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やりたいことを見つけた時の話③



妻と出会ったことも
大きな人生の転機でした。

知り合って半年程 経った時に
色々なタイミングが重なったことと
回りの人達が協力してくれたおかげで
お店を出せるチャンスが
巡ってきました。(本当に奇跡的に)

結婚は考えてはいたけれど
どうしても今!
先にお店を出さないと
こんなチャンスは絶対に無いから!

譲らない頑固な僕に妻は
笑って
「良いよ〜」と言ってくれた。
内心は
きっと不安だったはず。
(ありがとう)

僕自身、
「やってやるよ!」という
若さゆえの変な自信と
おかしな勢いはあったのだけど

安心させられる程に
やっていける見込みは
実は無かったから…

不安の塊でした。

だから
何屋になったとしても、
プライド捨ててでも、
しっかり出来るだけ頑張ろうと思った。

家族や友人やお客様に支えられて
念願の[小さなお店]
【atelier Chrono】 は
何とかOPEN出来ました。

その1年後
お店をやっていたことで
繋がれた人達にお願いして
【小さな結婚式】も挙げることが
できました。

自分で言うのもなんですが
本当に素晴らしい式だった。
形式に捉われずに
作ってもらった
こだわりが強い2人らしい式。

それからしばらくして
娘が。そのあと息子が。
2人のかわいい子供達が
我が家を選んで
生まれて来てくれました。


「うちの子に こんなの 作ってよ」と
妻が僕に頼んでくる色々な物。

それが【ecru】の原点です。

売るつもりなんて全く無く
世界に一点だけ!
と思って作ってた
我が子へのプレゼント。

その写真を見てくれてた
Instagramで繋がってる方や
美容室のお客様などから
熱い販売希望がありました。

誰かが
喜んでくれるなら…と
online shop を使って
受注生産の形で販売を
スタートしました。

ecru は娘の名前に ちなんだ
ブランド名にしました。

まだ
あの頃は若く
かなり尖ってたので(え?今も?)
Chrono と ecru は
世界感をキッチリ分けたかったけど
需要が拡大するにつれ
一時期、お店にも少し
ecruのサンプルを並べたりしていました。

ただ最初は
かわいい物が急に並んでるのを見て
「わぁ、これ良いねー」
と言ってくれる人もいましたが
「何か……変わりましたね…⤵︎」
と少し残念そうに
言う人の方が多かった。
(独身の方とか、子供が苦手な方とか)

そこの配慮は全く出来てなかった。

同じ人が作ったとは思えない
作風や雰囲気の違いに
戸惑われたはず。
「あの人は子供が生まれて
 方向性が変わってしまった…」
と感じられたのか
いつの間にか
居なくなっていったお客様も。

ただ
【苦味の中に感じる微かな甘み】
(例えが珈琲…)
といった感じの
バランスが好きな人は沢山いて
だんだんと受け入れてくれる人が
増えていきました。

今では
どちらが本業なの?という程に
ecru の活動が支持されてきています。
ありがとうございます。(どちらも本業)

25才の頃には
全く想像していなかった僕の未来像です。

ロッキングチェアにゆらゆらと座って  作っているような老夫婦になるまで
少しずつでも作り続けたいよね!
と始めた【こどものもの】のブランド

美容師の仕事は
1人でしかやりたくない僕ですが
妻は
夫婦2人でも何か仕事がしたいな…
と思っていたみたいなので
ecru の活動が一緒に出来るのは
とても喜んでくれました。

今は【喫茶クロノ】という
年に数回のイベントも
手伝ってもらってます。

喫茶クロノの活動は
息子の名前に ちなんでいます     ※


そしてまた
Instagram を通じて
知り合った作家さん達に
協力してもらい
妻の夢であった
セレクトこども服屋
【cobito store】も
年に一度
atelier Chrono の空間で
開催するようになりました。

全国から
素敵なハンドメイドこども服や
セレクト物を並べさせてもらい
初回は大変な騒ぎになりました。
(想像以上でビックリした)
(ご迷惑をおかけしました)

作り手として
僕達が心から
リスペクト出来る人達にしか
頼みたくないので
こだわりと技術とセンスを
兼ね備えた人達が
協力して下さることに
いつも感謝しかありません。
(またワガママ聞いてください)

そんな ecru の活動の先を
最近考えてました。

作り手1人(僕)
包み手1人(妻)

で やってきたのですが
作り手の僕が
作れなくなる事態も
想定しておかないと!と
ハッとしてしまいました。

なので
今は妻にも任せる作業工程が
少しですが増えてきました。
めちゃくちゃ厳しい僕のチェックを
何度もクリア出来たら任せています。
(人に厳しい)

そんな中、
自宅アトリエで作業していたら
子供達が
「何か手伝いたい」と
言って来たのです。

品質や仕上がりに問題が出てはいけないし
最初は
あまりやらせたくなかったのですが
何度も言ってくるのです。

パーツを数えたり
僕の作業効率を良くするように
材料を手渡してくれたり…

思っていた以上の仕事振りで
ビックリしました。
多分
知らない大人に頼むより
断然キッチリやってくれます。

傷や汚れがある物は
避けておいて、と言えば
僕より厳しいチェックで
選定してくれます。

あまりにも2人が出来るので
傷があって使えないパーツなどで
同じ工程をやらせてみました。
使い方を間違えば
怪我をしかねない工具を使って。
(もちろん心配なんで補助はしっかり)

子供達からしたら
一緒に遊んでもらった!
位なのかもしれないけど
手伝ってくれた時には
本当に助かりました。

子供は素直です。
一度言われたことを忘れず
キチンと出来るんだ!
強くと感心しました。

後日
学校に提出する日記?作文?に娘が
ecruの活動のことを書いてくれてた。
恥じることもなく
むしろ誇らしく。
(まぁ泣きました…。笑)

そんな風に思ってくれてたのかと。

夫婦2人
一代で終わるつもりだったけど
もし
子供達のうち
どちらか1人でも
「継ぎたい」「残していきたい」と
言ってくることが
1%でもあるのなら
「いや継がせない」は
完全に親のワガママです。
もし
引き継いで未来に
繋いでくれるかも?しれないなら
いつ 言われたとしても
良いように
大切に、丁寧に、伝えていくことも
アリなのではないか?と
思い始めたのです。

こんなことまで
想像は出来てなかったよー!です。

本当に行き当たりばったりな、
流されるままの流木のような人生です。

若かりし頃
友人と夜な夜な
語り明かしてた当時に想像していた
【只者ではないお爺さん】よりも
少しだけ
【木こり】のような
静かで優しい雰囲気もプラスした
お爺さんになれそうです。

変わるもの と 変わらないもの
が組み合わさり
想像を遥かに超えてきた
今現在。

やりたい事のために
毎日生きていると実感します。
(でも極細の綱渡りですよ)

今は世の中の状況もあり
大変なこともあります。
(遠くの方が✂︎に来れなくなったり)
でも
こんな時だからこそ
何かで楽しめるように
自分をコントロールし
妄想の中の未来へ向けて
進まないと!と思ってます。

長くなりましたが
(まだまだ書きたいことはある)
また詳しく掘り下げたりしながら
noteを更新したいです。

長すぎて
果たして何人の方が
読んでくれたのかは
分かりませんが…
嬉しい感想DMが届いたりしてます。

また
お店でも
気になることは聞いて下さい。


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