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やまびこに嫌われている  叶

実家の真裏が山だったり、
熊本や長崎に縁があったりそれなりに山には触れている方であると自負している。
学生時代の遠足や課外授業も山に行くことが多かった。


息を切らしながら山を登り、ようやっと山頂に着く。
元気よく「ヤッホー」などと叫んでみるが、
やまびこが返ってきたことは一度もない。
これはわたしの発声が悪いのだろうか。
ビブラートを効かせて加点要素を盛り込むとかそういう技巧の話だろうか。
あるいはわたしではなく環境の問題だろうか。

さて、やまびこは一説によると山の神様あるいは妖怪が声音を真似たものと信じられていたらしい。
たしかに、もしも神様や妖怪がいるとするなら山には是非いてほしいなと思う。
仮に東京のタワマンの高層階にいたら、きっとその神様や妖怪はガウンを着てワインを嗜んでるだろう。想像しただけでなんとなく嫌だ。
それよりは自然が豊かで人の手の届かないところにいてくれた方がずっといい。


やまびこに関して山にいることや人の声を真似る以外の設定をわたしなりに考えてみた。

もふもふしていて白くてかわいい。これはそうであってほしいから。
たけのこがすき。やまびことたけのこの響きがなんとなく似てるから。
深夜0時には寝る。夜中の騒音は迷惑だから。
苦手なものは無口な人。

こんなところだろうか。


そんなやまびこちゃん(かわいいのでちゃん付けを妥当とする)が、
わたしの呼びかけに応えてくれない理由を考えてみた。
きっとお供え物やそれに準ずるものが足りないのであろう。
古今東西神様や妖怪は金品や食料ときには生贄など、何かと要求してくるイメージがある。
「自分の望む品をくれなきゃ災いをもたらしてやる」なんて、脅迫もいいところだ。
そう考えるとやまびこちゃんに無視される程度、痛くも痒くもない。



別の理由をあげるなら、
わたしはやまびこに対する信仰心が足りないのかもしれない。
事実としてわたしは「ヤッホー」と叫んだときに、
やまびこが返ってくると信じていたかというと否である。
登山してへとへとになったわたしは、
疲労の憂さ晴らしの一環として叫んでいる。
その叫びは別に一方通行で構わないというのが本当のところだ。
わたしのその不誠実さを、人ならざるやまびこちゃんは見逃さないのであろう。
やまびこちゃんくらいになれば、人の心は読めるという設定も追加する。


最後に「ヤッホー」と叫んだのは伯父夫妻の住んでいる近くの山へ行ったときだと記憶している。
伯父のちょっと荒い車の運転に酔いながら展望台に連れて行ってもらった。
わたしは展望台からそれなりに広くて綺麗な山を見ていた。
そのとき、わたしの「ヤッホー」よりも大きな声で伯母が騒ぎはじめた。
駆け寄ると伯母は真剣な顔で「UFO!!」と空を指さした。
だがしかし、わたしがいくら目を凝らしても空は青いだけでUFOの姿は見えなかった。
どうやらわたしはやまびこだけでなくUFOにも嫌われているようだ。


それではまた。


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