島日和<ひょうたん島後記> 3


光が差し込んでキラキラと輝いている枝と、木々の影になってひっそりと息をひそめている枝、その明暗の差が強ければ強いほど、森は美しく輝く。

島の森や草原の中には、小さな家々がいくつもあるはずなのだか、それはどれも小さくて草や木々の根元に隠れるように建っているので、一見したところでは見つけにくい。
ほとんどの家は、少なくとも2,30分はかかるほどには、隣の家との距離を置くから、草に埋もれたちいさな家々は、ひっそりとぽつんと、夕暮れの明かりでその存在を知らせ合う。

夕方の深い空の青と、暖かいオレンジ色の家の明かりは、とてもよく似合う。
空に残った夕焼けの茜色が、だんだん暗くなっていく頃、家々の明かりはきらめきに変わっていって、夕餉の優しい湯気の匂いがちょっとはしゃいでまとわりつく。

僕は夜、食事の支度をする時には、ゆるいジャズをかけるか、小鳥の声ばかりが流れてくるものを聞いている。
それから、たわいもなく笑えるテレビを見ながら、楽天的なレシピの食事をとるのだ。
・・・何となく心が不安定な寂しい夜には。
そして、食後には、温かいココアにマーマレードを少し入れた、オレンジチョコレートを飲めば、理由もわからず悲しかった心が、しばしの間は幸せに包まれる。
ここは、幸福度ランキング宇宙一の星 ・・・
・・・でも、幸福度ランキング世界一のフィンランドの人々は、本当に幸せなのだろうか。休暇が長いとか、教育が無償とか、病院が多いとか、そんな統計で、人間の幸福は計れるのだろうか。
僕には、貧しくて何もない、東南アジアの小さな島に暮らす人々の方が幸せそうに見える。
特に子供たちは。大人の目が届かなくなればなるほど、生き生きと飛び回る天使の輝きが美しい。

近頃、意味の分からない不安がこの星を覆っている。

矛盾した様々な情報が、電波の中であまりにたくさん繰り返され、人々の心の中でそれはどんどん肥大化する。
いつも通りの日常の中で、冷静な顔をした矛盾反応がエスカレートし、平気な顔をした暮らしの中で、人々の微かな悲鳴がなり止まない。

僕には、大丈夫だよと言って抱きしめてくれる人がいない。
楽天的でおおらかで、すべてを受け入れて笑っていてくれる人がいない。
だから、ちょっとした心配や寂しさで体中が不安定になり、小さく痙攣したように震えだす。

そんな時、僕がこの頃会得した、僕の心の慰め方は、ひたすら自分を甘やかすことだ。
大事にとっておいた好きな服を着て、部屋中を花で飾り立て、BGMに、時々ウクレレの爪弾きが入る南の海の波音をかけて、栄養とか健康とかはまるで無視したお祭り騒ぎのようなものを食べる。
まるで甘やかされ過ぎた我儘な幼い子供のように、思いついたままの自由気ままさで過ごすのだ。

けれどそんな時、一番の薬は、ネコに会うことかもしれない。

ネコはいつも、気が向くままに僕の所にやって来る。
そしてたいてい、自分の事ばかりしゃべり続けて帰ってしまうのだが、そんな気まぐれだから、何日も来ないこともある。
そんな時に、僕が不安定な心を抱えてしまうと、この頃は僕も、ネコの気まぐれさを見習って、思いついた時間にネコの家を訪れ、ベッドで寝ているネコを膝の上に乗せ、背中を撫でてみたりするのだ。
そして小さな手をにぎって肉球を触りながら、とりとめもない話をする。
どうせ話なんか聞いていないことは分かっているけれど、ネコはちょっと迷惑そうな顔をしながらも、膝から逃げ出したりはしない。

・・・とても綺麗な月夜の晩に、君の影から音がする。
ジジジ、ジジジ。 君の影はデジタル信号。
そこはどこ? 今はいつ? ここは夢?
そう。もう僕もいさぎよく、デジタル記録を全リセットしよう。
君が僕の前から消えてしまわないように。・・・