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冷たいお盆  叶

線香の香り、素麺を盛られ汗をかいているガラスの大皿。
視線を下に向けると日焼けした畳の上に敷かれたラグに誰かがこぼしたオレンジジュースのシミがついている。
八月の半ばおそらく一年で最も暑い時期であろうに、
わたしの記憶の中にあるお盆はいつもひんやりとした空気を纏っている。


親戚の多いわたしは父方の実家に行っても、母方の実家に行っても、
それなりに賑やかに過ごすことが多かった。
父方の伯父たちはゆっくり酒を酌み交わす人たちだった。
話題は誰かが怪我をしただの病気をしたのだとその手のものが多い。
父を含む伯父たちが親しみを込めて呼んでいるどこかの誰かの名はわたしには馴染みがなかったが、おそらく遠縁の誰かなのだろう。
伯父たちが酒を飲んでいる間、母や伯母たちは台所と居間をバタバタと行き来している。
従兄弟連中の年長組はたまに手伝いに駆り出された。
年齢が末に近いわたしは年少組の従兄弟と全然甘くないスイカを齧ってトランプをしていた。


母方の伯父たちは大きな声で喋りガツガツと酒を飲み、話題は祖父のことに偏りがちだった。
わたしが小さな頃に亡くなった元体育教師の祖父は、
伯父たちに大変熱心に武道とスポーツの教育を施したそうだ。
祖父から受けて辛かった折檻ランキングを顔を合わせる度に伯父から聞かされるので、
そのうちわたしも空で言えるようになった。
しかし朧げに覚えている祖父は既に病が進行しており杖なしで歩けなかったので、
機敏に動く姿を想像するのはわたしには難しい。
父方の実家と違い、母はこちらでは比較的くつろいで兄弟と話している。
給仕は伯母たちの仕事だった。
大人になるにつれ理解したのだが、
これは家父長制の名残だったのであろう。
母方の従兄弟はやや内気な者が多いが、
人生ゲームをしているときだけ饒舌になる。
やはり甘くないスイカを齧りながら、
わたしも人生ゲームに参加していた。


お墓参りは嫌いだった。
山中にひっそりとある墓地は木陰だけで十分に涼しいがあまりに虫が多い。
嫌々ながら掃除を手伝い、手を合わせ、
身体のあちこちを蚊に刺されて帰った。
夜になると患部は腫れて、じんじんと熱を持った痒さが睡眠の邪魔をした。


父方の祖父の初盆のあと、祖父の愛猫が死んだ。
お調子者な性格の従兄弟は楽しそうに
「じいちゃんが連れてっちゃった」と言っていたが、
そのおもしろさがわたしには全くわからなかった。
祖父は穏やかでとても優しい人だった。
死者の魂の存在、極楽や地獄を肯定しても祖父が愛猫を連れて行くとは思えなかった。
そうだったらいいね、もわたしの価値観とは異なる。
この不快感の正体をわたしはまだ言語化できない。



わたし、というかわたしの親戚はみんなそれなりに良好な関係だと思う。
ブルーシートを広げ寝転び流れ星を見たり、花火をしたり、
楽しかった思い出もたくさんある。
だが、お盆を振り返るとき何故かわたしの心からは軋んだ音がする。


今年のお盆をどうするかの話はまだ家族内で出ていない。
祖父母が亡くなった現在、実家に帰るもなにもないのだろう。
記憶の中のお盆の冷たさがまた増した。


それではまた。


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