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(ホラー)疾走夢(掌編)

 子供のころから何度も見る夢がある。

 遠くから、知らない人が俺に向かって走ってくる夢だ。
 走る人は日によって違い、老若男女、いろいろな人種の人が走者になった。どうやら俺の元へたどり着けたらゴールらしい。

 俺はこの夢を「疾走夢」と名付けてひそかに楽しみにしていた。他人が自分に向かって走ってくる夢のなにが楽しいのか、と普通は思うだろう。でも本当に愉快なのだ。なぜなら走者は例外なく、滑稽なほど必死だから。

 涙や鼻水、よだれを垂れ流し、本当に必死で俺の元へ走ってくる。でもどんなにスピードを出してもゴールすることはない。夢の中では物理法則が歪んでいるのだろう、現実では100メートル進む速度でも、夢の中では5メートルくらいしか進まない。その事実に気づくと走者はますます焦る。顔はさまざまな液体でどろどろになり、足がもつれて何度も派手に転ぶ。その姿を見て笑わずにいられるだろうか。

 俺は毎回爆笑しながら走者を眺めていた。たまに「ほら、頑張れ頑張れ」と合いの手を入れたり「鬼さんこちら」と手を叩いて煽ったりした。
 みんなあと少しのところまでは俺に近づくのだが、いつもゴールにたどり着くまえに俺の目が覚めて夢が終わる。

 よく晴れた秋の日、俺は大学からの帰途についていた。交通量の多い道路の端を歩きながら、疾走夢について考える。
(今まで俺にたどり着いたやつはいなかったけど、もしゴールしたらなにが起こるんだろう)
 考えごとで注意がおろそかになっていたのだろう。大音量のクラクションに気づいて振り返ったときにはもう、眼前にトラックが迫っていた。

 次に気がついたとき、俺は見慣れた場所にいた。といっても自分の住むアパートの部屋とか、病院のベッドの上とかではない。壁も天井もないどこまでも続くだだっ広い空間。子供のころから何度も見た疾走夢の場所だと、すぐにわかった。唯一違うのは、はるか遠くにいる人影が動きを止めている点だろう。人影はただじっとその場に立っているように見える。
(どういうことだ)
 白いツルツルの床から起き上がろうとした瞬間。

「ぐあっ」
 脳に雷が落ちた。正確には疾走夢の『ルール』が一瞬で脳にインストールされたのだが、それはまさに雷が落ちたと呼ぶにふさわしい感覚だった。
 ルールを知った俺は、即座に立ち上がって走り出した。走り出さないという選択肢はありえなかった。

「くそ、くそっ」
 わかってはいたが、全力で走っているのに少しも前へ進まない。さっさと遠くのあいつにたどり着かなければいけないのに。焦れば焦るほど足はもつれ、何度も派手に転んだ。ひざやひじ、あごの下がじんじんと痛みを訴える。夢のくせにしっかりと激痛だ。
(早く奪わないと!)

 俺が知った疾走夢のルール、それは『相手の夢が覚める前に相手を殺せば、その寿命を奪える』というものだった。
 さっきの事故で俺の寿命はゼロになった。でも走ってあいつのところまでたどり着き息の根を止めれば生き返ることができる。俺は走った。がむしゃらに、ひたすらに。息が上がりよだれがダラダラ垂れる。目からも鼻からも液体が流れ出す。

 かすむ視界の中で見えたのは、俺を指さして爆笑している相手の顔だった。
 
おわり


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