引きこもり体験記 - 引きこもり生活


序章

自分は高校時代に不登校から引きこもりになり少し働くもまた6年引きこもりを経験した当事者です。引きこもっていた当時、周りは進学したり、就職したり、彼女がいたりするんだろうなと思っていました。情報として引きこもりの人がいると知っていても、もしかしたら本当は自分だけではないのかと孤独感がありました。

そして今現在は、秋田県の引きこもりの集まりの代表をしつつ、たまに講演などをしています。あまり大したことは言えないかもしれませんが、現在進行形で引きこもり続けている人が、ぜひ自分だけではないということを知ってもらえればと思います。

子供時代から気付いた時には、生きているのがつまらないからか死にたいと思っていた。理由ははっきりとはわからないけれど、この連載を書くにあたり振り返ってみるといろんなことを思い出してきた..。

初回はこちらからご覧ください。https://note.mu/atack20/n/n8b48c4314cba

工場での小学生の同級生との再会

高卒認定を取得したころから父親から自分で働くとご飯がおいしいし、ある程度好きなものが買うことができるといわれ18歳の春にある派遣会社に登録する。この面接の時に聞かれましたが、高卒の資格が必要でした。このときに高卒認定を合格していてよかった。

ある日自宅近くの工場を紹介されて見学をすることになった。そのときまったくの偶然で小学生のときの同級生と再会する。このひとは関東方面の中学に進学し、高校はなんとニュージーランドに留学していたのである。お互いに「なんでお前がここにいるの」と会話したことを覚えています。

このときこの人以外の同級生だったら話しかけることができずに完全に無視していたと思う。(他の同級生だったら自分が高校を中退したことはもちろんその後ひきこもっていたことは当然知っていたと思っていたからです。これもある意味被害妄想だが)

この同級生は上記のことを知らないだろうと思ってまるで小学生のときのように気軽に接することができました。そして意気投合し二人一緒に工場の契約社員として働くことになりました。

 しかし二人で一緒の持ち場で働いていたのだが仕事中に私語どころではなく二人でしりとりなどのゲームをしていた。(勤務態度が悪いどころのはなしではない)その後二人は別々の持ち場に移動されました。

  また工場に実際働いてみるとこれまたびっくり同級生が総勢7、8人ほど同じ会社で働いているではないか。(この確率はどのくらいか気になる)けれども留学していた人と途中から入ってきた旧友(お互い腐れ縁といっていたな)以外とは話しかけることができませんでした。けれども友達がいたおかげでなんとか契約満了まで働くことができた。そういえば自分都合の休みはとらず皆勤でした。

その後少し間を開けて市営のプールの監視員の募集があり面接に行った。このとき実は自分は昔から耳の病気のため泳ぐことができませんでした。でも面接ではこのことを問われずに面接は合格しました。(市の面接官はもっと慎重に人材を選ぶべき)

 だが実際に働いてからが問題でたまに受付の仕事をするのだが明らかに動揺していて応対も不自然になっていた。以上のように2つの職場で働いてはみたが、給料を得ることよりもはっきり言ってストレスのほうが上回っていた。(なんとなくお酒やギャンブルに走るひとの気持ちが分かった。そうしないとやってられないのかなと感じた)

いわゆる普通の人のように週5日で8時間労働できる人は単純にすごいと思うけど自分では無理だしなんか別の生き物のような感じがしました。(あと時間のやりくりはどうしてるのかなとも思いました。自分的には仕事をすると圧倒的に時間が足りない)

 働いたこの2つの職場で共通していたのが友達など仲がいい人以外とはうまくコミュニケーションがとることが出来なかったという点でした。(この頃は自己肯定感もなく、自分に自信もなく人と接することが怖かったと思う)要するに働いてはいたが中身としてはひきこもりのままでした。(もしかして世の中には意外とこのような人達がいて、その人達がひきこもり予備軍なのかな)

プールの監視員の後の引きこもり生活

プールのシーズンが終わり、働くということに自分は向いていないと悟ったのかまた本格的に引きこもることになる。期間は5年ほどになった。この頃は、週に一度外に出ればいい方で月に一度も外に出ないこともあった。

19歳の時に精神科を受診して通院することになる。このとき色々な症状があらわれるようになった。強迫神経症になりトイレに行くと手洗い30分、お風呂に入ると4時間入ることもあった。そのかわりに2週間もお風呂に入らなくなった。(かなり矛盾している)

同時に視線恐怖症になった。例えば誰かが笑っているときに自分が笑われていると思い、周りのひとも同じようにわらっているという被害妄想と誇大妄想に囚われるようになりそれでますます外に出づらくなってしまった。

そして、もともと112kgまで太っていたが、当時「人は見た目が9割」という新書が流行っていたり、アニメや漫画にくわしいオタキング(岡田斗司夫)といわれる人が50kgやせた方法がかかれた「いつまでもデブと思うなよ」という本に触発されてダイエットを始める。(この本を久しぶりに読んでみたが、内容の半分くらいがいかに太っていることで社会的に損をしているかについて書かれていました)

ダイエットを開始して順調に標準体重までやせたが、服のサイズがかわったぐらいでほかにいいことがなかったのでもっと痩せればいいことがあると思い込んでダイエットがエスカレートして184cmの身長に対して58kgまで痩せてしまって、医者に心配された。いわゆる拒食症になっていました。この頃には自分が生きている価値は痩せて行くことしかないと思い込んでいた。

同時にゆっくりと死んでいこうとしていた記憶もあります。どうせ死ぬなら一番苦しい方法で死のうと思っていた。餓死しようとしていたのかな?(今から考えて見ると上記の症状はひきこもりという問題の核心を避けるために引き起こした部分もあると思います。)

 当時母親によると部屋に入って来るとおびえていたようだったと話していました。それでもなんとか外に出ると「今何されているんですか」という質問が怖かったことを覚えています。(ひきこもりの人にこの質問はかなりつらいと思う。悪気がないのは分かるんだけど)

 具体的には床屋さんでの雑談が苦痛でした。その頃は自室でパソコンで、ネットサーフィンに夢中になってしまった。ゲームもしていたが、野球ゲームでコンピューター同士の試合を観戦するという生産性のなさがひどかった。このときはなるべく家族との接触も避けていた。特に週末には外に出ることができませんでした。理由は普通の社会人は平日には出歩いてはいないと思い込んでいた。

 積極的に外に出るとしたら平日の昼間に本を買いにブックオフとクイズマジックアカデミーというクイズゲームをするためにゲームセンターに行くぐらいだったと思う。そのような生活が5年ほど続いてしまった。この期間のことはあまり記憶にも残っていません。ただただ特に何も変化のない日々が過ぎていったという感じだった。最初のひきこもったときとは違って焦りというよりはもう半ば諦めていたように思う。もう一生このままで何もできずに人生が終わるのだと思い込んでいたのかな?(この時点ではもう感情というものもあまり持つことがなかったように思う)

この期間のときはだんだん底なし沼に落ちて行くような感じがしたし、出口のないトンネルに迷い込んだかのように現実の世界と自分の存在がかけ離れているような感覚がしていました。もう普通の一般社会には戻れないとも思っていました。自分の経験としていえることはひきこもる期間が長くなればなるほど一歩を踏み出せなくなり、普段と違う生活の行動でも恐れるようになると感じます。(具体的には自動車の免許の更新だったり、市役所に手続きをしにいくことでもかなり大変だったと記憶しています)

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