炎谷テッカ戦闘記録【対TYPE_68】

 そういえば、あの時の空も赤かった。
 あの日、その時が来るまで自分が何をしていたかまではもう覚えていない。寝ていたかもしれないし、何か家の手伝いをしていたかもしれないし、子守をしていたかもしれない。でも、気がついたら自分の周りを弟妹がびっしり囲んでいて、目の前には祖父がいた。その光景だけははっきりと覚えている。
 「テッカよお、チビ達んこと、頼んだぞ」
 節くれだった大きな手が、ぽんと自分の頭を叩いた。一番上の妹は自分の服の裾を掴んで泣いているし、左手を掴んでいる弟も、背中にしがみついている真ん中の妹もぎゃんぎゃんと喚いている。抱えている下の弟と、妹が抱えている末っ子はまだ喋れない。
 だから、テッカが聞くしかなかったのだ。
 「じいちゃんと母ちゃんは?」
 「母ちゃんは父ちゃんば迎えに行った。じいちゃんも二人が帰ってきたら行くけん、テッカ達は先に行きんしゃい」
 「ばってん……」
 テッカは寸の間後ろを向いた。スラム街のどこからともなく流れるように現れる人々が、四方八方に蠢いている。みんなどこに行くのだろう。自分達はどこに行くのだろう。
 テッカが祖父に向き直ると、彼はにっかり笑った。どんな話にもすぐ笑う祖父の、いつもどおりの笑い方だった。
 「頼む、テッカ。ついでにこれば預かってくれ。割ったらゲンコツやぞ」
 そう言って彼は、掛けていたサングラスを外した。両手がふさがっているテッカは、祖父が自分にサングラスを掛けるのを受け入れるしかない。
 「……もうヒビ入っとお」
 「にゃはは、バレたか。……頼む、テッカ。いっちゃんの兄ちゃんよ」
 祖父は再度、グリグリと強くテッカの頭に掌を押し付ける。テッカは口を開けて、息を吸って――
 「……わかった」
 結局、それだけ返した。


