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強いられる中だから、見えた自分も多かったようだ。

型にはめる。はめられる。
どっちもあったと思うし、今も無意識にしてしまってることもあると思う。

学生時代は、勉強や部活やクラス
組織の中にいた時代は、世間や上下関係や常識
この中で「こうするべきである」
という型にはめられて、心の中に違和感を持ちながらも生活していくことができていたと思う。

結局、強いられることの違和感に反抗しながらも留まることに耐えられず離脱はしたのだけれど。

でも、そこにいたから自分が何が苦手で嫌いで人とは違っているかをとても考えられた時期だった。逆に何が好きだから、それでもそこにいられたのかや、得意もみえてきた。自分という人間をみつめていた。

物事を斜めに見るようになったのも、強いられることへの反骨精神というか、どうにか自分の中で処理したくてそうなっていったようにも思える。

だから、たまに強いられるのも悪くないかもしれないなんて。たまにならね(笑)
というわけで、現在。お家にいようよっていう今。強いられるというか、レベル感と毛並みはかなり違うけれど。自由には動けないという中で思うこと。

きっと今は、みんなが自分という人間を見つめる時間になっているのではないかと。
だから、この時期が終わったら…ここで見つめた人とそうじゃない人の差もつくんじゃないかなとも思ったりする。

それこそ見つめることによって、自分を知れるわけだから。取捨選択しやすくなると思うし、何が幸せなのかもみえてきて、生きやすくなるんじゃないかなと。

今の世界を嘆くより、この先に何が待ってるかの未来をみていきたいという私自身の願いなのかもしれない。
だから、今できること。しよう。