を貰えていた。私は、それがジェシーからの愛なのだと、勝手に思っている。勝手に思って、勝手に受け取って、勝手に感謝している。

SixTONESのライブ映像を観ると、彼らは時たま(というかしばしば?)輪になって顔を見合わせて、まるで6人だけの世界で楽しそうに、幸せそうに歌っている瞬間がある。蕩けるように笑って、6人以外誰も入れない空間で、ただ互いを愛で、6人の音楽を愛でる時間。
私は、あの時の6人がすごく、とても、心底、大好きだ。そして、あの一瞬こそがSixTONESの愛だと、SixTONESが世界に発信する世界一大きな愛だと、やはり勝手に思っている。勝手に思って、勝手に受け取って、勝手に幸せになっている。結局、推し活ってそういうことなのかもしれない。

愛の言葉「ズドン」

そもそもの話、ズドンとは何なのか?その謎を解き明かすべくアマゾンの奥地に向かったことはないが、ズドンという言葉に出会ってこのかた、ズドンがどういう意味を持つ言葉なのか、一切わからない。有識者の方、いらっしゃったらぜひレクチャーをお願いします。

私にとっての「ズドン」は、愛おしくて、尊くて、恋しくて、ほんの少しだけ羨ましくて、いつも笑顔をくれるかけがえのない、まるでジェシーそのもの、SixTONESそのもののような存在だ。だから私はジェシーのズドンをいつまでも待ち続ける。意味は全くわからないのにこんなに大切に思えるなんて、ほんと不思議。

ただ、悲しいことに今、ズドンという言葉が、誰かの負の感情を掻き立ててしまっている現状がある。
私自身は彼のコメントに笑い崩れ落ちたタイプのオタクなのだが、別の受け取り方をした方々も多くいたようである。なお、それ自体は絶対に悪いことではない。受け取り方は人それぞれ。

さまざまな意見がSNSを飛び交っているのは、それぞれにSixTONESを好きだったり、ジェシーを好きだったりするが故だと思う。だが、好きという気持ちを免罪符に放たれた言葉は、時に愛の皮を被った暴力に変わってしまう。この1ヶ月、私たちはそれを目の当たりにしてきた。
振り上げた拳の発端がSixTONESやジェシーへの愛だからこそ、彼らを推したいからこそ、やり切れない。好きな人を傷つけた分、自分も同じだけ傷つくのは誰もがわかりきっていることだと思う。だから辛い。辛いからまた愛を纏った拳を振るう。
願わくば、この悪循環を止めるためにも、どうか一度距離を取って、その拳を納めてもらえないだろうか。難しいだろうか。握りしめた拳を解いて、気持ちが落ち着いたらまた戻って来れば良いだけの話、というのは、甘い認識なのだろうか。

私たちオタクは、勝手に彼らを好きになって、勝手に推して、勝手に期待して、勝手に夢を見て、勝手に愛を解釈して受け取っていただけの存在にすぎない。誰に頼まれたわけでもなく、仕事にしているわけでもなく、自らの意思で彼らを推して、自らの意思でお金を使って、人生に彩りを加えてもらっていた、それだけの存在。
推しとの距離を見誤ってはいけない。オタクが肝に銘じるのはただこのこと一つだけだと思う。肝に銘じたら、明日もし推しの名前が世界中に轟いたときに備えて、美味しいものを食べてあったかいお風呂に入ってあったかくして寝る。あとはほどほどに経済を回しておけば、たぶんそれだけでいいのだと思う。

私が何よりも恐れているのは、ズドンという言葉が失われてしまうこと。ジェシーが愛したこの言葉が、スト担にとっての呪いの言葉になってしまうことが、何よりも怖い。怖いし、どうしようもなく嫌だ。どれくらい嫌かというと、2016年にSMAPが失われてしまったことくらい嫌だ。もうあんな思いはしたくない。
だが、私がどれだけ嫌だ嫌だと駄々をこねたところで、未来がどうこうなるわけではない。このまま呪いの言葉として永遠に封印されてしまうかもしれないし、また以前のように誰もを笑顔にする言葉に戻るかもしれない。ただ、どんな結末になろうとも、おそらく私はこの先もずっとズドンを大切にし続けるし、ジェシーからのズドンを待ち続ける。ジェシーがズドンと言った日には、1人ズドン祭りを開催する予定である。

と、ここまで書いてふと、ズドンズドン言っているのはジェシーではなくMr.ズドン先生であることに気がついてしまった。お詫びして訂正します。(ところでMr.ズドンって誰?何?)

