流行りは好き。でも嫌い。

グッバイ 君の運命の人は僕じゃない

なんて言葉で逃げ出すのが僕はどうも気に食わん。

運命だなんていう不明瞭な抽象的な言葉で
自分を肯定したがってるように思えちゃうのね。

確かに僕はあの歌は好きだし流行ってるからね。

でも好きなのはあくまでもメロディと歌声。
歌詞についてはもう本当にあぁいうのむり!って
なっちゃってて深いとかは思えない。

やたら人はこう 抽象的な言葉に頼りがちで
「今日はだるいから帰る」の「だるい」ってのは
体調なの?気持ちなの?雰囲気なの?ってなる。

だからこう結局受け取った人次第な曖昧な表現は
どう捉えてくれてもいいですよって代わりに
こうは思われないようにできるからね。って
予め逃走ルートを確保してるある意味有能って訳。

あえてその有名な歌詞に言うのならば
「運命だなんて言葉に惑わされずに、
 今ある現実を受け止めて向き合えよ、逃げんな。」

って思っちゃったりするのよ。実に女々しい。
男であればなんていう男尊女卑ならぬ女尊男卑的な
恋愛の価値観は人それぞれなんだろうけどさ…。

だから僕は自分と彼女はどう見ても不釣り合いだって
そう分かっていながらも2年半という年月を経ても
一度たりとも「グッバイ」だなんてメロディが
頭をよぎった事がないわけで、逃げてないぞ自分。

あえて運命って言葉を上手に使うのならば
誰もが予感する未来を自分の手で形をひん曲げて

新しく道作っちゃえ!じゃあ看板設置するから!
この道の名前は「運命」でいいか!

ぐらい傲慢で狡猾で、でもどこか幼稚で大人びた
そんな言葉に「運命」ってつけてあげたいなぁ。


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