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心の声が訊きたくなったら、音のない場所へ。

心がざわざわして、落ち着かないときがある。
日々の仕事に追われて、他人の声と言葉に翻弄されて、自分の「心の声」が聴こえないときがある。
昔から人混みや大都会が苦手で、目に飛び込んでくる情報にいちいち反応しては、なにかを思ったりする。初めて東京でとり暮らしをしたときも、喧騒のど真ん中に行くことはやっぱり避けてしまって、「新丸子」で家を借りた。たいして行く気もないのに、家の裏には多摩川がすぐ近くあって。静かなところが近くにあるだけで、落ち着いた気になっていた。

「忙」とは字のごとく、心を亡くしてしまうこと。
ある一線を越えると、ぷつっとなにか細い糸が頭の中で切れる音がして、「まずい、自分の声が聴こえない」と知る。
そういうときはいつも決まって、音のない場所に行くようにしている。

音がないところに来ると、自分の呼吸の音とか、遠くに聞こえる風の音とか、木々とか虫とか、かすかな音が聞けるようになる。
いつのまにか深い呼吸ができていて、頭がクリアになってくるのがわかる。

今日初めて行った「小網代の森」は素晴らしい場所だった。生命と自然が一体となっている、世にも珍しい場所になっている。小網代の森をもっと知りたいと思って手始めに検索したら、ほぼ日でコンテンツ化されていた。こういうアーカイブはネットの宝だなあ。

ズンズンと自分の足で森を歩くと、なんとも複雑な生態系で、揃ってなくて、絶妙なバランスで均衡を保っていることに気づく。
荒れてない、混在している、たくさんの要素が欠けることなく存在していて。これは自分の気持ちも同じで、とてつもなくシンプルな構造にはなってないわけで、それでもバランスを保っている。
そのバランスが崩れて荒れて、管理できなくなったとき、頭の中の糸が切れるんだ。

音のない場所に来たら、自分の心の声が訊けた。調律が合ったところで、自然と出てきた言葉は
「この町と一緒に暮らして、大好きな人たちのために本をつくろう」
という、なんとも、社会人1年目のようなあどけない仕事に対する言葉だった。
あまりにも自然に出てきた言葉に拍子抜けしてしまった。

軽くなった気持ちをよそに「いいから働け」と猫がいう。
肥えた綺麗な、縞鯵のような猫だった。

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