オタクの戯言「推しの幸せ」

私にとってSixTONESを推すことは、自分を幸せにすることとほぼ同義である。そのSixTONESを作り、守ってくれたのは他でもないジェシーだから、ジェシーに対しては特別な感謝の念を抱かずにはいられない。ジェシーの歌声、ダンス、顔とスタイル、トーク、笑い声、全てがただひたすらに大好きなのは大前提として、彼に対して何よりも伝えたいのは、深い深い感謝の気持ち。ジェシー、貴方がいたから私はSixTONESに出会えて、幸せになれました。本当に本当に、心からありがとう。

普通に生きている限り、一生をかけて幸せにできる人の数などたかが知れている。でもジェシーは、アイドルの彼らは日々、何千、何万という人々を幸せにしている。幸せになる権利が幸せにした人数に比例しているなんてばかげたことは言わないが、数多の人々に幸せを与えてきた彼らが己が幸せを追い求める姿を、誰が否定できようか。
恋人がいるアイドルは推せない。推しが結婚したから降りる。それは個人の価値観の話であって、良いことでも悪いことでもないと思う。ただ、誰かの幸せを真っ向から否定するのはきっと誤りで(犯罪や道徳・倫理に反することの上に成り立っている幸せなら話は別だが)、たとえ受け入れられずとも、受け入れられない気持ちを悪感情を乗せる大義名分にしてはいけない。

これは私個人の価値観の話だが、私にとって推しの熱愛・結婚は、その後の推し活を左右する要因にはならない。おそらくこの感覚は長年バレオタをしていた経験に由来するもので、とくに男子バレーの選手は二十代前半で結婚している方が多く、試合会場に奥様とお子さんがいることも往々にしてある。そんな界隈の出身だから推しの恋愛や結婚への耐性が無駄にあるだけなのかもしれないが、私にとって推しが誰か1人を愛しているというニュースは、それすなわち推しの活力となる人が増えたという朗報なのだ。都合の良い思考回路かもしれないが、推しの色ボケ上等、チャージした幸せは仕事に活かせよ、という気持ちが強い。

ジェシーにもし、愛する誰かがいるのならば、その手は決して離してほしくないと思う。私たちがメディアを通して見ているジェシーの姿は、ジェシーのほんの一部にしかすぎない。でもおそらくその誰かは、ジェシーのたくさんを知っていて、知った上でジェシーを大切に思っている。私含む外野の何千何万の声よりも、その誰かの声を聞いてほしい。ジェシーだけでなく、他の5人にももし大切な人がいるなら、共にいることを選択し続けてほしいと強く思う。

もはやオタクというよりおせっかいおばちゃんの様相を呈しているが、これが私がSixTONESに願うこと。いつか妻ーんずと子どもーんずの姿を見せてくれると本気で信じている夢みがちなオタクの戯言であり、勝手に好きになって、勝手に愛を受け取って、勝手に感謝して、勝手にその恩を返したいと思っている、面倒くさいオタクの本気の願いだ。

一部分しか知らない赤の他人の、しかも向こうはこちらのことなど一切知らない赤の他人の幸せを本気で願うって、冷静に考えたらだいぶ狂っている。では私が狂ってしまったことの責任は誰がとってくれるのかというと、それはもう、SixTONESのみなさん以外にいない。私をはちゃめちゃに狂わせて幸せにしてしまった責任をとって、これからも6人で愛を送り合って、笑って、支え合って生きていってほしい。絶対に幸せになってほしい。特に、私をSixTONESの沼にズドンと落としたジェシー。ここまで人を狂わせたのだ、不幸になることが許されると思うな。

「#ジェシー大好き」

このハッシュタグの何がすごいって、これさえ付けておけば、思う存分推しへの愛を叫べるということ。いや別にハッシュタグ付けなくても推しへの愛は好きなだけTLに載せて良いのだろうが、このハッシュタグを付けることで推しへ愛を伝えたい気持ちのギアが一段上がる。このハッシュタグを考えた方にお中元とお歳暮とお年賀をお贈りしたい。

推しの存在は本当に偉大だ。ケンティーは自信を与えてくれて、佐藤勝利さんは前世で世界を救った気にさせてくれて、SexyZoneの5人は愛と平和をもたらしてくれて、SixTONESの6人は人生に彩りと楽しさを加えてくれて、そして何よりジェシーは、これら全ての幸せに導いてくれた。

下記は、ジェシーに対する感謝という名のラブレターたち。言いたいことが140文字じゃ収まらんと思っていたが、わりとちゃんと収めて発信できていたかもしれない。まあつまりなにが言いたいかと言うと、私はジェシーが大好きだということ。それに尽きる。


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