 ――結局、預かりっぱなしっちゃけどね。
 テッカはアトランティス――彼は「テッカドン」と呼んでいる――のコクピットで、すっとサングラスを掛け直した。いくら位置を調整しても、今一つ視界の左端に微かにもやがかかっているようになって見えにくいままなのは、預かった時からあるヒビのせいだ。これを持っていれば、ボロのサングラスなど掛けることのない上層の人間は、テッカを下層の人間と思って近づかない。彼らとの関わり方がわからなくて上層人が苦手なテッカにとっては、ありがたい身分証明だった。
 「じいしゃん、また借りるぞ。こないだみたいにまたEBEが光ったらたまらん」
 前回の戦闘で初めてモニター越しに見た空は、七年前のあの日のように、血のごとく赤かった。何だか正気を持って行かれそうな空色だったが、サングラスの影でどうにかそれを見続ける必要はなくて、少しだけ息をついた。だから今回もその恩恵に与ろうと思ったのだ。
 ピピ、とふいに通信音が鳴る。「はあい、こちら第一大隊・炎谷テッカ」と訓練通りに応答しながら通信を点けると、モニターの端に一人の青年がパッと映った。茶髪をオールバックにして露わになった額の真ん中、眉間に深い皺を寄せている。
 「第一大隊の坤塿ドモンだ」
 「ああ、今日の作戦で一緒の。今日はよろしゅうねえ」
ドモンはよく言えば引き締まった、悪く言えばムッと怒っているような表情で、テッカは「怒っとおとかな」と思った。サングラスのヒビを嫌悪する上層の人間かとも一瞬考えたが、ドモンは確かモニターに映った瞬間からこの表情だった気がする。ということは、EBEに恨みがあるタイプだろうか。それで顔をしかめたり歪めたりしている隊員を、テッカはこれまで何人か見ている。もしもドモンもそのような戦闘員なら、怒るのが苦手な自分が同小隊に配属されたのは悪いことをしたな、と思った。
 「にゃはは、ばってん第一大隊の人と組めてよかったばい。ええと、ドモンちゃんでよか?」
 そうドモンに呼びかけたが、彼から返答が来る前に、別の通信音が入った。今度は第三大隊――オペレーターからの通信だ。
 「討伐対象EBE、レーダー捕捉圏内に入りました。出撃してください」
 「おっ、はあい」
 通信に了解する。ドモンも彼の言葉で了解を伝えた。ドモンからの返答は得られなかったが、仕方ない。まずはEBEの討伐だ。
 テッカはサングラスを掛け直した。
 「よっしゃ! 起きんしゃいテッカドン、お勤めん時間ったい!」
 待機していたアトランティスが、ヴン、と返答するように低音を上げて起動する。システムオールグリーン、どこへでも出動可能だ。
 大海母ノアからグンと射出され、そのまま誘導弾に従って海上に出る。果たしてカメラから映りこむ空はやっぱり赤くて、テッカは少しだけ目を細めた。すると六時の方向に、空中を進む黒い影が見える。
 「何ね、ありゃ……鳥?」
 進めば進むほど影の形が明確になる。大きな翼を広げた鳥だ。が、テッカの知っている鳥ではない。尤も学のないテッカにとって、翼があればそれは『鳥』という名前の生物だった。
 ぎょろりと大きな瞳、鋭い嘴。巨大な鉤爪のついた脚には何か――豚のように見えるものを掴んでいる。前回のEBEに負けず劣らず、不気味な影だった。
 「うーん、ばってん、戦んなきゃあお勤めんならんっちゃもんねえ! テッカドン!」
 テッカドンが飛行戦闘機から、人型の戦闘モードに移行する。飛行速度をそのまま攻撃の勢いにして、上腕の巨大な拳を突き出した。
 「どげんかのお!」
 アトランティスも巨体だが、EBEはさらにそのアトランティスを凌駕する大きさだ。テッカドンを迎える怪鳥は所詮矮小な攻撃と見たのか、巨体ゆえに動きが緩慢なのか、理由はわからないが真っ直ぐ進み続ける。テッカドンの拳が鳥の体のど真ん中を捉えて、
 ぼすん
 「うわっぷ!」
そのまま体全体、EBEの羽毛に包まれた。
 「大丈夫か!」
 ドモンからの通信が入る。テッカは慌てて拳を捻って軌道をずらし、鳥の体に沿って進む。ボサボサと羽毛を逆立たせる轟音がうるさい。
 ようやくすぽりと鳥の羽毛から脱出して、「へーき!」とテッカはドモンに返した。
 「ばってん拳がいっちょん効かん! 体が毛ェに覆われとおけん、こっちからん衝撃ば吸い込みよるばい。ああこら、待ちんしゃい!」
 途中から飛んで行くEBEを追いかけて、テッカはその背にしがみついた。上腕は武器として頑丈に造られている。ちょっとやそっとの衝撃でも振り落とされないが、さてここからどうするか。
 周りの戦闘状況を確認する。他のEBE個体の周りを、何機ものアトランティスが遊撃していた。よく見れば翼の辺りを、レーザーブレードを持って飛んでいる機体がある。それで、テッカはぴんときた。
 「ああそっか、鳥なら羽ば毟りゃよかとか!」
 翼を攻撃すればそのままそれがEBEへのダメージになるし、飛行能力を落とせば空中で振り回されることもなくなる。テッカもそれに倣うことにした。一度EBEの背から手を離し、羽ばたく翼に接近する。タイミングを間違えば蠅叩きではたかれる羽虫のように吹っ飛ばされよう。
 「よっこい、しょ!」
 テッカは右翼に飛びついた。EBEは羽ひとつひとつですら大きい。外側の風切羽はアトランティスの体長を超えるようだった。さすがに翼に飛びつかれるのは飛行の邪魔なのか、EBEが滞空して激しく羽ばたく。その風力たるや大嵐、ごうごうと鳴る風の轟音と衝撃で危うくテッカは翼から手を離すところだった。
 「――ッ! しゃあ、しか、のお!」
 衝撃に耐えた後、感じたEBEの一瞬の隙。テッカドンの剛腕で羽の核を掴み、そのまま力いっぱい引っ張った。
 ブヂン!
 繊維が切れた、普段ならあまり聞きたくない音が鳴る。羽根の方を掴んでいた腕から感じていた重さが急に減じて、テッカはそのまま抜いた羽根を手放した。
真っ赤な空の真ん中を落ちていく羽根。EBEが暴れるが、テッカが歯を食いしばって振り落とされないよう抗う。
 「にゃはは、手ェば武器にしてよかったばい! こんまま全部引っこ抜いちゃる!」
 EBEの首がぎょろりと回転しこちらを向く。「おお怖」と思わず一瞬肩が跳ねたが、これくらいで攻撃をやめようと思うなどありえない。
 戦闘は始まったばかりだ。

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