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鰻丼を食べた

一昨日、鰻のかば焼きのタレがついたご飯のことを書いたら、なんだか無性に食べたくなってしまった。
かといって、足で探し回るには、猛暑すぎる。

登録しているネットスーパー4軒を検索すると、一番安いので680円というのが見つかった。
もちろん国産ではないが、こだわらない。
少量で安いほどよい。

ちょうど買おうと思っていた卵や牛乳などと一緒にこれをオーダー。
今日のお昼には、久々の鰻と、そのタレのついたご飯を堪能した。
人生で数度目、である。
夫がいたときは、移し替えの済んだタレ付きご飯しかなかったことを思えば(その点に不満は微塵もないが)プチ贅沢という感じもして悪くない。

結構な大人になるまで、食べたことのなかったものが多かったと思う。
私にとって「食事」は、自分が楽しむというより、誰かのために用意しなければならないものだった。
その人が満足するかどうかが問題で、私が美味しいと感じるかは二の次だった。

だから、夫のためには、自分が食べたことのないものを用意した。
食べたことがないから、味がそれで合ってるかどうかわからない。
毎回ヒヤヒヤものだ。

考えてみると、鍋物やカレー・シチュー以外で夫と同じものを食べたことはあまりない。
夫は、出す順番やタイミングにうるさかったし、品数を求めたので、私は給仕に徹したほうがラクだった。
自分も食べながら、次の皿を用意するのはあわただしいし、味わう余裕もない。
温かいものだって、私のすべての給仕が終わって食べるころにはみんな冷めてしまっている。
特に天ぷらとか。

一人になって、かつて夫に出していたものを、はじめてゆっくり味わって食べるようになった。
鰻丼も確かにそのひとつ。

いまはだいぶ改善したが、昔の私は好き嫌いが多かった。
ほぼ食べず嫌い。
小学校のころは、給食で出るもの出るもの、みんな初めて見るものばかりで、味の想像すらできない。
4年生までは、家に台所がなかったので、何をどう調理したらそうなるのかもわからない。
原型が留まっているものはまだしも、そうでないものは怖くて食べられない。

高校生になっていろいろなものの食体験ができたのは、ひとえに旅のおかげ。
未知のものに対する恐怖心が、一人旅によってかなり払拭されたと思う。
宿の食事もそうだが、一人で店に入ることを躊躇わなくなった。

そうして、それまで家でだけ食べていたカレーもどきやハンバーグもどきと、世間の味にかなり乖離があったことを知った。
母だって、自分が食べたことのないものを作っていたのだ。

老いた母が、最初に入ったサ高住の食事は、咀嚼や嚥下に難がある他の入居者に合わせて、どろどろ、ふにゃふにゃのものが多かった。
母は、90を超えてなお入歯が不要な人だったので、何を食べても歯ごたえのない同じような味に倦んだ。
とりわけ、目で見たときに、原材料が何かがわからないことにかなり不安を覚えたらしく、一切手を付けなかった。
「食べず嫌いなんでしょうか」と施設側には言われた。
そうです。
だって、何かわからないんだもん。

お金が続かなくなり、老健へ移すことになって、私が一番こだわったのは、「見てすぐに何かわかる食べ物」を出してほしいということだった。
どろどろじゃないもの。
見学し、試食し、OKした。

そんなことを思い出しながら、見てすぐに「鰻」だとわかる昼食を楽しんだ。
みそ汁の実は「土用しじみ」。
しじみはひとつひとつ、身も全部食べる。
昔、夫には「蜆はだしを取るために入れているもので身を食べるものではない。貧乏くさいからやめろ」と言われたが、やめられない。

食べず嫌いのくせに、土地土地で食べ方や味付けが異なるものに興味を惹かれる。
鰻は、関東と関西で、背開き・腹開き、蒸しの有無など、工程が違っているというが、関東のものしか食べたことがないから、きっと関西で食べる鰻の美味しさを知らずに死ぬのだろう。

父は石川県で生まれて大阪で青年期を過ごしたので実家の味は、ほぼ関西風。
母は富山県だが、フォッサマグナの西側なので味付けは関西圏に属する。
私はもう半世紀以上を関東で暮らしている。
文化の混合もなかなか面白い。

肉じゃがの「肉」は牛で、豚はありえない。
でも「豚まん」ではなく「肉まん」と呼び、ソースも何もつけない。
冷やし中華にはマヨネーズをかけないが、油そばにはかける。
カレーライスには、とろとろ半熟卵を入れる。
納豆は食べない。(以前は夫のために欠かさず買っていた。)
うどんの汁は、薄口。
お雑煮もおすまし。


読んでいただきありがとうございますm(__)m